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在キューバ米国大使館員は「音響兵器」で攻撃されたのか

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:アフロ)

 2017年9月、キューバのハバナにある米国大使館やカナダ大使館の複数の職員が、頭痛や吐き気、鼻血などの健康被害をうったえていたとメディアが報じた(※1)。キューバの一件は調査が継続中だが、今度は2018年5月から中国の広州市に置かれた米国領事館員に似たような症状が出て米国政府が調査に動いている(※2)。これはいわゆる音響兵器による攻撃なのだろうか。

未知のエネルギーが照射されたのか

 キューバの米国職員の症状は、脳しんとう、軽度の外傷性能損傷と診断されている。これについては当初、キューバ政府による「音響兵器」の攻撃ではないかという論評も出た。だが、米国のFBA(連邦捜査局)がキューバで調査したところ、音響兵器などの証拠は発見できなかったという。

 一方、トランプ米大統領は、ハバナの職員の半数以上を呼び戻し、在米キューバ外交官15人を国外退去させた。キューバ政府が原因の解明に協力すると申し出るが、その後に米国やカナダの主張は「まるでSF小説」と批難し、国交正常化した米キューバ両国にとって悩ましい事態になっていた。

 この事件については2018年3月、米国の医学雑誌『JAMA(The Journal of the American Medical Association、米国医師会雑誌)』にペンシルベニア大学の脳神経や環境医学などの医療研究グループが論文(※3)を出した。

 2016年の後半から2017年8月までキューバのハバナで外交官として職務に就いていた21人の患者について、音響兵器などの未知のエネルギーにさらされたかどうかを診断した。その結果、認知症や睡眠障害、聴覚障害、動眼神経障害などの症状をみとめたが、過去の外傷と無関係の脳損傷の可能性は考えられるものの、音響兵器のような未知のエネルギーのせいかどうかはわからないとした。

 この論文では、患者らは感染症などの影響を受けず、化学物質による汚染もみられないとする。また、集団ヒステリーのような症状ではないとした。内耳にあって平衡感覚をつかさどる三半規管などの前庭器官に損傷がみられる患者が多く、それが外因性である可能性は否定していない。

 このように、キューバ側の主張とペンシルベニア大学の医療研究グループの論文には矛盾がある。

 キューバの内分泌学研究所(National Institute of Endocrinology)の研究者が出した論文(※4)によれば、ハバナ市街の騒音は交通機関、エアコン、娯楽施設、コオロギ(Grillus Assimilis)などから発生し、これらが複合すると健康に何らかの害を及ぼす可能性があるという。同時に、音響兵器のような指向性を持つ音源は建築内部へ到達できないだろうと述べている。

 APの報道ではキューバの米国大使館で録音された可聴域の音源も紹介されているが、この音源をもとに詳細に調べた研究(※5)が中国の浙江大学と米国のミシガン大学の工学系の研究者から出された。

 これによれば、可聴域の音源以外に超音波の影響が考えられるが、そのエネルギー密度の関係から音源がどのように大使館の建物内へ入り込んだのか疑問が残るとしている。その上で、何らかの原因で偶発的な騒音が発生し、それが職員に作用した可能性について述べ、同時に音源を使った攻撃について否定できず、音響兵器のようなものが脳へある程度の損傷を与えたかもしれないと示唆している。

集団で耳鳴りが起きるハム現象とは

 いくつかの研究が出された後、2018年3月22日にJAMAの論文に対する専門家による疑問と意見が米国の神経学学会の学会誌『Neurology Today』に出た(※6)。これによれば、AP報道で紹介された可聴域の音源が脳に損傷を与えることは考えられず、やはり何らかの原因で超音波が発生した可能性が高いとする。

 集団ヒステリーのような症状が、これほど長く続くことも考えられず、職員が口裏を合わせて嘘をついている可能性も低い。ただ、JAMAの研究では個人面談によるアンケートによる診断が主で正確性に疑問が残るとし、PPPD(Persistent Postural Perceptual Dizziness、持続性自覚性姿勢誘導ふらつき)という病気の可能性があるという専門家もいる。

 このPPPDは、半年以上の慢性的なふらつき症状が出る心因性のめまいで詳しいことはまだよくわかっていない。音響的なショックがあると、引き起こされることがあるとされる。別の専門家は、爆風にさらさられるなど気圧の変化によって脳の中枢神経(Central Nervous System、CNS)が損傷することもあるという。

 ニュージーランドとキューバの研究者が2018年4月に出した論文(※7)によれば、音響兵器はかさばって目立つのでこの事件には関係ないだろうとし、人間の脳へ損傷を与えるようなパワーと指向性の高い音響兵器の存在も考えにくいとする。これほどの影響を与えるデバイスがあるとすれば、自動車ほどの大きさが必要であり、超音波発生器に頭を突っ込み続けるような状況にならなければならないからだ。

 実は、未知の低周波の音源による集団的な耳鳴り症状が過去に多く報告されている。これはハム(The Hum)と呼ばれる現象で、有名なものは「タオス・ハム(Taos Hum)」といって1990年代から米国ニューメキシコ州にあるタオスという街で起きた(※8)。同様の現象は、英国のコヴェントリー、カナダのエドモントン、ボルネオなどでも報告されている。

 いずれにせよ、音響兵器(Sonic and Ultrasonic Weapons、USW)は実際に存在する装備だ。バードストライクなどの鳥類被害を軽減するため、音響を利用した防除方法が有効という研究もある(※9)。米軍では継続的に研究開発が続けられ、国境警備や暴徒鎮圧などで実際に使われている事例も少なくない。

 音響兵器による攻撃かどうか不明のままだと国際問題にも発展しかねず、医学的な研究は途上だ。ハバナと広州市で発生した症状の原因解明は急務といえる。

※1:Josh Lederman, et al., "Cuba mystery: Even Castro baffled by harm to US diplomats." AP NEWS, 2017/09/15(2018/04/26アクセス)

※2:U.S. Department of State:June 5, 2018"Establishment of the Health Incidents Response Task Force." Secretary of State,(2018/07/06アクセス)

※3:Randel S. Swanson II, et al., "Neurological Manifestations Among US Government Personnel Reporting Directional Audible and Sensory Phenomena in Havana, Cuba." JAMA, Vol.319(11), 1125-1133, 2018

※4:Carlos Barcelo-Perez, et al., "Non usual urban sounds in a Western Neighborhood of Havana City." ResearchGate, Doi: 10.13140/RG.2.2.13026.43205, 2018

※5:Chen Yan, et al., "On Cuba, Diplomats, Ultrasound, and Intermodulation Distortion." University of Michigan, Tech Report, CSE-TR-001-18, 2018

※6:Dan Hurtey, "The Mystery Behind Neurological Symptoms Among US Diplomats in Cuba: Lots of Questions, Few Answers." Neurology Today, Vol.18, Issue6, 2018

※7:Robert E. Bartholomew, et al., "Chasing ghosts in Cuba: Is mass psychogenic illness masquerading as an acoustical attack?" International Journal of Social Psychiatry, Doi: 10.10707/2002706746400187666181585, 2018

※8:Franz Gunter Frosch, "Manifestations of a low-frequency sound of unknown origin perceived worldwide, also known as "the Hum" or the "Taos Hum"." The International Tinnitus Journal, Doi: 10.5935/0946-5448.20160011, 2016

※9:Peter E. Schlichting, et al., "Efficacy of an acoustic hailing device as an avian dispersal tool." Wildlife Society Bulletin, Vol.41, Issue3, 453-460, 2017

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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