都議会全議員が謝るべき
2014年6月18日に行われた東京都議会の一般質問で、女性議員が子育て支援策について質問を行った際、男性議員から「早く結婚したほうがいいんじゃないか」などとヤジが飛んだ件、大きな話題となっていて、数多く報道されていた。
動画を見た限りでは、「産めないのか」は確認できなかったが、「早く結婚したほうが」ははっきり聞こえた。それ自体典型的なセクハラ発言で、場を考えれば即、東京都議会会議規則第105条(秩序及び品位の尊重)及び第108条(議事妨害禁止)違反で懲戒になってもおかしくないんじゃないかと思うが、都議会自民党の人たちは不問に付すつもりらしい。さもありなんな対応ではある。
とはいえ、こうした議場その他での暴言・妄言(今回のこれもヤジというより暴言と呼ぶべきだろう)の類に対してすぐに懲戒だの何だのを持ちだすのは、個人的には反対だ。政治家という、高度に発言の自由が保証されるべき職種の人であるからでもあるが、たとえ政治家でなくとも、表現の自由の観点から、言論に法的な制約を加えることに対してはぎりぎりまで慎重であるべきと思うからだ。言論に対してはできるだけ言論で対抗すべきだし、公式な場での政治家の発言は報道された上で、次の選挙で有権者の審判を仰ぐべきだ。
だからこそ、発言者が特定されるべきではある。法的責任はともかく、明らかなセクハラ発言なわけで、謝るぐらいのことはすべきだ(先日の日本-コートジボワール戦の後渋谷駅前で人混みにまぎれて痴漢を働いた者がいるそうだが、今回のケースは私の目にはそれと同類にみえる)。特定できないとかいってるが、本気になればできないはずはない。この種のヤジは対立する会派の議員から発せられたものと考えるのが議会での常識だ。周囲に座っていた仲間がかばっているのだろう。
確かに、法的責任を問えるレベルで特定されているわけではないが、ここでは法的責任の話をしているのではない。政治家としての識見の話なので、誰が言ったのか特定できないからしかたない、ですまされていいわけがない。公的な立場の人間が公的な場で吐いた暴言の責任から逃げるのは姑息で卑怯なふるまいだ。もちろん、私も含めたいていの人間は程度の差こそあれ皆卑怯で姑息なので、人間らしいふるまいといえなくもないが、その点に限っていえば、たいていの有権者は政治家にその意味での「人間らしさ」など求めていないだろう。
とはいえ、都議会の人たちに特定するつもりがないのであれば特定することは困難なわけで、この件はいつもの通り、うやむやにされる方向になるのだろう。私は議場における議員の発言はヤジも含めてすべて記録すべきと考える人なので(そういうブログ記事を書いたこともある)、こういう幕引きはとうていがまんならないわけだが、不届きな議員に謝らせる方法は1つある。
都議会の全議員が謝ることだ。
関係ない議員にまで謝れというのはスジ違いだといわれるだろうが、必ずしもそうは思わない。この問題は、直接的には当該女性議員に対して向けられたものだろうが、公的な場での公的な人物の発言である以上、社会への影響の責任も当然ながらある。議場の中だけの話ではもはやないのだ。
(1)すべての女性に対して
今回の暴言は、妊娠や出産などに関する子育て支援策について都の取り組みをただす質問の際になされた。結婚していなければ子育てについて発言する権利がないというのはどうにも妙な意見だが(その理屈なら難病対策はその難病の人しか論じられないし犯罪者更生は犯罪者にしか語れないことになる)、当該議員のプライバシーにふみこむ失礼な発言といわざるをえない。都議会がこんなあからさまなセクハラを容認すれば、社会に対して「この程度のセクハラは容認されるべき」といったメッセージを出すことになるだろう。かつて「女は政治に向かない。生理の時は異常」発言で批判を浴びた知事に加えこんな議員がいる都市で、オリンピックを開催していいのかといった批判も受けよう。セクハラを受けた当該女性議員も含め、自浄能力のない議会の構成員は全員で、すべての女性に対して、この事態を自らの不始末として謝るべきだ。
(2)すべての男性に対して
この件で多くの女性たちが怒りの声を上げている。怒るのはもっともだとは思うが、「だから日本の男は」「おっさんどもは」といった意見が多くみられるのは、その批判の矛先と同じカテゴリに属する者としてげんなりする。そういいたくなる気持ちはわかるとしても、あらっぽくひっくるめられるのはやはりとばっちり感が強い。つまり、都議会のどこかにいるセクハラおやじの巻き添えを食って心を痛めている日本のおっさんども、もっと広くいえば男どもは少なくないと思うのだ。都議会の議員は全員、件の女性議員も含めて、すべての男性に対し、自浄能力のなさを謝ってもらいたい。
(3)すべての有権者に対して
議場でのヤジについての私の考え方は上記の通りだが、いうまでもなく、セクハラヤジに議場での発言として価値があると考えているわけではない。どこぞの報道で「いいヤジがある」とか答えた自民党議員がいたようだが、仮にそういうものがあるなら記録され有権者に伝えられるべきだ。発言者が隠蔽され、なかったことにされようとしているこの種のヤジがそれに属さないことは論を俟たないだろう。都民の1人として正直にいわせてもらえば、こんな暴言を吐く議員やそれを隠して知らん顔をする議員たちのために都税を払うのは納得がいかない。言論の自由を守るために歯を食いしばって我慢するにしても、それで許されたなどと彼らに思ってほしくない。少なくとも私は許さない。
「全員」にこだわるのは、それならその中にいるセクハラヤジ議員も謝らざるをえないというだけでなく、とばっちりを食った他の「善良」な議員の皆さんが、とばっちりを食うことの不当さを思い知ることで、今後の歯止めになるのではないかと考えるからでもある。セクハラヤジが出るたびに議事がストップして、全議員が謝罪させられるとなれば、いいかげんうんざりして、そうした発言をさせないよう、不届きな議員に対して圧力をかけるのではないか。繰り返すがこれは法的責任の話ではないので、連帯責任を負わせてしまっていいと思う。
もちろん、こうした議員を選んだ都の有権者にも、その限りで責任の一端はある。都民の1人として、こんな議員を送り出し(どの選挙区か知らないが)、日本中、世界中に東京の恥を晒すことになってしまった責任を痛感する。たいへん申し訳ない。次回の選挙で適切に選ぶという、有権者としての責務をぜひ果たしたいと思う。そのためにも、議会の皆さんは、ぜひ自浄能力をみせてほしい。