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戦争時代を素早く駆け抜けた『虎に翼』の素晴らしさ  その深い狙い

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:2021 TIFF/アフロ)

新婚夫婦の寝室にて開戦が知らされる

朝ドラ『虎に翼』は戦後篇に入った。

かなりテンポ良く進んでいく。

昭和16年12月の米英との開戦は35話(5月17日放送)、夫婦の寝室描写にナレーションで重なっただけである。

新婚夫婦の寝室で開戦のお知らせする朝ドラは珍しい。

昭和20年8月の終戦も41話(5月27日放送)でナレーションだった。

夫の戦死を知らされ、嫂が泣き崩れているシーンで、さらっとナレーションで「ここからひと月も経たずして、日本は終戦を迎えました」と伝えただけである。

そのまま主題歌が流れて、主題歌終わりはもう戦後の風景になっている。

天皇陛下の玉音放送が流れない終戦はきわめて珍しい。

戦争中の描写は一週間だけ

戦時中は36話からほぼ5話ぶん、一週間で終わった。

戦争シーンはあっさり進んだ、というと、身内が亡くなっているのであっさりとは言えないのだが、テンポ良く、スピード感を持って進んだのはたしかである。

朝ドラとしては、かなり驚きの描写であった。

ヒロインの本格的な地獄は昭和13年に始まる

『虎に翼』は昭和6年、ヒロインが女学生の時代から始まる。

偶々知り合った大学法学部教授に勧められ、女子ながらにも大学の法科を目指す。

昭和13年、高等試験司法科に合格し、日本初の女性弁護士の一人となった。

そこまでで29話。6週目だ。

そこからがヒロインの本格的な「地獄」の始まりであった。

昭和の動乱の大変さは強調されない

ドラマはのテーマは「男の社会に女ひとりで切り込んでいく地獄」を描くところにある。(少なくともそれがメインテーマのひとつになっている)

その地獄は、時代が経っても変わらない、たぶん現在も続いている、というメッセージが含まれているのだろう。

そのためか「昭和の動乱の時代を生き抜く大変さ」はさほど強調されていない。

これはひとつの立派な見識だとおもう。

昭和18年になってヒロインは平穏になった

1940年代の日本国を生きていた人たちはすべて動乱を生きるしかなかったのだけれど、『虎に翼』は戦争の地獄を特に強く正面から描いてるわけではない。

それどころか、昭和18年になって、ヒロインの寅子(ともこ)は平穏な時間を得ることになった。男社会の地獄から抜け出したからだ。

山本元帥の死と寅子の平穏

昭和16年末に始まった戦争は、17年は戦勝気分で過ごせていたが、昭和18年からおかしくなっていく。

象徴的なのは、18年4月の山本五十六元帥の戦死(ほぼ暗殺)で、これを転機として描かれることが多い。

このドラマでは、山本元帥の国葬のあと、寅子は倒れ、周りに妊娠が知れて、弁護士をやめることになる。ヒロイン寅子の転機にもなっていた。

日本軍は敗戦色が滲み出し、ヒロインは男社会から引き揚げ、家に入る。

彼女の戦いは、ここでいったん終わったのである(やがて再開されるはずだが)。

学徒出陣の新聞を手にしないヒロイン

昭和18年なのに、そこからヒロインは穏やかな生活に入った。日本軍の前線は大変なことになっていったころであるが、ヒロインは穏やかなのだ。

このへんの描き方に、うなってしまう。

昭和18年の秋、父が読んでいた新聞を(学徒出陣を知らせる新聞なので10月のものだとおもわれる)、いつもどおりに娘に渡そうとすると、家事をやっていた彼女は、わたしはいいから、と手にしなかった。

弁護士を辞めて、働かなくなったら、主婦は、新聞も熱心に読もうとしない。

そういう表現が、日常生活に取り込まれていてさりげなく、とても素敵である。

出陣学徒壮行会の映像が流れない

昭和18年10月の出陣学徒壮行会は、神宮の競技場で行われた映像が有名である。

歴代の朝ドラでもその映像をよく見ている。

でも『虎に翼』では、ラジオで放送されていただけだ。

勇壮な学徒の行進映像は流されない。

そして、おそらく、それが正しい。

学徒出陣はみんなラジオで聞いていた

映画館で学徒出陣のニュース映像で見た人はもちろんいるだろうが、でも、多くの日本人はラジオで聞いていたばかりだろう。

1943年の日本の家庭にテレビジョンセットはない。

ふつう、映像記憶はない。

ラジオは、NHKが2時間を越えて中継していたらしいので、聞いていた人も多いだろう。

国民の大半は、学徒出陣について、新聞とラジオだけで知っていた人が多かった。そのはずである。

『虎に翼』はいろんなものの足を地につかせてくれる。

昭和19年が平穏だというすごみ

ヒロイン寅子は、男社会での地獄を抜け出し、平穏な昭和19年を迎えている。

『虎に翼』の世界では昭和15年よりも昭和19年のほうが穏やかだった。

このあたりの意図的な描写はすごいとおもう。

昭和19年が平穏だと、少しでも描いたドラマは、ほとんど見た記憶がない。

その一点だけでもすごい。

戦争と日常

戦時中はフルタイムで大変だったわけではない。

日常生活があって、そこに戦争もあった。

戦争が怖いのは、日常生活とともにありながら、前触れもなく、いきなり日常と人を破壊するところである。

慣れたとおもったところで、突然死んでしまうこともあって、そこが恐ろしい。

芝区から登戸そして会津

『虎に翼』では戦時中だったのは36話から40話までの5話一週間だけだった。

(35話のラストでナレ開戦があり、41話の主題歌前にナレ終戦になったので、実質5話)

主人公の家は東京の芝区(いまの港区の一部)にあったようだが(兄への連絡先住所がそうなっていた)、昭和19年春に土地が接収され、強制疎開で登戸へ移った。

いまの登戸と同じところなら東京に隣接した川﨑市の北部である。

さらに昭和20年7月に、主人公と嫂と子たちが田舎に疎開していた。

モデルの三淵増子の事歴によると彼女の疎開先は福島県の会津坂下(坂下はバンゲと読む)あたりらしいが、ドラマ内で疎開していたのは3分あまりなので、まあ、特定されず、田舎のほう、という描写になっていた。

一女性の視点を大事にしている

朝ドラの終戦で、陛下の玉音放送が流れないというのも珍しい。

歴史を描くのに、ある一人の人間からの視点というものを固定すれば、たとえば歴史はこういうふうに見えていた、ということを示すことができる。

そこを徹底している。

『虎に翼』は一女性からの視点を大事にして、説明を加えてない。

それに気づくと、素晴らしいドラマだな、と、感嘆するばかりである。

地味な素敵な出征シーン

兵士の出征シーンも地味であった。

芝区での出征(主人公の兄)の見送りは、家族と隣家の人たちだけで、とても寂しいものだった。

昭和18年となると、こういうものだった、というのは私は家族から聞いていたので、ああ、やっと聞いていたのと同じシーンを見られたと感心していた。

そして、このとき、妻(森田望智)が出征する夫に黙って抱きついた。

隣家の老人が「きみたち人前で!」というが、老婆が「好きにさせてあげなさいよ」と止めて二人は抱き合ったまま。家族は無言。

当時、そこまではなかったんじゃないかとふとおもったが、そんなことはどうでもいい。ああ、いいシーンだ、こんな出征シーンはドラマで見たことないけど、これはいい、と深く感じ入ったみていた。

メッセージに富んだ素敵なシーンだった。

日本国中でこれができたなら、もうちょっと違った戦争の終わり方があったんじゃないかと、ふとおもった。

『虎に翼』の深いメッセージ

『虎に翼』は考えに考えて、メッセージに強弱をつけているようだ。

戦争ももちろん地獄であるが、それは、みんなにわかりやすい地獄であった。

ヒロインが歩んでいる道が地獄であることは、これは注意深く寄り添わないと、実感できなくなる。

戦争の描写がこれまでと違っていることも、そこを感じとってもらえれば、ヒロインの地獄を実感できるだろう、というメッセージにも受け取ることができる。

素敵なドラマだとおもう。まだ三分二、残っている。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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