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相模原事件・植松聖被告「控訴しない」を説得しようと接見、逆に「今生の別れ」をされた

篠田博之月刊『創』編集長
植松聖被告のいる横浜拘置支所(筆者撮影)

開口一番、「今生の別れ」

 2020年3月3日、朝一番で、相模原事件・植松聖被告に接見した。

 2月19日の最終意見陳述で「死刑判決でも控訴しません」と法廷宣言してしまったので、翻意を促すのは難しいだろうと思って行ったのだが、面会室で開口一番、「長い間お世話になりました」と今生の別れを告げられてしまった。別れ際にも再度同じ言葉。どうやら意思は固いらしい。

 彼との接触はもう3年近くに及ぶのだが、私は連続幼女殺害事件の宮崎勤死刑囚とは12年間つきあったし、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とは事件発生当時から20年以上のつきあいだから、3年は全然長くない。植松被告は、獄中生活が長くなるにつれて不安を吐露したり、それなりにいろいろなことがあったが、今から思うとあっという間だった。

 3月16日に出される判決は恐らく死刑判決だろうし、弁護側が控訴したのを植松被告は取り下げるつもりだから、接見は長くて3月末までだ。一緒に接見した新聞記者にも今生の別れを告げていたが、そんなふうに記者たちにも一人一人会ってお礼を言う意向のようだ。そのあたりは植松被告は律儀な性格だ。恐らく記者だけでなく、友人などにももう今月いっぱいだからと面会して別れを告げていくつもりなのだろう。

 判決から2週間が控訴期限で、それまでは接見などは認められるのだが、恐らく彼は控訴期限ぎりぎりに取り下げるのだろう。3月末か4月初めには東京拘置所に移送されるはずだ。

裁判が行われた横浜地裁(筆者撮影)
裁判が行われた横浜地裁(筆者撮影)

 でも、今回の裁判、障害者の問題を真剣に考えてきた人ほど、本質的なことは何一つ明らかになっていない、責任能力があるか否かだけを論じた空疎な裁判だった、という批判的意見が多い。障害者への差別の問題も、障害者施設や支援のあり方も、法廷では確かにきちんとした形で俎上にも載らなかった。

 こんなことで相模原事件を終わらせてしまってよいのだろうか、という思いは強い。もちろん津久井やまゆり園の今後のあり方など議論は続いていくのだが、植松被告本人が死刑確定し、接見禁止もついてしまうと、事件解明には大きな限界が出てくることは明らかだろう。

植松被告の1カ月に及ぶ懲罰処分

 植松被告とは判決後にも会う約束をしているし、死刑確定後の対応などもう少し議論するつもりだ。その経緯は追って報告するが、ここでまず今回の接見で分かった、いろいろな事柄を報告しよう。

 まずこの間、異常な長期にわたって、植松被告は接見禁止の処分を受けていた。今回の接見で確認したら、1月31日から1カ月と言われたという。接見禁止が解除されたのは3月2日で、彼はすぐに私に電報で知らせてきた。

 懲罰を受けた理由は、やはり1月9日の自傷行為だった。彼は昨年も一度懲罰を受けているが、通常は1週間の懲罰期間が今回は1カ月。房内での自傷行為に、いかに拘置所側が神経を尖らせているかわかるだろう。

 しかも、彼は自傷行為防止のために、今も房内でミトン(大きな手袋)をはめたままだ。必要があって手を使う時だけはずすことを許されるらしい。所持品も房内から全て出されているというから、自殺や自傷行為防止の対策が徹底的にとられているわけだ。

 噛みちぎった小指はもう、かさぶた状態になったというが、週1回、拘置所の医師が診察しているらしい。その医師に、ミトンをはずしてくれませんかと依頼したところ、自分の判断でそれはできないと言われたという。

最終意見陳述の3つの主張の真意を聞いた 

 今回の接見では、2月19日の最終意見陳述の3つの主張について、植松被告の真意を聞いた。その3つの主張とは下記の前回の報告記事を参照いただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200227-00164820/

法廷で「控訴しません」と宣言した相模原事件・植松聖被告が気になる接見禁止処遇に

 証言内容だけをもう一度掲げておこう。裁判長に「最後に述べたいことはあるか」と促されて、植松被告はこう語った。

 「恐縮ですが、3つあります。1つ目に、ヤクザはお祭りやラブホテル、タピオカ、芸能界など様々な仕事をしています。ヤクザは気合の入った実業家なので罪を重くすれば犯罪ができなくなります。しかし、捕まるのは下っ端なので、司法取引で、終身刑にします。刑務所の中で幸せを追求できれば問題ないし、その方が生産性も上がるのではないでしょうか。

 2つ目に、私はどんな判決でも控訴致しません。1審だけでも長いと思いました。これは文句ではなく、裁判はとても疲れるので負の感情が生まれます。皆様の貴重なお時間をいただき大変申し訳なく思いました。

 3つ目に、重度障害者の親はすぐに死ぬことがわかりました。寝たきりなら楽ですが、手に負えない人もいます。病は気からなので、人生に疲れて死んでしまいます。日本は世界から吸血国家と呼ばれており、借金は1110兆円になったと、2月11日に報道されました。もはや知らなかったで済まされる範囲をとっくに超えています。文句を言わず、我慢された33名のご家族と親を尊敬致します。

 最後になりますが、この裁判の本当の争点は、自分が意思疎通がとれなくなった時を考えることだと思います。」

 まず、1番目のヤクザの話。あまりに唐突で面食らった人が多かったのだが、面会でのやりとりはこうだ。

ーーヤクザの話は趣旨がわからないという人が多いけど、君はどういう趣旨だったの?

植松 ヤクザを排除すべきだということです。罪を重くすれば犯罪を犯さなくなると言いました。

ーーいや、でもなぜ1番目にヤクザの話なの?

植松 ヤクザのことを検察官などからも何度も聞かれたからです。

ーー2番目の「控訴しません」というのは君の意思を表明したのだろうけど、3番目もわかりにくくて、新聞などは、君が差別的主張を行ったと報道していた。「重度障害者の親はすぐに死ぬことがわかりました」というのは、君は以前から重度障害者の親は疲れ切っているとか言っていたけれど、同情して言っていたわけ?

植松 同情もありますが、自分は、重度障害者のめんどうをみてきた人が亡くなってしまう現実をいろいろ見聞きしてきました。(ここで何人かの例を挙げた)

ーー君の証言で意味深だったのが「この裁判の本当の争点は、自分が意思疎通がとれなくなった時を考えることだと思います」ということで、この趣旨はどういうこと?

植松 自分が意思表明できなくなった時のことを考えれば、安楽死を認める気持ちになると思います。

ーーああ、そういうことか。でも「自分が意思表明できなくなった時」って例えばどういう時を想定しているの?

植松 例えば病気とかケガでそうなった場合のことです。

「33名のご家族と親」は34名の誤り

ーー「文句を言わず、我慢された33名のご家族と親を尊敬致します」という33名とは?(これは他の記者の質問)

植松 全部で45名いるうちの、意見陳述を行った11名を除いた数です。だから34名ですが、間違って言ってしまいました。

ーーそうか。でも意見陳述しなかった遺族だって、法廷で陳述した人と同じ気持ちだったんじゃないの?

植松 ……(そうかもしれません、と言ったかも)

ーー裁判を振り返ってどういう感想ですか?(これも他の記者の質問)

植松 裁判とは大変だなあと思いました。

ーー気になったこととかありますか(同上)

植松 気になったこと?(考えて)でも悪口を言いだすときりがないから。文句があるのはわかるけれど、言わなかった方を尊敬します。

 検察官や(犠牲者遺族の)代理人弁護士はもっと攻撃的に言ってくるかと思いましたが、そうでもなかった。でも求刑となるとああいうことになってしまう。法律が入ると話が通じなくなるという感じでした。

ーー事件を起こしたのは今でも正しかったという考えですか?(同上)

植松 自分の考えは正しいと思っています。でもやったことが正しいかどうかはわからない。

ーーやり方についてですね。

植松 そう。

ーー弁護団の大麻精神病という見方についてはどう思っていますか(同上)

植松 大麻について勉強不足だなと思いました。私は大麻を吸っていて人間らしい、心が豊かになったと思っています。大麻について正しい考えを伝えたいと思いました。

元彼女の証言内容を訂正

 そのほか、細かい事実確認も幾つか行った。

ーー法廷で、君が小学生の時に、障害者は生きている意味がないという趣旨の作文を書いていたという話が出てきたけど、あれは君自身が取り調べで供述したの?

植松 そうだと思います。書いたことがあったのを思い出したから。

 もうひとつ、以前も紹介した植松被告の元彼女の法廷証言について下記の部分は誤りなので訂正してほしいとのことだった。

 ちなみにその元彼女の証言は以下の記事だ(同じものを『創』3月号にも載せたので植松被告はそれを見た)。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200119-00159452/

相模原事件、植松聖被告の元交際相手女性が証人として法廷で語った衝撃内容

 問題の箇所はこうだ。検察官の質問に元彼女が答えたものだ。

検 あなたにも借金していましたか?

A 脱毛に行くからというので2~3万円、あるいは4万円くらい貸しました。

検 それは戻ってきましたか?

A 返ってきていません。

 植松被告は「お金は返しました」と言う。「でもそれは彼女が法廷でそう言ったことだから」と言ったが、「いやそこは曖昧な証言だったと思います」と主張した。念のために、他の傍聴した人がまとめたメモも確認したが、やはり元彼女の発言は「返ってきてないです」になっている。

 ただそれについては彼女の法廷証言の際の思い違いもあるし、どちらが正しいかと言ってもあまり意味はない。植松被告本人が「借りたお金は返したので、返してないというのは誤りだ」と言っていることは明記しておこう。

 ついでながらこれは前回の接見での話でだが、植松被告は、事件直前に最後の晩餐をした女性の供述調書の内容について、そこでは植松被告の方が一方的に食事に誘ってきたことが強調されているとして、彼女との関係はそうでなく、以前は泊まりにきたこともあったのだと語っていた。そしてこれについては、その後、自分自身でわざわざ法廷証言で訂正した。

 それら女性と彼がどういう関係だったか示す事実関係の一端については、事件解明の大筋にとっては重大なことではないのだが、植松被告にとっては大事なことなのだろう。

 植松被告が「控訴しない」と言っていることについても、私とはいろいろ会話がなされたが、細かく再現する必要はないだろう。彼は「今から、やはり裁判を続けますというのはありえない」とも言った。やはり法廷で「控訴しない」と宣言したことで、その問題には決着をつけたという思いのようだ。ただ「今まで会ってきた人たちと会えなくなるのは残念だと思っている」とも言っている。

 死刑が確定すると接見禁止になる。植松被告と家族及び弁護団の関係を考えると、彼の確定後の発言や状況を何らかの形で社会に伝えることはかなり難しいと言わざるをえない。ただ少しでも何とかしたいという思いは私にはあるから、そのあたりについては今後も植松被告と議論していくつもりだ。

 以上が3月3日の接見内容だ。

相模原事件についてのシンポジウムでの議論

 相模原事件については、この間、いろいろな人と議論する機会があった。ひとつは2月28日に開催された日本障害者協議会のシンポジウムで、障害者の問題に関わってきた百数十名が集まった。登壇したのはやまゆり園家族会前会長の尾野剛志さん、毎日新聞で優生思想の問題などを追い続けている上東麻子記者、そして私だ。コーディネイターは協議会代表の藤井克徳さんと理事の藤木和子弁護士が務めた。藤木弁護士は、強制不妊訴訟の被害者弁護団の一員でもあり、当日も提訴した被害者が会場発言した。

2月28日の日本障害者協議会のシンポ(協議会提供)
2月28日の日本障害者協議会のシンポ(協議会提供)

 藤井代表の、裁判では本質的なことが審理されていないという発言なども含めて、私にとってもいろいろ考えさせられた有意義なシンポジウムだった。

 この後も3月25日の新宿ロフトプラスワンでのトークイベントを始め、幾つか相模原事件についての集会やシンポジウムが予定されているが、新型コロナウイルス騒動もあって、そういう集会が予定通りできるのか不安もある。

 でもいずれにせよ、相模原事件について考えることは、たとえ裁判が終わっても終結させてしまっていけないことは明らかだ。

 

 また裁判が結審してから、出廷していた裁判員のうち2人が辞任するという異例の事態になったことも、この裁判がいかに難しいものであるかを示している。手続き上は、補充の裁判員が代わりに入って判決は出されるから問題ないとはいえ、この異例の成り行きも、この事件がいかに難しい問題をはらんでいるかを浮き彫りにしたといえよう。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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