NBAファイナルを争った2人の日本人
2年連続でゴールデンステート・ウォリアーズ対クリーブランド・キャバリアーズの対戦となった今年のNBAファイナルは「勝ったチームが優勝」となる第7戦までもつれ込む白熱したシリーズとなり、世界中のスポーツファンを熱狂させた。
アメリカでは絶対的な人気を誇るNBAだが、日本での人気は今ひとつ。その大きな理由として、「日本人選手不在」が挙げられる。
田臥勇太がNBAのフェニックス・サンズに所属して『日本人初のNBAプレーヤー』となったのが2004年。それから12年が経とうとしているが、未だに田臥に続く日本人NBA選手は誕生していない。
しかし、今年のNBAファイナルを争う両チームには日本人選手こそいないが、献身的にチームを支える日本人がいた。
チアダンサーから球団副社長夫人に
2002年から5シーズンに渡ってウォリアーズのチアダンサー「ウォリアー・ガールズ」として活躍した富田早苗さんは、チア引退と同時にウォリアーズのコミュニケーション部門副社長のレイモンド・リダーと結婚。サナエ・トミタ・リダーとなった今も、球団幹部夫人として現役時代と変わらない熱い声援をチームに送る。
ウォリアーズが滞在するクリーブランド市内の5つ星ホテルにて早苗さんに話を伺ったが、何人もの選手やコーチ陣が彼女の姿を見つけると声を掛けてきた。その姿を見て、彼女がどれだけ選手たちから愛され、信頼されているかがはっきりと伝わってきた。
「チアのときは選手と個人的に話をするのも禁じられていて、ほとんど交流はなかったのですが、今は選手だけでなく、選手の家族とも親しくしています。特に仲が良いのはクレイ・トンプソンのお母さんで、遠征中は一緒にショッピングへ行くことが多いんですよ」
レイモンドと結婚して、チアリーダーを引退した早苗さんは「今は家族のような視点でチームを応援するので、現役だった頃よりもハラハラ・ドキドキします」と苦笑いする。遠征中に買い物に出掛けるのも、試合への緊張感を紛らわすためだ。
「私もクレイのお母さんも試合前にホテルでジッとしていると緊張してしまうので、何を買うわけでもないのにショッピングセンターをウロウロしてしまうんですよね」
高校時代と大学生のときにアメリカ留学の経験がある早苗さんは、帰国後に大手米系スポーツメーカーに就職。その後、NBAジャパンへ転職して、ジャパン・ゲーム開催などに携わった。
「ジャパン・ゲームでの私の担当が、来日チームのチアリーダーのお世話だったのです。子供の頃から憧れていた存在が、あちらから近寄ってきたような錯覚をして運命を感じました」
仕事の休みを取り、渡米してNBAチアリーダーのオーディションを受けたが合格を掴めなかった早苗さんは仕事を辞め、1年間ダンスに専念する道を選んだ。
「早朝から晩まで、1日中ずっとダンス・スタジオにいました。レッスン代が払えないときは、窓の外からレッスンを眺めることで何かを取得しようと必死でした」
その努力が実り、ウォリアー・ガールズのオーディションに合格したが、チームに合流すると次なる大きな壁が待ち構えていた。
「就労ビザの問題です。練習には参加できても、試合では踊れない。そのうち、私をチームから外すと告げられました」
懸命な努力を続けて、ようやく叶えた夢が、自分ではどうにもできない理由によって目の前で扉を閉ざされる。早苗さんはその扉が閉じられる前に1つの行動に移した。
「私の気持ちを誰かに聞いて欲しくって、アポなしで球団事務所を訪れました」
彼女の熱意がチームを動かした。ビザが取れるまで、チームに彼女の居場所が確保されたのだ。
そこから5年間、彼女はウォリアー・ガールズの主要メンバーとして活躍。華麗なダンスで試合を盛り上げた。
「ウォリアーズに入った当初は、NBAの舞台で踊りたいという気持ちが大きく、バスケットボール自体にはあまり興味がなかった」と打ち明けるが、すぐにバスケットボールというスポーツが持つエンターテイメント性に溢れる面白さに魅了された。
「コート上に座って応援していたときに、試合に夢中になりすぎて、手に持つポンポンの存在を忘れ、拍手をしながら応援したことが何度もありました」
全ての情熱をダンスに傾けて、「ダンスに集中できなくなるので、ボーイフレンドはいらないと思っていた」と言う早苗さんのハートを射止めたレイモンドも、彼女同様に1つのことに没頭する性格の持ち主。
ウォリアーズの試合をテレビで見ていると、試合後に人気選手のステファン・カリーがヒーロー・インタビューを受ける際に、その横に立っているスキンヘッドの男性の姿も目に入るだろう。その男性こそが、ウォリアーズの選手たちから絶大なる信頼を得る辣腕広報レイモンドだ。
ロサンゼルス・レイカーズの広報インターンとして、スポーツ・ビジネスの世界に足を踏み入れた。インターン当初は、「来なくてもいい」と上司から言われても、片道1時間半を運転して、誰よりも早く球団事務所へ来て、自ら進んで雑用をこなしていく。その献身的な姿勢が評価され、3年後に正社員へ昇格。名門レイカーズで8年間経験を積み、1998年にウォリアーズから広報部長として招聘された。
携帯電話を抱えて寝るほどの仕事の虫で、いつ連絡をしてもすぐに的確な返事が来る。
レイモンド率いるウォリアーズの広報部門はNBAで最もメディア対応が素晴らしいチームであり、全米バスケットボール記者協会が選ぶ「最優秀広報」に今季を含めて過去7年間で3度も選ばれている。「人間関係を築くことが何よりも大切」と言うレイモンドは、大手テレビ局のプロデューサーとアジアの小国の記者を同じように大切に扱う。
早苗さんのサポートがあるからこそ、レイモンドは仕事に集中できる。選手やコーチもそのことをしっかりと理解しているからこそ、彼女に感謝の気持ちを表している。彼女の明るい性格と笑顔に癒やされる選手は多く、昨季は「勝利の女神」としてウォリアーズをNBAチャンピオンに導いた。
スーパースター軍団を支える勤勉な日本人トレーナー
敵地での第7戦に勝利して、キャバリアーズの球団初優勝に貢献したのがアシスタント・アスレティックトレーナー兼パフォーマンス・サイエンティストを務める中山佑介さんだ。
「選手にケガなく第7戦を迎えられたのは大きい」と言う中山さんは、ファイナル期間中も寝る暇を惜しんで勉強に勤しんでいた。
「ファイナル中とはいえ、今日学んだことが明日選手の役に立つかもしれないので」
早稲田大学のスポーツ科学科一期生だった中山さんは周りの友人が就職活動をする中で、漠然と将来の進路を考え、アメリカ留学を選択。アーカンサス大の大学院で修士号とアスレティック・トレーナーの資格を得ると、マイケル・ジョーダンやコービー・ブライアントの個人トレーナーを務めたティム・グローバーの下で修行を積んだ。
青春の全てを注いだバスケットボール。選手としての限界を感じたが、NBAへの挑戦は諦めきれずに、立場を変えてトレーナーとして世界最高峰のリーグへ挑戦を挑んだ。
ニューヨーク・ニックスとデトロイト・ピストンズでインターンとしてNBAの夢を叶える。その傍ら、スポーツの強豪校として知られるミシガン州立大学で博士号を取得するなど常に勉強をする姿勢を保ってきた。
中山さんはトレーナーとして選手のケガのケアをするだけでなく、科学的な分析に基づいて選手能力を向上させ、ケガのリスクを減らしている。
スポーツ医学の進歩は早く、最先端の知識と技術を身に付けるためには、常に勉強するしかない。しかし、トレーナーとしての仕事を兼務しているために、日中は選手のケアを優先せざるを得ない。中山さんが研学に当てられる時間は、深夜遅くに自宅かホテルへ帰ってからとなる。選手たちにとってはリラックスのときとなる移動中の飛行機の中も、中山さんにとっては格好の勉学の場となる。
敵地でのファイナル第7戦に向うチーム専用飛行機の中で、レブロン・ジェームズを中心とした選手たちが自主的に試合の動画を見ながら対策を立てあったそうだが、キャバリアーズの選手たちがそんな行動に踏み出したのも中山さんの精励さがどこかで影響を与えたのかもしれない。
中山さんの勤勉さはチーム内でも高く評価されており、キャバリアーズのデビッド・グリフィンGMも「彼の勉強熱心さと勤勉な態度はチームの財産だ」と褒める。
昨季のプレーオフでは三本柱のケビン・ラブとカイリー・アービングが相次いでケガで離脱。飛車角落ちとなったキャバリアーズはファイナルでウォリアーズに敗れ、中山さんも不完全燃焼な状態でシーズンを終えた。
その悔しさを晴らすために、今季はこれまで以上に選手のコンディションに気を配り、選手の意見だけでなく、身体的コンディションや疲労度を数値化したデータも活用。そんな中山さんの苦労が実を結んで勝ち取った悲願の優勝だった。
トレーナーがテレビの画面に映し出されるのは選手がケガをしたときだが、中山さんが重要視しているのは選手のケガを防ぐこと。試合中に彼の出番が少ないほど、彼の成し遂げた業績が大きいことを意味する。
年俸20億円以上を稼ぐスーパースターと行動を共にする中山さんは、遠征時にはチーム専用機で移動して、選手と同じ超一流ホテルに泊まる。そんなセレブリティのような生活を続けていれば、だんだんと感覚が麻痺していき、勘違いしても不思議ではない。しかし、中山さんは謙虚さを忘れることなく、誰に対しても敬意を払いながら接する。彼を支えてくれる家族と友人、そしてこのような素晴らしい環境を与えられていることに感謝しながら、真摯な姿勢で仕事と向き合う。
そんな素晴らしい人柄の中山さんが優勝に貢献したのは、彼のこれまでの努力を見てきた神様からの贈り物だったのかもしれない。
夢を実現させた行動力と独創性の持ち主
NBAファイナル期間中に早苗さんと中山さんに話を聞く機会を頂き、NBAと言う世界最高峰のリーグで活躍する2人から共通するものを感じた。
2人とも強烈に強い意思の持ち主で、自らの力で道なき道を切り拓いてきた。
安定した仕事を辞めて、NBAチアリーダーのオーディションに臨んだ早苗さん。「高校のときの成績は下の方」ながらアメリカで博士号まで取得した中山さん。夢を諦めることを拒み、NBAのコートに立つために、多大なる犠牲を払い、誰よりも努力を積み重ねた。
チームから追い出されそうになったときに、情熱でチームスタッフを説得した早苗さんの行動力がなければ、彼女がチームに居場所を作れなかった。中山さんも「与えられた状況を受け入れるだけでなく、その状況が自分に合わないのであれば力づくで変えてきた」と渡米当初を振り返る。スポーツ・トレーナーのカリスマ的存在のティム・グローバーの下で働けたのも、グローバーがインターンを求めていたのではなく、中山さんが何度もコンタクトを取り、彼の熱い意気込みがグローバーの気持ちを動かして与えられたポジションだった。
2人は本当に欲しいものを手にするために、プライドを捨ててチャンスを探し求めた。もちろんその背後には2人が激しい練習や勉強を積み重ね、その世界で活躍できるだけの力を備えていたことを忘れてはならない。
ダンサーにしろ、トレーナーにしろ、NBAの世界は実力だけで掴み取れるものではない。実力があるのは最低条件で、運を含めたそれ以上の「何か」が求められる。その「何か」を得るために、2人は最大限の努力をしてきた。運を味方にするために創意工夫をして、ライバルたちとの差別化を図ってきた。
昨季は早苗さんのウォリアーズが優勝を飾り、今季は中山さんのキャバリアーズがリベンジを果たした。「優勝」という最高の形で2人の努力が実を結んだが、彼らの旅路はまだまだ続く。
日本人選手がいなく遠い存在に思えるNBAだが、その影には早苗さんや中山さんのような素晴らしい日本人がチームを支えているいることを知ると、これまでとは違った面白さを感じられるはずだ。