“ジャニーズの亜種”風間俊介が『映画 鈴木先生』で魅せる実力
『映画 鈴木先生』の「自覚的に壊れている存在」
『映画 鈴木先生』が、それまでのドラマ版と異なるのは、そこに風間俊介の姿が見られることだ。
風間が演じたのは、無職で引きこもりがちの青年・ユウジ。自宅にも居づらくなっている彼は、学校そばの公園で中学時代の同級生だったミツル(浜野謙太)といっしょにタバコを吸う日々を送っている。だが、ほどなく公園には「不審者出没注意」との看板が立てられ、灰皿も撤去される。ユウジとミツルは、さらに居場所をなくす──。
風間がこの映画で本領を発揮するのは、映画の後半だ。中学時代の制服を着て学校に侵入したユウジは、ヒロインである小川蘇美(土屋太鳳)に刃物を向けて、引きつった笑顔でこう言う。
「いまから君をレイプします」
原作者の武富健治は、単行本11巻に渡るこの連載の集大成としてこのエピソードを描いたと述べる。たしかに教師と生徒を中心に描いてきたこの作品において、ユウジの存在は異質だ。卒業生である彼は、「そうなってしまうかもしれない、普通の生徒のその後」を意味し、同時に鈴木先生(長谷川博己)とコインの裏表のような存在でもある。
ユウジは、自覚的に壊れている存在だ。「普通の生徒のその後」を反面教師的に在校生に見せつけようとする。つまり、理性的に感情的である。
そうした人物の姿を、我々は過去にいくつも見てきたはずだ。通り魔事件など無差別殺傷事件において、こうした犯人像は少なくない。それらの事件は「間接自殺」とも呼ばれるように、犯人は死刑を目論んで意図的に凶行に及んでいる。ユウジは、完全にこのタイプだ。
風間は、このような存在を十分に理解して演じている。侵入した教室内で静かに座っていた彼は、突然空気を引き裂くように声を張り上げる。それは、人間が自爆スイッチを押した瞬間だ。その際、ユウジは淡い表情しか見せない。怒声を張り上げるときも淡い怒りの表情であり、小川蘇美にレイプ予告するときも淡いほほ笑みを浮かべている。自爆スイッチを押したものの、感情は完全には傾いてはいない。そこに一片の理性が見て取れる。
そうした演技は、風間の想像力が可能にしている。彼は、ユウジをこのように捉えている。
映画やドラマを観たとき、我々はしばしば「この俳優以外に誰が適役かな」などと考える。しかし、稀にそれが一切思い当たらないキャスティングに出合うこともある。風間俊介が演じた『映画 鈴木先生』のユウジは、まさにそういう役だった。
『金八』と『それでも、生きてゆく』の経験
思えば風間俊介は、クセのあるキャラクターをしばしば演じてきた。
最初に注目されたのは、1999年から2000年にかけて放映された『3年B組金八先生 第5シリーズ』だった。1983年生まれの風間は、このときまだ16歳。演じたのは、クラスを影で支配する優等生・兼末健次郎だった。兄が引きこもり状態の崩壊家庭で生活する健次郎は、物語の終盤では家庭内での傷害事件にも巻き込まれ、警察に逮捕される。
『金八』には必ず「ジャニーズ枠」があるが、風間もここで起用された。そう、彼は意外にもジャニーズ事務所所属なのだ。しかし、その存在感は従来のジャニーズには見られない異質さを放ち、強い印象を残した。
その後、風間は舞台を中心に活動を続けてきたが、久しぶりに大きな注目を浴びることとなったのは2011年の7~9月に放映されたドラマ『それでも、生きてゆく』(フジテレビ)だった。
坂元裕二によるオリジナル脚本のこの作品は、ある事件をめぐる加害者家族と被害者家族のその後を描いた物語だった。その事件とは、中学生の少年が就学前の幼女を殺すというもの。この作品で風間が演じたのは、少年院を出所し、成人して名前も変えて生活している元少年Aだった。おそらくそのヒントとなっているのは、97年に神戸で起きた少年による児童連続殺傷事件、いわゆる「酒鬼薔薇事件」である。
『それでも、生きてゆく』も、民放のテレビドラマとは思えないほど骨太な内容だった。登場人物は加害者側も被害者側も、みな過去の事件の傷が癒えず、苦悩を抱えてもがきながら生きている。なにより凄まじかったのは、元少年Aを徹底してモンスターとして描ききったことだ。
物語の終盤、それまで更生しかかっていたモンスターはまたもや本性を現してしまう。それは、本人にも止めることのできないことだった。モンスターは決して自らの欲求を抑えられず、他者への想像力も根源的に欠落している。
風間は、この難しい役も見事に演じ切った。元少年Aは、感情はほとんど表に出さないものの、他人との会話は一見普通にできる。しかし、そもそも壊れている彼は、その状態のまま社会を生きているだけだ。ゆえに、当たり前のようにふたたび道を踏み外し、反省もしない。彼は当たり前のように壊れている(註1)。
意図的に壊れる『鈴木先生』のユウジの姿は、風間が過去にやってきたこのふたつの仕事を思い出させる。もちろん、この3人は同じタイプではない。しかし、『金八』の健次郎や『それでも、生きてゆく』の元少年Aの経験を通して、風間は社会から逸脱してしまう存在と入念に向き合ってきたはずだ。『映画 鈴木先生』での見事な演技は、この積み上げられきたこうしたキャリアによるものである。
『純と愛』のひとの本性が見える青年
こうした風間俊介は、自らを「ジャニーズの亜種」だと認める。確かにその存在は珍しい。アイドルグループにも属さず、舞台・ドラマ・映画でひとり俳優の道を歩み続けてきた。
さらに風間は、自身のことを「どにでもいそうな普通の感じ」だと認識する。たしかにジャニーズにしては特段の美男子でもなく、身長も公称164cmと小柄だ。しかし、その普通な印象のまま突飛な役をやるから面白がられていると自覚している(註2)。それは非常に的確な自己分析だろう。
そんな風間が現在出演しているのは、NHK・朝の連続ドラマ小説『純と愛』の待田愛(いとし)役である。これもまた一風変わった役だ。
当初は、ヒロインである純(夏菜)の前に現れ「あなたはあなたのままでいてください」と勝手に進言するストーカーのごとき存在だった。ひとの本性が見えるという特異な能力を持つ彼にとって、表裏のない純は魅力的な存在に映ったのだ。そして、いつしか両者は急接近し、物語の序盤ですでに結婚する。
そもそも『純と愛』が、朝の連ドラではとても珍しいタイプの作品だ。周囲と同調することなく我が道を行くヒロイン・純は、就職したホテルも、実家のホテルも再建することにことごとく失敗。ここまで何も成し遂げられないヒロインは珍しい。現在は、古びた旅館で働いてる。
そしてなにより、登場人物が奇人変人ばかりなのが特徴だ。純の父親(武田鉄矢)は姑息な小市民、兄(速水もこみち)はひたすら女好きのダメ人間。愛の母親(若村麻由美)は鬼のように強圧的な弁護士で、妹(岡本玲)はひとの臭いに敏感でいつもマスクをしている。現在、純が働いている旅館も、ワケありな過去を抱えてそうな者ばかりが集まっている。
そんななかで愛は、専業主夫として純を献身的にサポートする毎日を送っている。家事全般が上手く、仕事から帰ってきた純の面倒を甲斐甲斐しく看る。つまり、そこで描かれているのは、旧来の性別役割分業の完全な逆転だ。
とは言え、愛も抱えていることがある。愛は、17歳のときに双子の弟を亡くしているのだ。しかもその弟の名は、純。愛がひとの本性が見えてしまうようになったのも、弟が亡くなってからだ。彼は常にその影を引きずっている。
中盤から終盤に差し掛かったこの物語がどのような決着を見せるかは、いまのところまったくわからない。しかし、愛が抱えている弟・純の存在は、まだ解決されていない大きな要素のひとつである。今後は、弟・純を亡くして以降、分裂状態になっている街田家がいかに収束していくかがひとつのポイントとなるはずだ。
自分の影となっている双子の弟を、愛はどのようにして乗り越えていくのか。風間の演技力は、きっとその際に凄まじく発揮されるだろう。それが楽しみでならない。
- 註1:『映画 鈴木先生』の河合勇人監督は、この作品を観たことがきっかけで、風間にユウジ役のオファーを出したという(映画「鈴木先生」製作委員会編『映画 鈴木先生 オフィシャルガイド』双葉社/2012年)。
- 註2:NHK・Eテレ『ドラマチック・アクターズ・ファイル「風間俊介」』2013年1月22日放送。