転職を繰り返す「ジョブホッパー」で何が悪い? ジョブホッピングして幸せになる方法
ジョブホッパーとは?
転職を何度も繰り返すビジネスパーソンのことをジョブホッパーと呼びます。2~3年のサイクルで転職する人や、そのサイクルでなくとも転職回数が3回を超えると「ジョブホッパー」と表現されます。
とはいえ1975年~1989年までに生まれたY世代(Generation Y)、もしくはミレニアル世代の人たちは転職を肯定的に捉えており、2~3年のサイクルで転職し続けるかどうかは別にして、転職回数が3回以下になる人のほうが少なくなる世代ではないか、と思います。キャリアを自らデザイン(設計)し、自らの技能や報酬を高めるために職を転々とする人(キャリアビルダー)は、これからの時代、それほどタブー視されないことでしょう。
特にY世代の人は、金銭的報酬に強い執着心がない傾向にあります。(その次のZ世代はさらに薄い)そのため転職して報酬が減ることにあまり抵抗がなく、ますますジョブホッパーは増えていくと考えられます。
これらの言葉の定義、意味合いはアメリカ国内での事情。果たして日本ではどうか? 当然のことながらジョブホッパーはまだまだ日本国内では肩身が狭いと言えます。
ジョブホッピングに対する誤解
「ホップ」というのは、ホップステップジャンプの最初の片足跳びのことです。片足でひょいと跳ぶ行為が、客観的にはとても軽々しく見え、印象が悪いのもうなずけます。私は企業の現場に入って、目標を絶対達成させるコンサルタントです。ビジネスパーソンというより、会社側の視点で物事を考えます。クライアント企業の従業員がすぐに転職してしまったら、その上司と一緒に頭を抱えることでしょう。
しかし、これは企業側の視点であり、当事者の視点からするとどうか。仕事をすることは目的ではなく「手段」である。目的は自分の人生を謳歌すること。楽しく幸せに過ごすこと。このように割り切るのであれば、ジョブホッパーも”粋”な生き方です。
「君のために言っておくことが、そうやって転職を繰り返すのは良くない。どこかの会社に腰を落ち着けないと、ろくな人生にならないぞ」
という大人がいるでしょうが、大きなお世話だコノヤロー!と言いたくなる人もいるでしょう。ただ、ジョブホッピングするのであれば、自分なりのキャリアデザインは不可欠ではないか、と私は思います。
キャリアデザインとは、一般的には自分の「仕事人生」のプランを自分でデザイン(設計)することを言います。25歳でどれだけの報酬をもらい、どんな仕事をしているのか。30歳ではどれぐらいの報酬を得て、どんな役割を担っているのか。40歳での報酬はいくらで、どんな組織を率い、何に貢献をしているのか、どんなやりがいを得ているのかなどを考え、デザインしていくことです。
しかし自分の人生を「仕事人生」と定義しないのであれば、「仕事以外の人生」をまずデザインしてから、そのときにどんな仕事をしていればよいかをデザインするというキャリアデザインもあるはずです。25歳までに世界40ヶ国以上を見たい。30歳までに飽きるほどヨーロッパサッカーを観戦し続けたい。40歳まではダイビングに明け暮れていたい。と、このように「仕事以外の人生」をデザインしたら、その時々にどんな仕事をして、どれぐらいの報酬があれば実現するのかをデザインしていけばいいのです。
23歳までに300万円貯めるための仕事をしよう。25歳からはスペインとイタリア、イングランドをぐるぐる旅行できるように、日本では期間工として働こう。30歳になったら石垣島や宮古島に移住して、平日の2日間はダイビングできるような仕事をしよう。報酬はこれぐらいでいい。それぐらいの報酬でできる生活にすればいい。このようにデザインするのです。
物質的な豊かさはないでしょう。しかし物を持たないミニマリストに憧れる若者が増えている時代です。物がない生活。誰にも縛られない生き方に、精神的な報酬を覚える人たちもいるのです。
人生のパートナーに巡り合ったとき、その人も同じような価値観であれば幸せです。平均的な会社員をやっていれば、素晴らしい伴侶に巡り合え、何人かの子どもを養うことができ、幸せな家庭を築くことができる、とも限りません。一般的に言われる凡庸な生き方も、積極的にキャリアデザインしていかないと実現しない時代ですから、実は同じことなのです。
キャリアビルダーではなくライフビルダーを目指せ
老後の生活に不安を抱く人もいますが、それは自分の生活水準をどこに設定するか(デザインするか)に寄ります。医療や教育の面での利便性、先進性を考えはじめたらキリがありません。突き詰めてしまうと、大都会に住み、高い報酬をもらうしか生きる道がなくなっていきます。それこそ画一化した価値観におかされていると言えます。自分で人生のデザインをしているのであれば、後悔などしません。他人の価値観に色付けられたキャリアではないからです。
いっぽう、仕事人生のデザインもしないし、仕事以外の人生もデザインしないジョブホッパーは問題です。ジョブホッピングしている間に生活が苦しくなってきちゃった。こんなはずじゃなかった。どうしてこうなったんだ! と30歳を過ぎてから叫んでも誰も助けてはくれません。まさに「身から出た錆(さび)」です。
度重なる大企業の不祥事を目にして、歴史ある日本企業に勤めても、安心できる時代ではない、と多くの若者が受け止めています。これからの時代、何かに依存する生き方は難しい。仕事におけるキャリアも、人生におけるキャリアも、自分でデザインする時代になってきたと言えます。ジョブホッピングする行為そのものを責めても意味がありません。どうライフデザインするかが求められているのだと思います。