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エイリアンと呼ばれた「少女のミイラ」は誰のものか

石田雅彦科学ジャーナリスト
南米ペルーのミイラと3D復元(記事とは関係ありません)(写真:ロイター/アフロ)

 最近、米国のスタンフォード大学などの研究グループが「エイリアンではないか」と話題になっていたミイラ遺体の全遺伝子を解析するなどし、遺体が深刻な遺伝子異常を起こした「人類」の少女だったことを明らかにした(※1)。だが、この遺体が盗掘によってチリ国外へ運び出され、金銭で売買されて研究対象になったことが議論になっている。

違法に売買された少女の遺体

 この遺体は、南米チリの鉱山の町ラ・ノリア(La Noria)で2003年に発見された。発見場所を含むチリのアタカマ砂漠から「アタ(Ata)」というニックネームが付けられ、特異な頭蓋骨の形状から「エイリアンではないか」と話題になっていた。

 骨格の成長度により6〜8歳児のものと推定され、身長は15センチで肋骨が本来なら左右12対なのに10対だった。頭蓋骨は前後に細長い円錐状になり、いつ頃に亡くなった遺体かという年代測定についても諸説あった。

 だが、この遺体はラ・ノリアの教会近くにあった建物内の棚に安置されていたものが盗まれ、チリ国内でも少なくとも2回は転売されていた。その後、スペインの民間人が購入し、現在の所有権もその人物にある。もちろん、チリの法律で盗掘や盗品売買、史料を許可なく国外へ持ち出すことは禁じられている。

 遺体の頭蓋骨がまるでフィクションに描かれてきたエイリアンのように見えたので、チリ国内のみならず世界中のあらゆる媒体で10年以上にわたり、興味本位に紹介されてきた。遺体は、メディアでさらされ、見世物のように不当に扱われ、チリ国外へ持ち出されたというわけだ。

 今回の遺伝子解析などによる解明についても、各種媒体は遺体の異常な外観とエイリアンではなかったことがわかったという側面を中心に報じた(※2)。だが、2018年3月23日の『NATIONAL GEOGRAPHIC』の記事でも危惧されているように、もうエイリアン論争は止めにして遺体を安らかに眠らせるべきだという意見はすでにあったが、こうした調査分析の後でもアタはエイリアンと主張する研究者は依然としている。

チリの研究者の怒り

 この論文が発表された後、チリの研究者らや学会が抗議の声を上げ始めた。チリのアントファガスタ大学の生物学者は今回の論文について「暴虐(outrage)」と批難声明を出し、違法に入手された遺体による論文も違法なので論文は撤回すべきと主張する。

 チリの遺跡からは長く盗掘が行われ、過去の貴重な遺産が違法に国外へ運び出され、金銭で売買されてきた。前述の批難声明によれば、オランダのウェブサイトではチリで発掘された900年前の乳母車が1万5000ユーロで売買されているようだ。声明を出したチリの生物学者は「欧米の乳幼児が同じように違法な研究対象にされた場合、問題にならないだろうか。発展途上国の遺体ならかまわないとでもいうのか」と怒りを露わにしている。

 今回の論文が出された米国の『Genome Research』は1991年創刊の査読付き学術誌だが、著者メンバーであるスタンフォード大学のガリー・ノラン(Garry Nolan)とカリフォルニア大学サンフランシスコ校のアチュリ・ブッテ(Atul Butte)の二人は、2018年4月7日付けで「The Atacama skeleton」という声明を出している(※3)。

 それによれば、彼らの論文には研究倫理的に何の問題もないが、この遺体がエイリアンかどうかという議論は終わりにすべきとし、むしろ深刻な遺伝子異常に関する科学的知見に活かすべきだとした。また、こうした遺体の扱いに関する倫理道徳的な議論へ参加し、遺体を母国であるチリへ返還するためにも積極的な努力を惜しまないと述べている。

HeLa細胞とは

 南北アメリカ大陸の先住民については、彼らの遺跡から多くの史料が得られているが(※4)、遺跡というのは要するに墓地を含む神聖な場所のことが多い。研究者の多くは倫理的な規範を守り、所属機関の倫理委員会の許可裁定を経て地元などの理解を得ながら調査研究を進めるのが普通だ。

 医薬研究の分野には「HeLa細胞」というものがある。この腫瘍性がん細胞はヒト由来の最初の細胞株だが、実験室レベルでの医薬研究に欠かせない「不死の細胞」として世界中の研究室に分離・培養されて拡がった。

 この細胞は、1951年に子宮頸がんで亡くなったヘンリッタ・ラックス(Henritta Lacks)という当時31歳の黒人女性から得られたものだ。彼女と家族はタバコ農場で働いていたが、がん治療の前に同意がないまま細胞が取り出され、彼女の死後も家族には事情が説明されない期間が長く続いた。

 今回の論文の著者は、遺体が違法にチリで盗まれ、売買されてきたものとは知らなかったと述べているが、知らなかったというのは言い訳にはならないだろう。患者の組織は研究者のものという感覚が「常識」だったHeLa細胞が取り出された1950年代とは違い、研究倫理がますます厳しくなっている今、研究対象がどこからどうやって入手されたのかについて研究者が問題意識を抱かなかったこと自体が問われている。

※1:Sanchita Bhattacharya, et al., "Whole-genome sequencing of Atacama skeleton shows novel mutations linked with dysplasia." Genome Research, Vol.28(4), 2018

※2:「『エイリアンのミイラ』、ついに正体が判明」Yahoo!ニュース:NATIONAL GEOGRAPHIC:2018/03/23など

※3:Garry Nolan, Atul Butte, "The Atacama skeleton." Genome research, doi:10.1101/gr.237834.118, 2018

※4:「『歯垢』からわかる喫煙の歴史〜先住民族とタバコ」Yahoo!ニュース個人:2018/03/01

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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