健康ならマスク不要? 新型肺炎「中国人?違うならいい」 異なる慣習と差別が交錯
新型肺炎コロナウイルスの感染拡大が懸念される中、ニューヨークでマスクを着けたアジア系の女性が差別的な言葉を浴びせられて殴られたとみられる動画が拡散、ニュースとなっている。映像と周辺情報だけでは状況が判然とせず、軽々に断定できないが、市警はヘイトクライム(憎悪犯罪)の可能性があるとして捜査に乗り出した。
仮にそうだとして、はらんでいる問題は複層的で根深い。慣習や価値観の違い、そして人種や民族をめぐる差別感情が直接、間接に絡み合う。
市の保健当局は「健康な人の場合、マスクの着用は不要」としている。従来ニューヨークではこれが社会通念とされ、逆に「マスクをしていればり患」と見なされかねない。
その点は筆者自身、一種のカルチャーショックだった。「郷に入っては郷に従え」というものだろうか。記事が問題の背景を探る手掛かりとなればと願う。
マスク普及の歴史
マスクが普及した経緯について、日本では「きっかけはSARS!? マスクが日本で広まった理由」(2018年11月20日、テレビ朝日)などと報道された。2010年代は東日本大震災後の危機意識の高まりも背景に、日本衛生材料工業連合会のグラフが示す通りマスクの生産量は急増している。
米国でもこれまでインフルエンザの流行期など折に触れ、日本をはじめとするアジアの人々がマスクをする理由について報じられてきた。ビジネスメディアのクオーツは14年、「なぜアジア人は公共の場でマスクをするのか」(A quick history of why Asians wear surgical masks in public)と題し、1世紀ほど前に世界で猛威を振るった「スペイン風邪」や関東大震災までさかのぼって歴史をひもとこうと試みた。
その説によれば、震災後に空が煙やチリに覆われ、その対策のためにマスクが普及した。加えて1934年ごろに世界中でインフルエンザが流行した際、マスクの使用が定着。ただこの時はまだ、感染拡大を防ぐために、患っている人が着用する方が主な目的だったという。そして第2次世界大戦後の日本の高度経済成長期に、大気汚染に伴う有害物質を吸い込まないようにするため、マスクが次第に広まっていったとしている。
こうした経過を辿り、日本ではマスクの着用がありふれた光景となっている、という流れだ(だいぶはしょったが)。
マスクしない米国
分析の当否はひとまず置くとして、従来ニューヨークでマスクをしている人はとんと見掛けない。ニューヨークに限らず米国全体、そして欧州も、マスクを着用する習慣はないようだ。
ただ今回のコロナウイルスの騒動を踏まえ、「ニューヨーカーはマスクでコロナウイルスを予防すべきか?」(Should New Yorkers wear masks to prevent coronavirus?)とか、「マスクは新型ウイルスから守ってくれるのか? 状況次第だ」(Do Masks Offer Protection From New Virus? It Depends)といった米メディアの問題提起が相次いでいる。マスクは果たして予防に有効なのかといった論点が注目されている。
当局の見解
当のニューヨーク市は「今のところ」、
健康ならフェイスマスクをする必要はない
(At this time, New Yorkers do not need to: Wear a face mask if you are healthy.)
との見解を示している。
それではいつマスクをすべきか。市はコロナウイルスに関する専用ページで、
病気でも外出しなければならない場合、マスクをして
(Wear a face mask if you need to leave your home when sick.)
と呼び掛ける。日本の一般的な「マスク観」とはおよそ違う。
憎悪犯罪と被差別意識
問題の動画を受けて動いたのは、2016年創設のニューヨーク市警察(NYPD)ヘイトクライム特別対策班だ。4日夜、「本格捜査に着手できるよう、被害を届け出てほしい」とツイッターで呼び掛け、動画に映り込んだ行為がヘイトクライムに当たる可能性を示唆していた。
ニューヨークは人種や民族の多様性に富む一方、人種や民族、宗教を理由としたヘイトクライムが後を絶たない。ニューヨークに限らず、差別に基づく事件や騒動は各地で起こり、毎日のようにニュースとなっている。
今回の一件はヘイトクライムなのかどうか。暴行が正当化される余地はないが、人種や民族うんぬんが理由ではないかもしれない。
考えられる構図としては、「マスクをしている人=感染の疑いがある人」と見られるきらいがあり、それがややもすれば、度を超した忌避や敵視、攻撃の対象となり得る。いずれにしても悲しいことだ。
動画の記事に対し、日本語のツイッターでは、
といった反応が見られた。
「マスクをするのはアジア人」といった先入観が入り交じる中、米国のアジア人による被差別感情は高まるかもしれない。
米公共のナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)によるアジア系米国人を対象とした2017年の意識調査「米国内の差別」(DISCRIMINATION IN AMERICA: EXPERIENCES AND VIEWS OF ASIAN AMERICANS)によると、対象者500人のうち、35%が人種や民族を理由に、「配慮を欠いた、不快な言葉をかけられた経験がある」と回答、32%が「中傷された」と答えた。
これはアジア人に限ったことではなく、白人と非白人との間に横たわる差別感情も色濃く反映されているだろう。民間シンクタンクのピュー・リサーチ・センターの調査では、「白人であることは利点がある」と考える回答者(白人を含む)は、全体として59%に上り、特にアジア系では73%と高かった(Race in America 2019)。
「中国人か」という問い
先週まで近くのスーパーにあったマスクは今週、売り切れていた――。
最後にコロナウイルスをめぐるニューヨーク市内での筆者の体験を少し。
新型肺炎への警戒感が日増しに強まっていた先月下旬、カフェで座っていると隣の男性が話し掛けてきた。最初は「コロナウイルスが問題になっているね」とか、「マスクは効果があると思うか」といった話題だった。その後「あなたは中国人?日本人?」と聞かれ、「日本人だ」と答える。「それならいい(fine)」と彼は言った。
もし中国人だと答えていたらどうだというのか――。
新型肺炎コロナウイルスをきっかけに、長年課題とされながらも解決に至っていないさまざまな問題が、あらためて浮き彫りになってきたと感じる。