一日三往復の支線の終点!海底炭鉱の栄華も夢の跡 小野田線本山支線 長門本山駅(山口県山陽小野田市)
山口県山陽小野田市と宇部市を結ぶローカル線・小野田線にはわずか2.3キロメートルの短い支線がある。途中の雀田駅で分岐し、浜河内駅を経て、長門本山駅に至る本山支線だ。
本山支線を走る列車は一日わずか三往復。朝に2本、夕方に1本しかないのだ。利用者は極めて少なく、通勤通学客のいない休日ともなると乗りつぶしの鉄道ファンしか乗っていないということもしばしばだ。周辺は住宅地で決して辺鄙なところではないが、この本数では日常使いは難しいだろう。
終点の長門本山駅はホームが一本あるだけの非常に簡素な駅で、駅舎は無く、ホーム上に待合所があるだけだ。昭和12(1937)年1月に宇部電気鉄道の「本山」として開業。昭和16(1941)年12月に宇部電気鉄道が宇部鉄道と合併した際に「長門本山」に改称された。国名を冠したのは香川県三豊郡桑山村(現:三豊市)の予讃本線本山駅と区別するためだろう。昭和18(1943)年5月には宇部鉄道の国有化で国鉄小野田線の駅になった。
線路はあっさりと途切れ、車止めの先を県道354号妻崎開作小野田線が横切っているが、かつては線路が海の方へ伸びていた。線路の先には海底炭鉱の本山炭鉱があり、石炭の積み出しや鉱員輸送が行われていたのだ。貨物取扱が廃止されたのは昭和38(1963)年10月。半世紀以上経った今となっては、この駅の最盛期を彷彿とさせるものは何も残っていない。
小野田線で活躍するのはクモハ123形電車。全国でもここに5両がいるだけの「珍車」で、乗客ではなく手荷物を載せていた「荷物車」から改造された。かつては中央本線辰野支線や身延線にも同型の電車がいたが、今も活躍するのは宇部線・小野田線の車両だけだ。このクモハ123形がやってくるまで、本山支線にはクモハ42形という戦前に造られた古い電車が活躍しており、鉄道ファンからの注目を集めていたが、平成15(2003)年3月15日に引退している。
クモハ42が引退してから20年。クモハ123が小野田線の主となって久しいが、この車両も車齢は40年を超えている。そろそろ引退してもおかしくない頃だが、小野田線の利用者の少なさを考えると、路線ごと廃止という未来も決してありえないことではない。小野田線自体の先行きが不透明な中、長門本山駅は今行っておきたい終着駅の一つと言えるだろう。