えっ? 北による韓国人銃殺は「親日勢力のせい」? 文在寅大統領も知る”炎上屋”の正体とは
また韓国から過激な言葉が飛び出した。
9月26日の元国会議員の声明が大手保守系メディアの猛反発を生んでいる。
「韓国人が北朝鮮によって銃殺されたのは、親日派のせい」
えっ? 日本が関係ある?
- 言葉の主、キム・ウォヌン氏。今年8月15日の演説時の様子
9月23日に情報が明らかになった「北朝鮮領海上での韓国人銃殺事件」に関するものだ。47歳の公務員(漁業指導員)が21日昼頃に失踪。北朝鮮領海で北側によって銃殺されていることが発覚した。
【全文】”異例”北朝鮮の「韓国人銃殺謝罪文」を読み解く。”連絡来た”だけで喜べない「南北の食い違い」
発言は、日本統治下の独立運動家の活動を伝える市民団体「光復会」(1965年設立)のキム・ウォヌン(金元雄)氏によるもの。声明のかたちで発表された内容に対し、「朝鮮日報」「中央日報」など主要保守メディアが猛反発している。
今年の8月の日本統治からの解放記念日にも「親日墓暴き」の発言が不適切とされた人物だ。いったい、どんな内容だったのか。なぜ日本が出てくるのか?
親日勢力とは「分断に寄生」「民族を離間させてきた」もの
日本語で訳すと500文字余りの短い文章。前半部分に「親日派」の言葉が登場した。そして北朝鮮への批判と評価、文在寅大統領への称賛と続く。全文を紹介する。
最近の越北者(北朝鮮への亡命者)殺害事件について
「敵対と不安の時代、終息しなければ」
最近の越北者殺害事件は、全国民が胸を痛める出来事であった。今回の不幸は、解放後の累積された南北不信と敵対の産物でもある。これまで親日に根を置き、分断に寄生して存在してきた勢力が、常に民族を離間させ、外勢(外国の勢力)に同調しながら積み重ねてきた不信感。これが今回の不幸の根本的な原因である。
強大国中心の覇権主義が機能している国際政治のかたちの中で、自主的な道を模索しようとする文在寅政府の努力に(対し)、北朝鮮がより積極的な姿勢で臨まないことも、南北敵対解消を遅滞させている。
今回の事件により国民の不安感が高まっている時点において、北朝鮮の金正恩委員長が「文在寅大統領と南側同胞たちに大きな失望感をより与えたことについて非常に申し訳ない」と謝罪と遺憾の意味を表したことは、意味あることと受け止める。
独立運動家たちが夢見た国は、外勢による分断に便乗した勢力が権力を握って、同胞どうしが銃剣で戦う国ではない。
最近、文在寅大統領が国連総会のビデオ演説で「終戦宣言」を提案したのは、独立運動の精神を受け継いでいく努力として高く評価する。
「敵対と不安の時代の終息」と、わが民族同士仲良く平和に暮らす国を作っていく私たち独立運動家とその子孫は、力を合わせていくのだ。
2020. 9. 25
光復会会長 キム・ウォヌン
- 発言の主キム・ウォヌン氏。今年8月15日の演説時の様子。
”親日勢力のせい”とは?
いったいこの人物、何を言っているのか。「親日勢力」に言及した部分は以下の通りだ。
「今回の不幸は、解放後の累積された南北不信と敵対の産物でもある。これまで親日に根を置き、分断に寄生して存在してきた勢力が、常に民族を離間させ、外勢(外国の勢力)に同調しながら積み重ねてきた不信感が、今回の不幸の根本的な原因である」
同じ民族がふたつの国に分かれるという状況にある。その対立をより色濃くしているのは「日本と仲良くしよう」としてきた層だ。つまり建国後97年12月まで実権を握ってきた右派・保守の層。日本統治下時代から権力に近い位置にあり、その後も甘い汁を吸い続けてきた。
彼らが既得権益を得ていくためには、「分断」という状況は有利だった。これは朴槿恵前大統領の父、朴正煕元大統領(在任時期1963-79年)の「開発独裁」などに見られる。北との対立に勝つために「民主化よりまずは経済開発」というやり方を採った。
また自分たち民族のことよりも外国のこと(米国や日本)を気にかけてきたことが、北からの不信感を呼んだ。同じ民族たる北朝鮮の体制が最も恨むのは「帝国主義者」なのに、親日勢力(保守・右派)はそこと結託しようとしている。どこを見て、物事を考えているのか?
だから、今回みたいなことが起きるのだ――。
そういったところだ。
じつのところ、直接的な原因は「韓国側の海上での国境警備の落ち度が甘く、北の領海への侵入を許してしまった」というところだ。
だいぶ話が飛躍しているようにも見えるが、あえて言うなら「韓国の極端な層(左派)の考え方が分かる」というものでもある。直接的な反日というより、「反日を利用して国内の対立層を貶めようとする」という趣向の考え方だ。
この人物の正体は「転向者」
では、このキム・ウォヌン氏、どんな人物なのか。発言は、前述の通り主要保守メディアに採り上げられており、注目を集める人物であることには違いがない。
発言自体は分かりやすい極端な左派のそれだ。
正体は「転向者」。「一度保守に転向し、再び極端な左派となった人物」だ。
1944年、中国四川省重慶の生まれ。抗日運動を繰り広げる両親の下に育った。両親は解放後まもなく韓国に戻り、本人は幼少期から少年時代を大田で過ごす。ソウル大学政治学科に入学後、中国政府の奨学金制度を活用し中国への留学も経験。また学生時代には朴正煕政権による日韓基本条約締結への反対運動に加わり、投獄された経験もある。
1992年に左派政党から出馬し、国会議員として初当選。最初の任期では、1995年に日本統治下の影響の残る「国民学校」(日本では小学校に相当)の名称を「初等学校」に変更する法案を通した。しかし1996年の総選挙では落選を喫してしまう。その後、盧武鉉元大統領らとソウル市内で焼肉屋の経営に取り組む時期もあった。
1997年に所属の左派政党が保守のハンナラ党に吸収合併された。2000年の総選挙では本人はハンナラ党から国会議員に立候補。当選し、保守系統の国会議員となった。しかしその後、党代表の民族和解協力への反対姿勢、そして既得権益層の保護に反発し、党内の主流派から外れる。2002年、大統領選挙前には左派の盧武鉉候補の支持を表明し、党を脱退した。
両親のバックボーン、そしてこのときの経験が「猛烈な保守派批判」となっているのだ。
議員返り咲きから引退、そして「炎上屋」へ
盧武鉉大統領誕生後は、北朝鮮に特使として派遣され、03年に済州島で行われた分断後最大の南北共同行事「民族平和祝典」開催合意などの役割を果たした。
04年の総選挙では左派政党に鞍替えし、再び当選。任期途中の07年に大統領選への出馬を目指したが、これが叶わず。08年の任期終了を最後に国会議員の座を引退した。
その後は江原道で農業に従事。隠遁生活を送っていた。いっぽうで2017年には、Twitterで文在寅政権が米韓同盟を尊重する動きを見せるや、これを批判する姿勢を見せた。
2018年頃からは再び政治活動に色気を見せ始めたようで、まるで革新系与党の「アンプ」のように極端な左寄りの発言を繰り返し、注目を集めるようになる。「炎上屋」として立ち回り始めたのだ。
2018年12月のセミナーでの発言には、保守系「朝鮮日報」などが猛反発した。
「朴槿恵を好きな人より金正恩を好きな人がはるかにいい。天皇に犬のように忠誠を誓うと血書を書いて(当時の朝鮮人による)独立軍討伐の前線に立った人の家で育った朴槿恵より、日帝強占期に抗日闘争した独立運動家の家門で育った金正恩のほうがましだ」
さらにこんな発言も。
「共産党が好きだ」
これは韓国の「国家保安法」に違反する発言だが、本人は「親日派が作った法律」と悪びれたところを見せない。
2019年にソウルにある光復会の会長選挙に当選。すると味をしめたか、本格的に「炎上屋」としてブレイクする。8月の光復節(日本統治からの解放記念日。これには毎年光復会会長は招待される)の演説で「過去の保守政権は親日政権」と発言。一部メディアが問題視し「プチブレイク」。ここで文在寅大統領と挨拶を交わす写真もメディアに掲載された。
本格的なきっかけは 翌2020年の8月15日の「光復節」でのスピーチだ。
- 8月15日の演説後、KBSのニュースに出演するなど「ブレイク」を果たした
李承晩元大統領を「親日派」として批判。また国立墓地に多くの親日派が眠っているとして、「墓暴き」を主張した。
これに対し、「公式行事で個人的見解をぶちまけた」として保守メディアから袋叩きにあった。また国務総理室配下の国家行政機関「国家報勲処」からも口頭で注意を受けた。この機関は「愛国者と退役軍人のための政策立案と実施を行う」場所。やりすぎとの意見が出たのだ。
9月にはこの発言で注目を集めた。
「韓国国歌をもっと愛国的なものに変えるべき。作曲者は民族反逆者なのだから」
一連の発言に対し、文在寅大統領の出身政党でもある左派与党「ともに民主党」からは、反対する意見も出ている。ただし党代表のイ・ナギョン氏は「墓暴き演説」について「多くが思っていることではないか」と擁護。また国内からの批判に対するキム・ウォヌン氏本人の反論を党から発表するなど、味方につく姿勢も見せている。
「炎上屋」の働きぶりに感謝する面もあり、というところか。
”極端な人物”に見る現代の韓国
日韓関係にとって2020年10月のこの時間とは、12月にも予想される「徴用工判決による現金化」を刻一刻と待つ時間でもある。
平たく言い換えるなら「一度、大きく壊れるのを待つ時」。
“日韓戦争”とも言われた8月には結局韓国側からの大きなアクションはなく、状況の変化は起きなかった。さらに9月の日本の菅政権誕生後も両国政権は「挨拶を交わす程度」だからだ。
すると、今回のような「極端な左寄り(のような)話」というのは、もはや当座の本筋からは外れるものだ。
ただ筆者自身、2020年の韓国を眺めてきて、この人物の特異性はある意味、韓国の時代性を象徴しているようにも感じた。
見ていてこちらも息苦しくなるような左右対立。その先にある日本という存在。国内の権力闘争あるいは既得権益層攻撃のために引き合いに出されるのだ。今回のような「北朝鮮による自国人射殺」の際にも。
そんな韓国にあって、圧倒的な権力を持つ側に付きながら、日本統治下の時代生まれとして存在感を誇示しようとする姿。実績十分の元国会議員が「炎上覚悟」での発言で注目を集める。社会の分裂が進むと本当に息苦しくなる。この点は日本にとってもおおいなるアラートになる。
少なくともこの極端な話からは、2015年以降の日韓関係を揺るがす「極端な左派」の考え方は分かる。「解放後も分断を生み続けている」。つまりは日本統治下時代の話は、いまもなお続いているという考え方だ。