トンボの秘密 ―阪神園芸さんの真髄、ここにあり―
■トンボって・・・?
「トンボ」―。といっても、赤トンボやシオカラトンボの話ではない。棒の先に水平な板が付いたもので、荒れたグラウンドを均す。形が昆虫のトンボに似ているから、そのまま「トンボ」と呼ばれている。おもに野球場の土を整備するために使われる道具だ。
練習後はもちろん、試合中の三回、五回、七回にグラウンドキーパーさんが出てきて、トンボでグラウンドを平らに整備する。ボコボコになったグラウンドが綺麗に整えられていく様は、まるで魔法の杖を使っているようだ。
このトンボをかけられるようになるには相当な訓練が必要で、なんと早くて2〜3年の年月を要するという。むしろ、素人から見ると難しそうに見える整備用トラクター「バンカーエース」は、普通車の運転免許さえあれば、数日から数週間で乗れるそうだ。意外!
甲子園球場の整備を司る阪神園芸さんの運動施設部・整備第一課の金沢健児課長によると、「バンカーはルートさえ覚えれば大丈夫。まぁ、最初の頃はお客さんがいると緊張はするけど。ボクなんか初めての試合で乗ったから」とのこと。
それより本当に難しいのが「トンボかけ」だという。
「ただスパイクの穴を埋めるだけだったら、野球経験者ならできる。でもたいてい同じ方向から土を持ってくるから、ある場所は高く、ある場所は低くと凹凸ができてしまう」。
凹凸があるとイレギュラーしやすいのはもちろん、雨が降ると水が溜まりやすくもなる。それを凹凸がないように、さらにマウンドから外側に向かう緩やかな傾斜に沿って整えていく。大きな傾斜ではないだけに、より難しいそうだ。
かけ方は、トンボで土を引っ張っては戻す。押し引きで少しずつ土を寄せながら、低いところに土をかぶせて穴を埋めていく。試合後の荒れた状態の時は、押して引っ張ってを繰り返す。より荒れた状態…例えば高校野球の4試合終了後などは、「ずーっと何メートルも土を引っ張ってきて、低いところにあける」という作業を延々続けなければならない。
金沢課長によると、一番重要なのは「見る目」だそうだ。測量されたベースの軸を0として、それを基準にマウンドに向かって高く、外に向かって低く、そして凹凸なく、だ。これは熟練の目でしか測れない。だからトンボかけを任されるようになるまでは、早くて2〜3年かかるという。
その昔、金沢課長が入社した頃は人数も少なく、それぞれの“担当の場所”というのがあったそうだ。
「上手い人は『○○さんのやる場所は水が溜まらん』とか言われたりしていたなぁ。ベース周りは土が減るから、年数が経った者しかできんかった。ピッチャーマウンドやバッターボックスも。若い頃なんか、そんないいところはさせてもらえなかった。試合中は一番遠いショート。でも逆に、試合後はショートが一番荒れるから、そこはベテランの役目になる」。
今は人数も増え、交代で休みをとるので、どこでもできなくではいけないということで“担当制”ではなくなったそうだが、「責任感が持ちにくくなる」と金沢課長は当時が懐かしそうだ。
■トンボは手作り
さてそのトンボ、各自で作っているということをご存じだろうか。阪神園芸さんに入ると、数ヶ月経った頃に「マイトンボ」を製作する。長い柄の部分の先に「歯」と呼ばれる平らな板をくっつけるのだが、「歯」に開けた穴に合わせて柄の先を調節し、楔とL字金具で固定する。
次に「歯」をカンナで削る。角度を出すのだが、この角度が最も重要なのだそうだ。自分の身長に合わせて、よりかけやすい角度を見出さねばならない。
また、使っていくうちに変形してくる。力が加わる真ん中部分はヘタッってカーブ状になる。それでは土が引っ張れなくなるので、両サイドを削る。つまり一度作っても、その後もずっとメンテナンスが必要なのだ。もちろんそれらも全て自分でやるのだ。
そしてトンボかけだが、試合前のシートノックが終わった後、試合中の三回、五回、七回、そして試合終了後に行う。まず試合前は、試合中よりしっかりめに均す。試合中はスパイクの跡をなくすよう、少しでもイレギュラーが出ないよう意識して均す。
しかしこれらは、金沢課長曰く「化粧直しみたいなもの」で、最も大事なのが試合後だ。「そこが一番のメインで、大勢の人数で15分以上トンボをかける」と話す。試合中に撒いた水が残った状態なので「湿っているから混ざりやすい。乾いた土だと締まらないので」というわけだ。ここで存分に均しておいて、翌日に混ぜたり固めたりの機械的な作業をするという。
精魂込めて整備していても、イレギュラーすることもある。
「ドキッとするね。ランナーが走ったところは仕方ないと思えるけど、有り得ないところで跳ねたりしたら、『あ〜っ』と思う」。
特に雨用のシートを敷いた後などは自然の水が入らないので、その後にいくら水を撒いても跳ねやすいのだそうだ。
「そういう時は、より意識して整備をしっかりするようには心がけている」。
さすがである。そんな阪神園芸さんの仕事ぶりには「土のグラウンドの球場ではナンバーワン。普通は走路のところが柔らかくなって下がるけど、それがない状態にいつも仕上げてくれている。ありがたいです」と、最も荒れるというショートを守る鳥谷敬選手も、感謝の言葉を口にする。
■好プレーの影の立役者は阪神園芸さん
今年の夏も高校野球で盛り上がった甲子園だが、高校野球の場合、プロとは事情が違ってくる。1日4試合あることや余分な動きが多いことなどから、足跡もかなり多いそうだ。それに加えて、整備にかけられる時間が短い。
「イレギュラーしそうな場所は、よりしっかりと意識して作業する。イレギュラーは1コでも減らしたいから」。
球児たちの晴れの舞台を、金沢課長も温かい思いで見守っていた。
そして9月。プロ野球のペナントレースも佳境に入ってきた。正念場となる対読売ジャイアンツ、対広島東洋カープの6連戦は甲子園球場で迎え撃つ。その戦いを、阪神園芸さんも最高の形でバックアップしてくれる。