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ドラマ『民王R』が最後に示した「違和感」が見事に人を突き刺さす理由

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:つのだよしお/アフロ)

不安定な終わりだった最終回

『民王R』の最終話では、入れ替わりがもとに戻った。

総理大臣はもとの総理大臣になって、民こそが王なのでR、と叫んで平穏無事に終わった。

ように見えたが、登場人物が総入れ替えされそうな揺れる映像になって、国会議事堂さえも揺れる映像になって、世界は不安定なまま、というナレーションが最後のシーンだった。

きわめて不安定な終わり方であった。

2015年に放送されたドラマの続編

『民王』は総理大臣の入れ替わりのドラマである。

今回は続編だ。

最初のシリーズは9年前に放送されたもので、総理大臣(遠藤憲一)と大学生の息子(菅田将暉)が入れ替わった。

9年前だから、2015年のドラマである。

2015年世界と2024年世界の違い

今回は毎週別の人と入れ替わっていた。

毎回替わるということで、ドラマの気配がまったく違った。

それがおそらく2015年世界と2024年世界の違いのようにおもえる。

第1話では女性秘書(あのちゃん)との入れ替わり

第1話では、秘書の冴島(あのちゃん)と入れ替わった。

ただのドタバタコメディにしか見えず、大笑いしながら見ていた。

でも毎週入れ替わりが起こり、いろんなタイプの人たちと入れ替わることになり、つまり総理大臣がふつうの人の生活を次々と体験する、ということになった。しかも、笑える状況ではないものが多かった。残念ながら純粋なコメディではなくなって、社会派要素の入ったドラマになった。

闇バイトから幼稚園児や老婆や妊婦にまで入れ替わる

2話で入れ替わったのは、闇バイトに応募して犯罪に加担しかけている若者だった。

3話は、5歳の幼稚園男児に入れ替わり、働くシングルマザーの実情を知る。

4話では病床で伏す老女と替わり、5話では新宿歌舞伎町トー横でたむろするストリートキッズ14歳少年と入れ替わった。

6話はお笑い芸人との入れ替わりだった。

この芸人は当て逃げ事件を起こして長期謹慎が明けたばかり。一度、不祥事を起こすと何をやってもSNSでは徹底的に叩かれる。

いまどきの「炎上」の当事者になる、という経験を総理がすることになる。

7話は妊娠中の女性、しかもドラマ制作を任されているプロデューサーと入れ替わった。妊娠しながら働くことがどれだけ大変なのかを体験する。

最後はAIと入れ替わってバーチャル世界に入る

そして最終8話はAIとの入れ替わりだった。

リアルな総理大臣の中身がAIとなった。

この入れ替わりを操作していた黒幕(満島真之介)の陰謀によるものだった。

現職総理大臣の中身が非人間的なAIになるというのはわかる。

心のない言動をする繰り返す総理というのはこれはこれでリアルで、かなり皮肉な存在であった。

だが、当の総理の中身はどこに行ったのかというと、バーチャル空間であった。仮想空間にいて、しかもそこから出られないという設定だった。

よくわからない。

息苦しそう、ということ以外は、あまり共感しにくい入れ替わりであった。

総理が一般人の生活を体験するドラマ

かように、「現役総理大臣が、いまの普通の人たちの大変な生活をリアルに体験する」というドラマになっていたのだ。

内容がかなり真面目である。

いや、9年前のドラマも真面目だったのだが、真面目の様相が違う。

事前にきちんと用意周到に準備した真面目、というのが2024年版の特徴ではないだろうか。

そこかしこにギャグ要素が入っていたが、そしてかなりくだらないギャグが展開されるのは私は大好きなのだが、2024年ドラマの本質は真面目で固まっていたようにおもう。

そしてそれは時代のもたらした特質ではないのか。

誰もが勉強になる

見ているほうも、総理大臣が一般人の生活を体験することはいいことだな、と感心しながらも、じつは自分の勉強になっている。

闇バイト犯罪者と幼稚園児と介護される老人と虐待されストリートで暮らす少年の気持ちがすべてわかる一般人なんか存在しない。

つまり、このドラマは、日本の現状を反映しようとしたドラマでもあるのだ。

ギャグ満載ながらも、きわめて真面目である。

ふざけたいという気分

2015年版は(あと、今回も第1話は)けっこう笑える部分に比重があったとおもう。

でも2024年版は、知見に満ちた真面目なドラマに仕上がっていた。

私は、このドラマの根底には、ふざけたい、という気分があるのだとおもっている(おもっていた)。

でも最終回まで見終わった印象はずいぶんと違う。

2024年世界で求められるシリアスさ

2015年世界は、いまとかなり違っていた、ということではないだろうか。

2015年世界に比べて、2024年世界は、「社会や政治について」語るとき、かなりシリアスな態度であることを求められてしまっているのではないか。

われわれは自ら望んで、そういうエリアに入っているのではないか。

その問いかけが突き刺さってくる。

9年ぶりの続編『民王R』を見ながら、そう感じている。

時代は冗談を言う人にさえも、真面目を求めているのかもしれない。

自分らで求めているのだとしたら、これはこれで仕方ないことなのだろう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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