「スタジオがもぬけの殻になっていて……」吉高由里子「もののあはれ」の境地に至る 「光る君へ」最終回
吉高由里子インタビュー
脚本に(えーい言ってしまえ。の心)と注釈が書いてあった
大河ドラマ「光る君へ」(NHK)がいよいよあと1回を残すのみ。第47回のラストは、まひろ(吉高由里子)に倫子(黒木華)が問いかけた。
「わたしが気づいてないとでも思っていた?」
道長(柄本佑)のソウルメイトまひろと嫡妻・倫子がついに全面対決かーー?
道長はまひろ一筋であったが、家の存続繁栄のため家柄のいい倫子を嫡妻にした。でもまひろへの思いが捨てられず、関係を結び、賢子という子どもまで成した。
身分上、妾になるしかなかったが、それだけは拒否し続けたまひろ。道長との関係を秘密にしてきたわけだが、最後の最後で倫子との場面を吉高由里子は何を思ったのだろうか。
「倫子は、まひろにとって初めてできた女友達でした。身分の違いを気にせず、まひろをサロンに招いて、偏継ぎ遊びなど、知的な遊びを教えてくれたある意味恩人でもあります。道長だって、倫子がいたから出世できて、ひいてはまひろが内裏に上がれるようになったのですから。
若い頃土御門殿で過ごす時間はまひろにとって、とても楽しい時間だったと思います。ただ、そこで身分の差のコンプレックスも大きくはなっていって……。昔からお姉さんのように慕っていた倫子と同じ人を好きになってしまった苦しみ、結婚した道長と関係をもった後ろめたさもあったと思います。第47回の時点では、倫子も気づかないわけがないだろうと思いながら、言うタイミングを逸してしまっていて、そんなときに『わたしが気づいてないとでも思っていた?』と聞かれたらギクッとなりますよね」
そして、最終回――。
「ふたりの会話はたぶん、視聴者の皆様の反響が大きいのではないでしょうか。脚本に(えーい言ってしまえ。の心)と注釈が書いてあったとあるセリフを言います。そうだよね、ここで逃したら、一生嘘をつき続けることしかできなくなっちゃうから、たとえ嫌われて二度と会えなくなるとしても……と覚悟しながら言いました」
「光る君へ」のクランクアップを終えての取材の場に現れた吉高由里子の髪の毛は明るい茶色になっていた。
「現場が終わり、すごく寂しい気持ちもありますが、その反動で髪をちょっと明るくしたいなと思って。一年半、平安時代の重たい黒髪ロン毛で過ごしてきましたから」
大事にしてきたものを切り落とされる瞬間を私も見届けたい
吉高が演じたまひろのソウルメイト・道長役の柄本佑は役のうえで剃髪した(第45回)。吉高はその場面を見学したそうだ。
「その日、自分のシーンは終わっていたのですが、セットに残って剃髪のシーンを見ました。柄本さんは2年間かけて髪の毛を伸ばしていて。髻(もとどり)を結うのをすべて地毛でやるということはそれだけ気持ちもすごく入っているでしょうし、大事にしてきたものを切り落とされる瞬間を私も見届けたいと思いました。見ていたら、長い時間、共に戦ってきた実感が改めて沸きました」
ドラマでは、まひろが大宰府へ旅立ったあと道長が出家する。柄本のインタビューによれば、どうやらまひろが旅に出たことも出家の原因だったらしい。
「まひろにとっても苦渋の決断だったと思います。『源氏の物語』を書き終えて、達成感もあったとはいえ、もはやこれ以上、自分が道長の役に立てることはないし、どんなに近づいても、道長は手に入らない。むしろ、その傍にずっといるほうが苦しいとも言えますよね。道長に『まだ書いておるのか』と言われたとき(第41回 )は腹が立ったでしょうね。私も道長、ひどいと思いましたよ(笑)。まひろは自分が内裏にいる意味とは何なんだろうと、自分の行動すべてが虚しくなって、私が私でない場所に行くことで解放されたくなったのでしょう」
大宰府に行ったまひろは周明(松下洸平)と再会するというなかなか皮肉な展開である。
3人の男性を振り返る
道長、周明、そして藤原宣孝(佐々木蔵之介)とまひろの人生には3人の男性との深い関わりがあった。
「夫となった宣孝は、まひろが道長を好きなことをわかっていながら、自由に泳がせ、何をやっても全て面白おかしく捉えてくれる、寛大な心の持ち主でした。根暗と言われていたまひろの楽しい面を引き出す魔法があったと思います。彼の豪快さにまひろが影響された部分もあるのではないかなと思いました。
周明に対しては、どこかまひろと似ている部分があるように感じていたと思います。越前で出会ったときのまひろは、日本人だけど中国で育ったという出自に事情を抱えている周明に興味をもったのだと思いますが、大宰府で再会したときは、友情なのか、恋心なのか何なのかはっきりしないながら、まひろも周明も、自分の居場所がどこにもないと感じている似た者同士として惹き合ったのではないでしょうか。
第47回で周明が亡くなりますが、彼と一緒にどこか行けるのではと期待していたのではないかとも思います。それが目の前で亡くなったのは相当衝撃で抜け殻になったのではないでしょうか。まひろが大宰府に行かなければ彼も死ぬことはなかったのかもしれないと思うと切ないですよね……。
まひろと道長は、それぞれ離れた場所で月を見上げる描写が多く、それはお互いを思う描写であることは言葉にせずとも明らか。月というのは、常に存在している。つまりふたりは常にいつもお互いの存在を感じていて、一心同体、生きがいのような存在だったのでしょう。第42回の宇治川でのふたりの会話は、いよいよふたりのソウルメイトとしての最終形態の感じが出ていたと思います」
第45回では、賢子が道長の子であることを道長に明かした。
「それまで言わずにいたのは、言うことで道長の心が揺らいでしまい、強い人になれず、目指す政(まつりごと)のあり方や目指している道のりにたどりつけないのではないかという懸念もあって、言おうか言わないか迷っていたのだと思います。でも、道長も気づいていたのではないかと私は思っていたのですが、柄本さんは気づいていない体(てい)で演じていたそうで、考えていることが真逆でした(笑)」
琵琶はまひろにとってお母さんなのだろう
男性に支えられることもあるけれど、最終的には己の力で生きていくまひろ。ある種の孤独な生き方があった。「生きてることは哀しいことばかりよ」というまひろの言葉が彼女の人生を通底している。
下級貴族の家に生まれたまひろは、「源氏の物語」を書くに至るまで、常に、自分の置かれた環境に物足りなさを感じて、ここではないどこかを求めていた。
「心の内にある思いを言葉にできないとき、琵琶を鳴らしていたのかなと思います。琵琶はまひろにとってお母さん(ちやは〈国仲涼子〉)なのだろうと思いながら演じていました」
言葉にできない思いを、亡き母の形見・琵琶に託していたまひろが、やがて溜めていた言葉を一気に溢れさせ、世紀の大作『源氏の物語』を書き上げた。
「物語を書くことで、まひろでいられたというか、書いている時間だけは自分を大事にできたのではないかと思って。あるいは、自分のためよりも誰かのために頑張れるタイプの人間なのだろうなと。自分が輝くよりも誰かを輝かせるために尽力できるタイプなのでしょう」
私たちの青春の思い出が一瞬にして消えたようで
道長の政治にまひろの作品が大いに役立った。
「『宇治十帖』は、紫式部の作品ではなく、娘の賢子が書いたという説もあるようですが、『光る君へ』では明確にまひろが書いたことになっていて、大石静さんの思いきりの良さを感じました。大石さんの脚本は毎回、物語を旅しているようにすごくワクワクしました。あたかも紫式部本人が実体験を書いたのではないかと思わせるように、まひろの物語と『源氏物語』をリンクさせているから、視聴者の方々の想像力が膨らんだと思います。ゼロから想像で作る部分と史実を守る部分とのバランスなどもすばらしく、生みの苦しみを味わいながらお書きになられたのでしょうね」
クランクアップは道長と2人のシーンだった。
「最後は道長とふたりのシーンでした。その後、スタッフさんが作ってくれた第1回から最終回までの名場面集のVTRを見て、寂しさも嬉しさも感動もすごくありながらも、その時はまだ終わった実感がなかったんです。それから2日後ぐらいにまた違う用事でNHKに来てスタジオに寄ったら、もぬけの空で、それはショックでした。前室と呼ばれるスタジオの前の待機場には撮影中のみんなの写真や、視聴者のかたからのお手紙がたくさん貼ってあったのですが、それももうはがされていて、知らない場所になっていて。私たちの青春の思い出が一瞬にして消えたようで、それは寂しく感じました。これぞもののあはれ ですね」
紫式部の生没年ははっきりわかっていない。「光る君へ」のまひろはどんな結末を迎えるだろうか。
「最後にまひろが道長に言う言葉に尽きるのではないでしょうか」
大河ドラマ「光る君へ」(NHK) 最終回は12月15日
【総合】日曜 午後8時00分 / 再放送 翌週土曜 午後1時05分【BS・BSP4K】日曜 午後6時00分 【BSP4K】日曜 午後0時15分
【作】大石静
【音楽】冬野ユミ
【語り】伊東敏恵アナウンサー
【主演】吉高由里子
【スタッフ】
制作統括:内田ゆき、松園武大
プロデューサー:葛西勇也、大越大士、高橋優香子
広報プロデューサー:川口俊介
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう ほか