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朝ドラ『ひよっこ』が後半に来て、視聴率急上昇したのはなぜか、岡田惠和の言葉から考える

木俣冬フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人

なぜ、今、『ひよっこ』が注目されてきたのか

朝ドラこと連続テレビ小説『ひよっこ』(NHK 月〜土 朝8時〜)が放送分の3分の2まで来て、俄然、盛り上がり、視聴率は、8月3日(木)放送の105話では23.5%になった(ビデオリサーチ調べ 関東地区)。

『ひよっこ」 は高度成長期、架空の村・奥茨城村から東京に出稼ぎに行っていた父(沢村一樹)が行方不明になり、代わりに東京に働きに出てきた主人公・みね子(有村架純)。「泣くのはいやだ笑っちゃおう」という、当時放送されていた人形劇『ひょっこりひょうたん島』の歌詞に倣うように、悲しいことがあっても笑ってやり過ごそうとするみね子と、彼女を取り巻く、家族や隣人たちの物語。

父が行方不明になって2年半、ついに、見つかったものの、記憶喪失になって、女優・川本世津子(菅野美穂)の家に身を寄せていたというのが、106話までの流れだ。

ここに至るまでは、ごくごく平凡な女性とその関係者たちの、日々の暮らしを丁寧に描き、大きな事件は起きず、それはそれで心地よいものであった。だが、全体の3分の2まで来て、行方不明の父が記憶喪失で、他の女性と暮らしていたという衝撃的な事件が起こる。ここから先、みね子と家族たちはどうなっていくのか気になってならない。案の定、視聴率も上がってきた。

岡田惠和の作劇術の巧さについては、エキレビ!の連続朝ドラレビューで、私はこう書いた。

前半は快調だが、後半失速してしまうドラマもある中、「ひよっこ」は、前半は飛ばさず、マイペースなスローペースで走りながら、コツコツと登場人物のキャラクターを丁寧に描き続け、彼らに十分、愛着を深めさせたところで、ガツン! と根源的な問題に切り込むドラマチックな展開で、一気にスピードを速めていく。半年間の朝ドラという長距離走の走り方をわかった、健脚・脚本家(略したら健脚本家)・岡田惠和の技に拍手を贈りたい。このへん、増田明美に解説してほしい。

出典:エキレビ! 「ひよっこ」105話。実際のところ、女優とお父ちゃんはどれくらいの関係なのか

その岡田に、今年の1月、このYahoo!個人でインタビューをした。これは、拙著『みんなの朝ドラ』(講談社新書)に加筆修正を加えて掲載しているが、今回、その元になったインタビューの一部を限定公開する。

高度成長期に生きる平凡な女性を、なぜ主人公にしたのか。この時代を、どう捉えているのか。それがわかる発言の数々が、『ひよっこ』を観る参考になれば幸いである。

朝ドラを3度も描くわけ

ー3回目の朝ドラにチャレンジも偉業ですよね(注:岡田は、01年『ちゅらさん』、11年『おひさま』と既に2回、朝ドラを書いている)

岡田「いや、橋田壽賀子先生は4回やられていて、そのうち2回は1年ものですから、通常の朝ドラでいったら6回分ですよ。さらに大河ドラマも2回やっていらっしゃいますから。僕がその域に僕が近づけるとしたら、130歳ぐらいまで生きないといけない気がします(笑)」

ー橋田先生は別格として、それでもすごいと思います。

岡田「僕は基本的には朝ドラが好きなんですよ」

ー朝ドラのスタイルが性に合うということですか。

岡田「ひとつには、同じ人物たちのことを長く描けるのは、朝ドラだけだと思います。例えば、連ドラで、続編、続々編というのも稀にありますが、まず一度、終わらせないとならない。朝ドラにはそういうことがなく、登場人物の日常を半年間書けます。大河ドラマも長いという点では同じですが、“大河”というくらいで時代の変革など大きく派手な出来事の渦中に主人公がいないといけない。それに比べたら、朝ドラはごく普通の人間の生活という、地味な素材が長く書ける。僕はそれがすごく好きで、向いていると自分では思っています」

ー岡田さんは、人と人との関係性を会話で描きながら、お話を間断なく繋げていかれる方で、そういう意味では確かに合っていますね。

岡田「たいていのドラマだと、何人かのひとたちが集まってわちゃわちゃ喋っている場面が10分ぐらい続くと、ちょっと長いっすね……という話になるけれど、朝ドラは大丈夫なんで(笑)」

ー大丈夫なんですか。

岡田「もちろん、それが面白ければですが(笑)。『ちゅらさん』のとき、15分ワンシーンでも面白ければいいよって、そういう実験的なことを楽しんでくれるスタッフに出会えたのが幸いだったのでしょう。むしろ、なんと撮影効率のいい、ありがたい話でしょうと受け止めてくれた(笑)。本来、朝ドラの撮影条件は厳しいんですよ。基本、伝統的なスタジオドラマですから、カーチェイスや登場人物が都内を走り回ることはほぼできない。常に、人が落ち着いている場所……つまり屋内で行われることを描くもので、僕はそれ嫌いじゃないんで」

ーむしろ得意であると(笑)。

岡田「だから、朝ドラを書ける作家さんはたくさんいるとは思うけれど、やれるものなら何度でもやりたいとは思っていて、前々からNHKさんにもそう言っていたんですよ。以前、ドラマ10『さよなら私』(14年)というドラマをやったときに、プロデューサー(菓子浩)やディレクター(黒崎博、田中正)とすごくいい空気でやれたので、今回まったく同じチームでやりたいということも言っていて、そのタイミングが合ったのが、17年の4月期だったんです」

ー以前、あるインタビューで、『ちゅらさん』のときに「あまり難しいことを言わないタイプのプロデューサーとやらせてくださいとお願いして」と発言されていて。作家がスタッフを決めることができるんだというのが印象的だったんです。

岡田「朝ドラと大河は本来、制作部の上のポジションの人が座組を種考えるんですよ。『ちゅらさん』のときは、まず、その上層部の方から、沖縄のドラマをと言われて、僕のルーツが沖縄だったから嬉しかった一方で、深刻な問題も抱えた地域だから、あえてそういう場所でコメディがつくれるようなスタッフとやりたいとリクエストしました」

ー最初に沖縄を題材にと言われたときは、社会問題に関して描いてほしいという要望があったのですか?

岡田「いや、そこまではなかったです。あのときは、はじめて沖縄を舞台に朝ドラをやることが第一でした。ちょうど沖縄サミットがある時期だったんですよね。でも、沖縄を舞台にした朝ドラをつくるとしたら、東京制作なのか大阪制作なのか、その線引きもわからない状態でした。まあ、ふつうに考えたら大阪なんだけど」

ー西ですもんね。

岡田「でも、東京でやりたいっていうのがあったんですよ」

ー東京制作だから沖縄から東京へ行く話になったんですか。

岡田「そうです。大阪制作だったら大阪に行ったでしょうね。でもそれだと全然ふつうなんですよ。最近はわからないけれど、昔は、沖縄からだったら関西圏に出る人のほうが多かったので」

ー沖縄と東京も行き来しやすいことが描けたのも良かったわけですね。

岡田「そうですよね」

ーそれよりなにより、日常で楽しくしている人たちのことを描いたことが大事だった。

岡田「その頃、沖縄をドラマでやるといったら、背負っているものについて突っ込んでいくか、さもなきゃ、海が綺麗な観光地という、その両極端しかなかった。そこへ朝ドラで何か描くとしたら、家族性や人間性に焦点を当てるだろうと考えたところに、『ナビィの恋』という映画を観て、そうか、こういうことなんだよなと思えたのがきっかけで、『ちゅらさん』は始まりました」

ーそうやって沖縄の楽しい家族を描いた後、2回目の朝ドラ『おひさま』では戦争をしっかり描いていましたね。

岡田「朝ドラの場合、最初にふたつ、地域と時代を決めるんです。ヒロインが沖縄返還の日に生まれた『ちゅらさん』は、ある種の現代劇でした。朝ドラというと、まず時代物の印象がありますよね。でも、それまで僕は、現代劇でない作品をただの一度も書いたことがなかったんですよ(笑)。もちろん時代劇もないし、戦中戦後の話もない。だから『おひさま』でもう一回、朝ドラをやるにあたって、一度、時代ものに挑戦してみようと思ったんです。場所を長野に決めたのは、沖縄が母のルーツだとしたら、長野は父のルーツだったから。しかも、偶然にもうちの奥さんのほうのルーツも長野なんですよ(笑)」

ーまずは自分の身近なところから描いていきたい?

岡田「親近感の沸く場所のほうが書きやすい気がしたんです。縁もゆかりもなく行ったこともないところを舞台にした場合、まずそこを好きになっていくところからはじめないと脚本は書けないから、それよりはやっぱりなんらかの思い入れがあるところからはじめるのがいいように思いますね」

ー『ひよっこ』の茨城にもゆかりがあるんですか。

岡田「茨城にゆかりはないですが、親しみはありましたよ。けっこう行くことがあるんですよ。例えば、先日、袋田の滝というところへなぜか行きました。今回、舞台を茨城に決めるにあたって、東北や日本海側の地域の可能性もあったのですが、北関東ってちょっと日本のエアーポケットのようなところがあって、東京のひとのなかでは茨城と群馬と栃木の詳細がわからないひともいるから、そんな茨城を盛り上げたいという気持ちがありました。これまで、沖縄と長野の安曇野を描いたことで地元の人たちが喜んでいただけたので、そういうことがまたできればと」

朝ドラにはパターンがあるのか

ー茨城というと水戸とかつくばが思い浮かびます。もっと行くと福島につながってますね。

岡田「今回設定した時代の茨城は、まだ交通の便も全然よくなくて、東京が遠い世界なんですよ」

ー時代を東京オリンピックの年にしたのはなぜですか?

岡田「戦前戦中戦後すぐの時代は一度やったので、今度は、現代ではないが、自分の記憶にある時代を書きたいと思いました。ヒロインにはちっちゃい弟と妹がいて、僕はその子たちとだいたい同世代になるんです。僕は東京オリンピックのときに5歳ぐらいでした。だから、やがてヒロインが上京する東京に対して、SF的な時代物という感覚ではなく、多少なりとも実感があります。最初、プロデューサーに、昭和40年頃の、高度成長期にちょっと陰りが差してきたあたりを書きたいと提案したら、じゃあ東京オリンピックの年からはじめましょうとなりました。NHKとしては、東京オリンピックものをやるには、もう1年ぐらいあとがよかったんじゃないと思ったけれど(笑)。19年に宮藤官九郎さんで大河ドラマがあるしね。もっとも、『ひよっこ』は、オリンピックの年の話ではありますが、オリンピックは全然出てきません」

ー出てこないんですか?

岡田「ええ。その頃、主人公は茨城にいるんで(笑)。その時代、東京はその頃から一極集中してきて人口が一千万人超えていきますが、茨城の人はその発展の様子をテレビで見ていただけなんですよね。実は当時は、いまの地域格差みたいなものが決定的になっていった時代でもあるんですよ。東京オリンピックのための土地開発で、東京への出稼ぎや集団就職が増えていくなかで、ヒロインの父親も出稼ぎに行って建築現場で働きます。それによって光輝くばかりの時代じゃなかったことが描けます。どうしても高度成長期や戦後復興時代をやると、ノスタルジックに、あの頃はよかった、人が温かかった、みたいな世界が好まれるけれど、僕は昭和をそういうふうにはまったく思っていないんです(笑)」

ー実感として、あの頃は必ずしもいいことばかりじゃなかったと。

岡田「あの頃はみんな温かくて、みんなが前を向いていて、みたいなことは幻想でしかない。本当はいまよりひどかったことがいっぱいあるんです。それこそいまでいう格差も、いまとは違う形でもっとすごかったと思うし、だから、そういうことを省いて、ただノスタルジックに描くつもりはないです」

ーとなると、朝からちょっとひりひりとしたものを感じさせるものになりそうですか。

岡田「いや、そんなにつらい話ばかりにはならないですけれど(笑)。基本的には、東京では祭りが行われていたけれど、日本中がそうだったわけじゃないということは描きたいですね」

ー以前、戦争や震災のことを観たくない視聴者がいるから描き方に注意しないといけないという話を聞いたことがありまして。どこまで描いて良くてどこまでがいけないという明確な決まりが、例えば朝ドラの場合あるんですか。

岡田「ないんじゃないですかねー。時代の陰も描きたいとはいえ、さすがに僕も、朝ドラで『蟹工船』みたいなものを描きたいとは思ってないですし。なんとなく時間帯の意識はあって、トーンを明るくしたい気持ちは理解できます。かといって、みんながハッピーですみたいなことは、やっぱり嘘になるとは思います」

ー先日、大森寿美男さん(『てるてる家族』)に取材したら、幼馴染と結婚する、みたいなパターンはそれとなくあると伺ったのですが、岡田さんは『おひさま』でそれをやらなかったですよね。

岡田「描くこと描かないことにはなんとなく決まったパターンがあるのかもしれませんが、それを踏襲するかしないかは、それぞれの考え方だと思いますね。例えば、僕の描いた『ひよっこ』のプロットは、茨城の農家に生まれたヒロインが、父親が出稼ぎに行ったきり行方不明になってしまったため、集団就職して上京する。トランジスタラジオを作っている工場に入るがそこも倒産して……と、それだけ読むとすごく負な(笑)。でも、とくになにも言われなかったですよ」

ー昭和の高度成長を、登場人物がどう捉えるか、それを岡田さんならどう描くか楽しみたいですね。

岡田「同じような時代で、『ALWAYS 三丁目の夕日』(05年)というある種の陽な部分を描いた代表的な作品があります。また、ドラマ化もされた『オリンピックの身代金』(ドラマは13年)という小説は、影の部分を描いています。陰陽そろって完全なんじゃないですかね。両方とも真実であり、片方だけだったら嘘なんじゃないかという気がしますね。求められがちなノスタルジーでつくっちゃうと何かを見誤っちゃうように思えて。美術や小道具の再現にしても、レトロで可愛いみたいなふうにしがちだけれど、当時はあれが最先端だったはずで。決して懐かしく可愛いというコンセプトでできあがってないものを、いまの感覚で、なんか可愛いよね、おしゃれだよねって見えるようにつくっちゃうと、全部が伝えきれない気がして。そういうことと同じで、なにか最近、基本的に、未来は暗いほうに向かっているって思いがちだけれど、それも嘘だなあって気がしているんですよ」

ーそうですか。

岡田「なんか、その、みんながそう思っていたらそうならないよねって感じもあるし。だからその、昭和に対して、懐かしさや失われていくものへの愛情や郷愁があっても、そこに戻りたい気持ちは僕にはまったくない。なんかそうなっちゃうと閉じちゃうんじゃないかなと思う」

ーどんな話になるのか、すごく楽しみになってきました。すばらしくいいお話をしてくださっているのにまたくだらないことを聞くんですけど、決め台詞みたいなのはあるんですか?

岡田「ないですね。僕はドラマで1回もそういうものを書いたことないんじゃないかな。ないといえば、ちょっと前に、ヒットの3原則みたいなことが日経だかなにかに書かれていて、“戦争”と“実在の人物”と“女性の成功物語”だったかな。わ、3つとも『ひよっこ』にねえやって思いました(笑)」

ー成功しないんですか?

岡田「別にビジネスとかなんとかで成功しない。金に関する話もないですしね」

ーそこから背を向けられたわけですね。岡田さんはそれこそ、以前、連ドラで『若者のすべて』(94 年)や『彼女たちの時代』(99年)など、都会の片隅に生きる若者のドラマを書かれていて、『ひよっこ』はそういうものに近いのかなと。

岡田「そうですね。ほんとにふっつーの女の子の話ですよ。朝ドラの見方が、『あまちゃん』(13年)でいろいろ変わったでしょう。つまり、『あまちゃん』をどう捉えるか。僕は、特例だと思っていて、意識しないようにしようと思っています。あれをある種の成功パターンとして追いかけると、苦しいよね。あれは宮藤官九郎くんという才能がないと紡げないと話ですから。そうなると、そこを追いかけるよりも、過去にあった本流に回帰しようとしている印象はありますね」

(『ちゅらさん』『おひさま』そして『ひよっこ』。3度目の朝ドラでは昭和の光と影を描く 脚本家・岡田惠和 2017/1/28  Yahoo個人で公開)

岡田の発言を読むと、確たる信念の元に『ひよっこ』の時代や主人公の設定を描いているのが、放送が3分の2進んだ今だからこそ、いっそうわかる。

朝ドラとは何なのか、朝ドラで描かれてきた女性の生き方と、その時代(ドラマの時代と放送された時代)を俯瞰することで考察しようと試みたのが、拙著『みんなの朝ドラ』だが、岡田の発言から、本来、朝ドラがもつ役割の一端が見えてくる気がする。それは、有名、無名も、幸も不幸も関係なく、日本のある時代に確かに生きた女の、多様な姿なのだ。

PROFILE

Yoshikazu Okada 1959年2月11日、東京都生まれ。脚本家。90年にデビュー、94年『若者のすべて』で、連続ドラマで初のオリジナル作品執筆、以後、人気ドラマ、映画の脚本を数多く手がける。主な作品に、連続テレビ小説『ちゅらさん』『おひさま』、『ビーチボーイズ』『彼女たちの時代』『銭ゲバ』『最後から二番目の恋』『泣くな、はらちゃん』『スターマン・この星の恋』『さよなら私』『ど根性ガエル』『奇跡の人』、映画『いま、会いにゆきます』『阪急電車 片道15分の恋』『県庁おもてなし課』『世界から猫が消えたなら』、舞台『スタンド・バイ・ユー〜家庭内再婚〜』など多数がある。向田邦子賞、橋田壽賀子賞などを受賞。NHKFMで『岡田惠和の今宵、ロックバーで、〜ドラマな人々の音楽談義』のパーソナリティーをつとめている。『奇跡の人』は平成28年度、文化庁芸術祭賞大賞を受賞した。

9月には、脚本を書いた舞台『ミッドナイト・イン・バリ~史上最悪の結婚前夜~』が上演される。

フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人

角川書店(現KADOKAWA)で書籍編集、TBSドラマのウェブディレクター、映画や演劇のパンフレット編集などの経験を生かし、ドラマ、映画、演劇、アニメ、漫画など文化、芸術、娯楽に関する原稿、ノベライズなどを手がける。日本ペンクラブ会員。 著書『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』、ノベライズ『連続テレビ小説 なつぞら』『小説嵐電』『ちょっと思い出しただけ』『大河ドラマ どうする家康』ほか、『堤幸彦  堤っ』『庵野秀明のフタリシバイ』『蜷川幸雄 身体的物語論』の企画構成、『宮村優子 アスカライソジ」構成などがある

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