ネットユーザーとマスコミと専門家の3者の責任:オリンピックエンブレム問題のこれまでとこれから
検索技術の進歩と膨大な数のネットユーザー。この力は、どちらへ向かうのでしょうか。
■五輪エンブレム問題の展開:マスコミとネット
ネットでは、テレビの話題でよく盛り上がります。硬いニュースから、ドラマの話題まで、マスコミが流すコドバが、トレンドになります。
一方、ネットで話題になり盛り上がったことを、マスコミが取り上げます。すると、ネットで盛り上がっている、炎上しているとはいえ、ネットユーザーの中の一部でしか話題になっていなかったことが、国民的話題になったります。そうなれば、さらにネット全体でも話題とされていきます。
今回のオリンピッックエンブレム問題も、ネットとマスメディアとの相互作用があったでしょう。
最初に話題をあげたのは、ベルギーの劇場ロゴマークを作ったデザイナーです。彼がツイッターでつぶやきます。その数日後、日本の「2ちゃんねる」で話題になり、多くのユーザーが佐野氏に関連した作品をかたっぱしから調べ始めます。「祭り」でしょうか。そうして、類似デザインの存在や、素材の無断流用が発覚していきます。
この2ちゃんねるユーザーたちの「成果」が、他のネットユーザーにも拡散され、ついにマスメディアが取り上げ、そうして国民的関心事になっていきました。
そのあとは、冷静に問題を議論する人々と、それから佐野氏に対するマスコミの取材攻勢、ネト上の誹謗中傷、個人情報さらし、さらに悪質なイタズラへと発展していきました。
ネットでは、正式な会議や大手マスコミが言いにくいことも言えます。STAP論文問題も、今回の正式エンブレムへの疑問もそうでしょう。そしてネット上に出された疑問、疑惑が、マスメディアに取り上げられることで、「お墨付き」がもらえることになります。
一部の人たちの問題提起が、社会問題化していくわけです。
■使用中止は正しかったか
事態がここまで来ると、仕方のない面もあるでしょう。疑問発覚以降、大会委員会、デザイン事務所の対応など、少しずつ歯車が狂ってきたように思います。
国民感情などを冷静に判断した上での決定なら良いでしょう。でも、ネットの群衆たちに、押し切られた形であったとするなら、それは残念なことにも思えます。
エンブレムをデザインした佐野研二郎氏は、自分の不手際を認め謝罪しつつも、激しいネット上の誹謗中傷に耐えられなかったとも語っています。
<五輪エンブレム使用中止決定から考えるネットの「集合知」とネットコミュケーションの心理学>
■専門家の意見
今回の件は、法的には問題ないと説明されています。また、デザイナーの専門家の目から見れば問題ないとも言われています。そして、それでも世論が納得しないと説明されています。
法的問題はなく、またデザイナーの目から見ても問題ない。でも、その意味合いは、私たちにはど届きませんでした。専門家が、自分の意見をみんなにわかってもらえるように伝えることは、難しいことです。
これは、放射能問題のときもそうでした。専門家は専門家同士の話し合いは得意なのですが、専門用語や専門分野内の約束事、「常識」をしらな一般の人にわかりやすく話すのは、慣れていないのです。
今回あったような、素材の無断流用はもちろん許されません。けれど、デザインの類似性はどうなのでしょう。やはり佐野氏の作品には問題があるのか、それともこの種の類似性は他のデザイナーの作品でもよくあることであり、問題にならないことなのか。毎日の膨大な報道を見ていても、結局よくわかりません。
■フラット化した社会で
ネットには自由な文化があります。それぞれの立場を超えて、自由に話せる雰囲気があります。また日本社会全体で、以前に比べれば上下関係などうるさく言わなくなりました。現代は、権威の力が弱っている、フラット化した社会と言えるでしょう。
ネット上では、膨大な情報があり、しかもその情報を、瞬時に共有できます。事実を確認するという点では、みんなの力で事実確認ができる「集合知」の力は偉大です。
しかし、その情報をどう解釈するかは、土台となる知識や長年の経験が必要だったりします。
このデザインや画像と、別のところにデザインや画像がとても似ている、あるいは完全に一致したということろまでは、私たちは確認できます。でもそれが、どんな意味を持つのかは、判断できない部分があるでしょう。
素人も、直感的にはある判断をします。そのような素朴な市民感覚も大切です。でも、素朴な感覚だけでは判断できないこともあります。
このような情報にあふれたフラット社会だからこそ、専門家には単なる知識の切り売りではない深い判断力が求められます。さらに、その判断をわかりやすく伝える技術も必要とされるでしょう。
■三者それぞれのの責任
専門家は、一般の人々にわかりやすく伝える責任があると思います。
マスメディアも、専門家と視聴者読者の間に立って、「通訳」の役割を果たすべきときもあります。またネットユーザーの声を適正に報道し、視聴者読者をミスリードしないことも求められるでしょう。ネットで積極的に発言している人は、必ずしも標準的なユーザーでない場合もあるでしょう。
そして私たち一般ユーザーも、ネットリテラシーやメディアリテラシー、科学リテラシーを持つことが求められています。ネットの情報や報道内容や専門家の意見を正しく解釈できるように、努力する必要はあるでしょう。
権力に負けてはいけません。自由な議論が止められてはいけません。しかし、権威(オーソリティー)の話を落ち着いて聞くことも時には必要ではないでしょうか。
今度、新しい五輪エンブレムの選定が始まります。オリンピックエンブレムも他のデザインにおいても、画像検索をかければ似たものを見つけることはあるでしょう。そのとき私たちは、どう行動するのが正しいのでしょう。
ネットの集合知を、正しく活用したいと思います。不正とは戦いたいと思います。そしてネットによる暴力的集団リンチなどは、避けなければならないと思います。
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- 9/2 TOKYO FM の番組「TIME LINE」内の電話インタビューで、上記のようなお話をしました。インタビュアーは、ちきりんさんでした。
*国際的な調査によると、「夢」や「希望」「理想」などの言葉には、日本も他国の人々も肯定的な評価をしました。ところが、日本と他国で大きく評価が異なった言葉が、「権威」でした。日本では、評価が低かったのです。その理由の一つに「権威」と「権力」の混同があるでしょう。また、「権威」と表現すると否定的に感じても、「オーソリティー」と表現すると評価は高まりました。