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なぜ日本のトイレは犯罪の標的になるのか 個人(自己責任)で防ぐ日本、場所(デザイン)で守る海外

小宮信夫立正大学教授(犯罪学)/社会学博士
(写真:イメージマート)

トイレでの犯罪の実態

「トイレは犯罪の温床」と言われる。

筆者が世界100カ国のトイレを調査した結果では、日本のトイレは、構造上、犯罪が起きる確率が最も高いと言わざるを得ない。

しかし、「いやいや、そんなことはない。安全神話は崩壊したかもしれないが、トイレはまだまだ安全だ」と、そんな声も聞こえてきそうだ。実際の統計はどうなっているのか。

最も信頼できる統計は、法務省の「犯罪被害実態(暗数)調査」である。これは、2019年に16歳以上の男女を対象に実施した被害体験の調査だ。調査は各種犯罪を対象にしているが、トイレで起きる犯罪の典型は性犯罪なので、ここでは性犯罪を取り上げる。ただし、トイレに限定した数字はなく、性犯罪一般の数字である。

調査結果によると、5年以内に性犯罪に巻き込まれたことがある人は全体の1%だった。低い数字のように見えるが、実数にすれば(生産年齢人口で計算)、約70万人が性被害に遭っていることになる。

ここで重要になるのは、被害申告率、つまり警察に被害届を出した割合だ。性的事件の場合、その数字は14%である。つまり、70万人の性被害者のうち、被害届を提出したのはわずか10万人だったのだ。実際には、警察が把握した事件の7倍の性被害が発生していたわけである。

さらに、この数字は16歳以上のものであり、だまされやすく、性被害を認識しにくい子どもの場合、その被害申告率は、推して知るべしだ。

日本のトイレは世界一危険?

これでも、日本のトイレは安全だと言い切れるだろうか。

日本のトイレが世界一危険だとする理由は、トイレの設計が、場所が犯罪を誘発するという「犯罪機会論」に依拠していないからだ。対照的に、海外のトイレの設計には、防犯対策のグローバル・スタンダードである「犯罪機会論」が、しっかり盛り込まれている。

そのため、日本の性犯罪対策は、もっぱら個人で防ぐ「マンツーマン・ディフェンス」(自助、アイテム手法)に終始している。日本では、海外のような、場所で守る「ゾーン・ディフェンス」(共助・公助、デザイン手法)が取り入れられていないのだ。

「マンツーマン・ディフェンス」は、「襲われたらどうしよう」というクライシス・マネジメント(危機対応)に集中しがちだ。しかし、「ゾーン・ディフェンス」は、「襲われないためにどうするか」というリスク・マネジメント(危険回避)に集中する。

ゾーン・ディフェンスを核とする「犯罪機会論」においては、長年の研究の結果として、犯罪が起きやすいのは「領域性が低い場所」と「監視性が低い場所」だとすでに分かっている。

子どもでも理解できる言葉を使うなら、犯罪が起きやすいのは「入りやすい場所」と「見えにくい場所」だ。実際の事件現場で検証してみよう。

犯罪は「このトイレ」で起こる

次の写真は、熊本女児殺害事件(2011年)の殺害現場となったスーパーマーケットのトイレである。

殺害現場のトイレ(日本) 筆者撮影
殺害現場のトイレ(日本) 筆者撮影

犯人は「だれでもトイレ」に女児と一緒に入り、性的行為を犯していた。ところが、トイレの外から女児を捜す声が聞こえ、ドアをノックされたので、犯人はパニックに陥った。そのため、右手で女児の口をふさぎ、左手で首を圧迫し、女児を窒息死させてしまったのだ。

「犯罪機会論」の視点から現場を診断すると、殺害現場は「入りやすく見えにくい場所」と言わざるを得ない。

まず、性被害に遭いやすい女性のトイレは、手前にあるので「入りやすい場所」だ。次に、トイレの入り口は、壁が邪魔をして、買い物客や従業員の視線が届きにくい「見えにくい場所」でもある。

なお、スーパーには監視カメラが設置されていたが、犯人には抑止力にはならなかった。というのは、監視カメラが怖いのは、犯行が発覚するかもしれないとビクビクしている犯罪者だけだからだ。

この事件の犯人は、監視カメラがある店で、4時間もの間、堂々と女児を物色し続けた。この事実から、犯人が犯行は発覚しないと思っていたことが推測される。つまり、子どもを最後までだまし通せる自信があったのだ。

監視カメラに自分の顔が捕らえられたとしても、犯行が発覚しない以上、録画映像が見られることもない。犯人は、そう思っていたに違いない。ところが、トイレまで子どもを捜しに来る、という想定外の展開に慌てふためいて、殺人へと至ったのだ。

対照的に、海外のトイレは、犯罪の機会を奪うようにレイアウトされている。

例えば、次の写真は、ゾーニング、つまりスペースによる「すみ分け」が確保された韓国・天安駅のトイレである。ゾーニングは、互いに入りにくい状況を作る基本原理だ

ゾーニングされたトイレ(韓国) 出典:『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)
ゾーニングされたトイレ(韓国) 出典:『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)

左手前から男性用、女性用、右手前から男性身体障害者用、女性身体障害者用、と四つのゾーンを設けている。利用者の特性に配慮したゾーニングが施されているトイレは、犯罪者が紛れ込みにくい「入りにくい場所」だ。

しかも、女性のトイレは、奥まったところに配置されている(入りにくい場所)。

安全なトイレは、ゾーニングされたトイレ

次の図は、日本と海外の公共トイレのよくあるパターンを比較したものである。

公共トイレの国際比較(①は日本、②は海外) 筆者作成
公共トイレの国際比較(①は日本、②は海外) 筆者作成

日本のトイレは通常、三つのゾーンにしか分かれていない。男女専用以外のゾーンには「だれでもトイレ」などという名が付けられ、身体障害者用トイレは男女別になっていない(入りやすい場所)。

ゾーニングの発想が乏しいのは、「何事もみんなで」という精神論がはびこっているからかもしれない。

これに対し、海外のトイレは通常、四つのゾーンに分かれている。日本と異なり、男女別の身体障害者用トイレが設置されることもあれば、男女それぞれのトイレの中に障害者用個室が設けられることもある。

海外では、男性用トイレの入り口と女性用トイレの入り口が、かなり離れていることも珍しくない。入り口が離れていると、男の犯罪者が女性を尾行して、女性用トイレに近づくだけで目立ち、前を行く女性も周囲の人も、おかしいと気づくからだ。

トイレで起きる性犯罪が、どのようなパターン(手口)とプロセス(動線)で起きるのか、また、日本と海外のトイレでは、「犯罪の機会」の有無がどう違っているのかについては、次の動画の13分あたりをご覧いただきたい。

海外には、視覚的に男女の区分が明確で犯罪者が紛れ込みにくいトイレや、ドアをかすかに人影が見える程度の半透明にしたトイレなど、さまざまな工夫が施された「安全なトイレ」がたくさんある。

それらについては、拙著『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)を見ていただくとして、ここでは書籍で紹介しきれなかったトイレを、いくつか紹介したい。

男性用と女性用が左右にかなり離れている(チェコ) 筆者撮影
男性用と女性用が左右にかなり離れている(チェコ) 筆者撮影

男性用と女性用が左右にかなり離れている(コスタリカ) 筆者撮影
男性用と女性用が左右にかなり離れている(コスタリカ) 筆者撮影

男女の入り口が建物の表と裏に分かれている(ニュージーランド) 筆者撮影
男女の入り口が建物の表と裏に分かれている(ニュージーランド) 筆者撮影

天井の標識から男性用と女性用が別々の場所にあることが分かる(スペイン) 筆者撮影
天井の標識から男性用と女性用が別々の場所にあることが分かる(スペイン) 筆者撮影

ハードの「多様性」とソフトの「統一性」

こうした「犯罪機会論」に基づくデザインに対しては、和製英語「ジェンダーフリー」の視点から、異論を唱える人たちもいる。男女別のないトイレ(オールジェンダートイレ、ユニセックストイレ)の方が望ましいというのだ。しかし、この主張には、有形のハードウエアと無形のソフトウエアが混同されているという事情がある。

そもそも、「ジェンダー」の概念は、生物学的(有形)な「セックス」を、社会心理学的(無形)な世界に持ち込ませないために生まれた。つまりジェンダーは、ハード面の「区別」を否定するものではなく、ソフト面の「差別」を否定するものなのである。

性的マイノリティー(LGBT)やエスニック・マイノリティー(黒人やヒスパニック系などの民族的少数派)の権利運動も、白人男性優位の「制度的差別」という社会的ソフトウエアが主戦場だ。ヘイトクライム(憎悪犯罪)も、アイデンティティーという個人的ソフトウエアが引き起こしている。

ハードウエアとソフトウエアの混同は前にもあった。「開かれた学校」という理念が流行したときだ。

「開かれた学校」は本来、ソフト面の「地域との連携」を意味していたにもかかわらず、ハード面の「校門の開放」と勘違いする学校が続出した。その結果、8人の児童が刺殺された大阪教育大学付属池田小事件が発生した。門開放の責任を認めた学校側は5億円の賠償金を支払うことになった。

ちなみに、海外の学校では、ハード的にはクローズにしているが、ソフト的にはオープンだ。

男女の区別なく、「統一性」のあるトイレを作るなら、海外のように、まずは、「犯罪機会論」に基づき、「多様性」を確保するゾーニングされたトイレを作って、その上で付加的にプラスワンとして設置するのが筋である。前出の動画(13分ごろ)では、このデザインを実現している。

ついでながら、物体が意識を宿すには、大量情報処理における「多様性」と「統一性」が必要だという。そう主張するジュリオ・トノーニは、共著『意識はいつ生まれるのか:脳の謎に挑む統合情報理論』で、このことを「多種多様性と統合のバランスが理想的に保たれている脳」と表現している。

私たちの脳にとっても、ハード面の「多様性」とソフト面の「統一性」が大切なようだ。

立正大学教授(犯罪学)/社会学博士

日本人として初めてケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。国連アジア極東犯罪防止研修所、法務省法務総合研究所などを経て現職。「地域安全マップ」の考案者。警察庁の安全・安心まちづくり調査研究会座長、東京都の非行防止・被害防止教育委員会座長などを歴任。代表的著作は、『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館、全国学校図書館協議会選定図書)。NHK「クローズアップ現代」、日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビへの出演、新聞の取材(これまでの記事は1700件以上)、全国各地での講演も多数。公式ホームページとYouTube チャンネルは「小宮信夫の犯罪学の部屋」。

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