大江千里「自由で自信に満ち、いつも周りに人がいて、でもどこか孤独で不安を感じていた」あの日々<後編>
<前編から続く>
80年代後半から テレビ、映画、CMと、音楽以外のフィールドに活躍の場を広げる
大江は80年代後半からテレビドラマ、バラエティ番組、CM、映画と音楽以外で活躍の場を広げていた。
「役者の仕事は『君が嘘をついた』(フジテレビ系/1988年)あたりから加速したんですね。演技はズブの素人なので、一人だけ被ったり不自然に動き過ぎたりして大変でした(笑)。『そうやって美味しいとこは全部持ってっちゃう、大江さんって』って出演者のみんなに言われたりしながら、その意味さえもわからずガムシャラにやっているうちに、同じ野島伸司さん脚本のお正月映画『君は僕をスキになる』(主演:山田邦子/1989年)に声をかけていただいて。そうしたらまた今度はその次のお正月映画が自分主演でやることになって、という感じで音楽以外で活躍する場がどんどん広がっていきました」。
「車のCM(SUZUKI「カルタス」/1990年)は大学時代の友人が広告代理店に入って、ちょうどその頃お互いに脂が乗ってきたので、僕のことを抜擢してくれたんです。『やまだかつてないテレビ』(フジテレビ系/1989年~1992年)もそうです。クニ(山田邦子)ちゃんが『千ちゃんもきてほしいなあ』って(笑)。そうやってあっちこっち行くけれど、僕は常に現場で毎回ドジってスタッフを困らせてました。でもそんな時もスタッフは温かくて、みんな、千里で遊ぼうぜ、みたいなノリだったと思います。どの仕事も現場でアイディアを出しながら形にしていくことが、楽しくて仕方なかった。ただこの勢いみたいな風はいつか吹かなくなると思ってました。だからこそ風速を落とさず思い残すことなく全力で駆け抜けよう、そんな感じでした。こうやってメデイアに出る前から、コンサートも動員がじわじわ増えていってたのが、ぐんと弾みがつくようになる。でもスタッフと話してたのは、まだ爆発的シングルヒットがないよねって。それでだったらやってやろうじゃんって練りに練って書いたのが『格好悪いふられ方』です」。
「格好悪いふられ方」が念願の“爆発的シングルヒット”になったものの、「ずっと心でいつか自分をとことん鍛え直さないとダメだって思ってました」
ヒットを狙って書いたシングル「格好悪いふられ方」(1991年/ドラマ『結婚したい男たち』主題歌)は自己最高セールスを記録。両A面シングルだった「COWBOY BLUES」は「SUZUKIカルタス」の CMソングに起用された。この前年に発売されたアルバム『APOLLO』(1990年)が、オリコンアルバムランキングで初の1位を獲得し、その人気は高まる一方だった。しかし30代に突入してからの大江は「永遠のアマチュアリズム的なお家芸」を、どの方向の持って行くのかを考えるようになったが、忙しさが加速し、なかなかその問題と真正面から向き合う時間も余裕もなかった。そして1990年、レコーディングでニューヨークに滞在した際、大江の中で何かがはじけ、“次”にやるべきことが見えてきたという。
「運よくデビューできて、そして運よく売れたアルバム『未成年』(5位)、『AVEC』(5位)。占いのおばちゃんの言った通り、周りの人がどんどん変わりました。相変わらず“徳”はなかったと思います(笑)。なんとなくここまでラッキーで来てしまって、でも常に次のシングルはどうしよう?本当はストックもネタもなくなっているわけです。それでも、ピアノの前に座るとお尻に火がついて、曲のアイディアが生まれ、また次へ辛うじて繋がって。そんな自転車操業が全て。ずっと心でいつか自分をとことん鍛え直さないとダメだって思ってました。そんな時、1990年にニューヨークに行って、天地がひっくり返るほどのカルチャーショックを受けて。もっと勉強しろって街に言われているように感じました。思えば脚光を浴びて以来、付け焼き刃でずっと走るしかなく、何となく世間に繊細な文学青年ぽい描かれ方をすると、それをそこそこ演じてやってきてるけど、繊細なわけでも、読書家でもなく、勉強を全くしていない。色々なメッキが剝がれていく自分がつらくて不安でしょうがなかった。それで初めてのニューヨークで理屈を超えたエネルギーにガツンと一発殴られたような気持ちになって、一瞬はボロボロになって日本に帰ってきたんですが、やっぱりこのままじゃ終われないと思い直し、ニューヨークに戻り、そこに身を置いて曲を作ってみたいと思ってアパート暮らしを始めました。『ニューヨークの街の中で、渋谷スクランブル交差点の景色が書けるわけないだろ』なんて自分にツッコミながら『dear』(1990年)を書いていました(笑)」。
「『APPOLO』はランキングで1位を獲ったけど、このままの自分ではダメという答えを出した、けりがついたアルバム」
「アルバム『APOLLO』は立ち上げから仕上げまで全てをニューヨークでやって、挑戦だった。売上げはオリコン1位。でもこのままの自分ではダメだという答えを出したというか、けりがついたアルバムだったと思います。肉体的にも精神的にもギリギリで、世間とのギャップも広がって、常に孤独で走ってる感覚だった。第2の思春期、とてつもない作品を作ってやるって、そればっかり思ってて、非常にエッジなところに心がいた時期です」。
「当時のディレクターに『大江千里が自分で作ってきた作品を感動して歌えるまでは、“SENRI HAPPY”にはなれない』と言われた、何をやっても何かが違う時期」
日本と東京を行き来しながら、ファンが求めている大江千里の音楽と、ニューヨークで前へ進もうと作る音楽に「時差を感じ」、東京に戻ること決意。
「アルバムでいうと『APOLLO』と『HOMME』が商業音楽としてはピークだったと思う。ただ止まるわけにはいかないところがこの世界の辛いところです。自己最高の売上げのシングルが出る少し前あたりから、少し潮が引いていくのを感じていました。今まではライヴ会場の1~3Fまでがパンパンに埋まっていたのに、大ヒットが出た途端逆にポツポツ空席ができたり、熱がやや落ち着いてきたことを感じながら、それでも止まれなかった。でもニューヨークでの生活は充実していて、この時期に現在ジャズピアニストとしてアメリカでやってるような、ある種の腹の括り方を学んだと思います。上へ上へと止まれない自分を俯瞰で見ながら、待ってくれている人達がいるところ(日本)に帰ろうと決めました。でも自分の表現したい音楽とリスナーの求めている音楽の“時差”はなかなか埋まらず、当時EPICのディレクターだった園田(一恵)さんに『大江千里が自分で作ってきた作品を感動して歌えるまでは、“SENRI HAPPY”にはなれない』って言われたことをよく覚えています。何をやっても何かが違う。そんな時期でした」。
2000年、自主レーベル「STATION KIDS RECORDS」を立ち上げる。理想と現実の狭間で揺れながら――
どこか80年代の大江千里の音楽を彷彿させる空気で満ちている、原点回帰的な『SENRI HAPPY』(1996年)は好評で、アルバムランキングの9位を獲得。しかし「真逆の結果が『ROOM 802』(1998年)でした」と語る同アルバムは、初のセルフプロデュース作で「マニアックだし、いい面も悪い面も自分が行きたい道を行くという感じで作った」と教えてくれた。
大江はアルバム『ROOM 802』を最後にEPICレコードを離れ、2000年自主レーベル「STATION KIDS RECORDS」を立ち上げる。
「好きなことをやるにはリスクがつきもので、自分がかっこいいと思うものを信じて、それを出してもなかなか聴き手の心をこっちに引っ張って、彼らに響かせることができないもどかしさ。アートの世界にこだわりながら、でもポップミュージックの世界は、なんだかんだいっても売上げが第一で、でもそれってめちゃくちゃフェアでもあるから恐ろしい。シンガー・ソングライター時代はおしなべて、自由で、自信たっぷりで、色々な人に囲まれているけど、どこか不安や孤独感がありました。やっぱり30代は一番人生でなりふり構わず戦った時期だと思う。作り続ける僕を世の中が変わってもずっと愛し続けてくれた人たち、ジャズを演奏するとそんな過去と現在と未来における音楽を愛する人たちが、1本の線で繋がっていくようなイメージがあります」。
2008年ジャズピアニストを目指し渡米。「悲しみも喜びも同じ分量あって、その全てに僕は包まれてる人生です」
2007年にリリースした、主演映画『WHITE MEXICO』の挿入歌シングル「静寂の場所」を最後に、ポップスシーンでのシンガー・ソングライター・大江千里としての歴史にピリオドを打つ。そして2008年、47歳の時にジャズピアニストを目指し渡米。2012年7月31日にはジャズピアニストとしてのデビューアルバム『Boys Mature Slow』を世界で発売、個人レーベル「PND Records」を立ち上げた。
「ニュースクール大学の4年半は、何とかジャズのプレイヤーとしてカッコがつくように、ジャズの山を登っている自分がちょっとでも頂上に近づけるように、とにかく夢中でした。ジャズデビューアルバム『Boys Mature Slow』、は“男子、熟成には時間を要する”ってわけですよね。気がつくとジャズピニストとしても10年という時間が過ぎ、今思うのは、悲しみも喜びも同じ分量あって、その全てに僕は包まれてる人生です。あの時占い師に言われた“徳”の字は、こめかみにまだまだ浮き出てはこないけど(笑)、あの頃ほど物事は困難なではないと思えます」。
現在は次回作を制作中。「どんな“千里ジャズ”になるか、新しい曲がどんな指標のものになるか、楽しみにしていてください」
「今、また次の作品に向かって曲作りをしています。編成はソロだけじゃなくてデュオもあるかもしれないしトリオもあるし、ビッグバンドももしかしたら入るかも?盛り沢山な内容のアルバムになりそうです(笑)。果たしてどんな『千里ジャズ』になるのか?新しい曲がどんな指標のものになるのか?どうか楽しみにしててください」。
otonano 大江千里デビュー40周年プロジェクト スペシャルサイト
デビュー40周年のアニバーサリーイヤーが始まったばかりの大江千里の、5本立て帰国コンサートが決定。
『Music with a View〜納涼千里JAZZ天国 presents 「大江千里 "4つの夏物語" JAPANツアー 2022」』
①里山物語
【日時】8月20日(土)18:00開演
【会場】 白馬岩岳マウンテンリゾート (長野県北安曇郡白馬村)
②青山物語〜THIS IS MY STANDARD Vol.2〜
【日時】8月21日(日)THIS IS MY STANDARD Vol.2 「大江千里 青山物語〜山編」17:30 開場/18:00 開演
8月22日(月)THIS IS MY STANDARD Vol.2 「大江千里 青山物語〜海編」
18:30 開場/19:00 開演
【会場】song & supper BAROOM(東京都港区南青山6-10-12 1F)
③鎌倉物語
【日時】8月24日(水) 17:00受付開始/開場 18:00開演
【会場】鎌倉プリンスホテル バンケットホール七里ヶ浜(神奈川県鎌倉市七里ガ浜東1-2-18)
④納涼フィナーレ「大江千里 BIRTHDAY BASH」
【日時】9月6日(火)
18:00開場/ 19:00開演
【会場】関西学院会館レセプションホール (兵庫県西宮市上ケ原一番町1番155号 関西学院大学内)
More Information:【大江千里公式note内『"4つの夏物語" JAPANツアー2022』特設ページ】