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本能寺の変後、織田家の家督をめぐり、イエズス会が抱いた都合のいい思惑

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
イエス・キリスト。(提供:アフロ)

 今回の大河ドラマ「どうする家康」では、清須会議の模様が描かれていた。実は、イエズス会も織田家の後継者問題に関心を抱いていたので、取り上げることにしよう。

 清須会議における織田家家督の問題については、『イエズス会日本報告集』にも記述がある。同書は、在日したイエズス会宣教師がローマ本部に提出した日本の国内事情、布教状況に関する報告書である。関係する情報は、次のとおりである。

 諸大名らは信長の後継者を決めるべく都に集まったが、未だに誰にすべきか決定していなかった。多くの人は信孝が後継者になり、信忠の嫡男・三法師が成人するまでは、それが良いだろうと考えていた。

 実は、ここからが問題である。続けて報告書では、「信孝が信長の後継者になれば、キリスト教の布教が円滑に進む」と書いている。信孝はキリスト教に理解を示していたと考えられ、『イエズス会日本報告集』では常に賛辞の言葉が贈られていた。

 逆に、信長については良いことが書かれておらず、その死は「天罰である」とまで書かれている。フロイスの『日本史』には信長が討たれたとき、「灰すらも残らなかった」と書いているので、同じことである。

 『イエズス会日本報告集』に「多くの人は信孝が後継者にふさわしいと述べている」と書いているのは、布教を有利に進めるための単なる希望であって、何ら根拠がない可能性がある。『イエズス会日本報告集』は、本国のポルトガルに送られたのだから、自分たちにとって、できるだけ都合の良いことを報告していたのだろう。

 清須会議については、秀吉が主導して行ったとし、三法師を後継者として、信雄を後見人にしたと記している。しかし、それは表面的なことで、秀吉はすべての支配を行い、信雄を屈服させて、勝家、恒興、長秀らと分国の配置などを行ったと記している。

 なお、その前段には、秀吉が優勢であると書いている。しかし、実際には信雄を三法師の後見人に立てていなかったので、必ずしも正確な記述とは言えないだろう。

 『イエズス会日本報告集』は、当時の我が国を知るうえで貴重な史料であるが、宣教師にとって都合の良いことを書いていると思われる箇所がある。その点には、注意すべきであろう。

主要参考文献

渡邊大門『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書、2020年)

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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