【平昌五輪独自振り返り】「美女応援団」に現場で話しかけ、そしてちょっと触れてみた
美しい。そしてナチュラルだ。
「平和オリンピック」を謳った平昌五輪で思うところがある。
こと日韓に関して、「東アジアの平和」を考えれば、女性アスリートの姿によって自然な平和が描かれたのではないか。
スピードスケートの小平奈緒とイ・サンファの友情。そしてこれがもしや大会のクライマックスだったのでは? とすら思わせた女子カーリングの準決勝。「そだねー」VS「にんにく少女」。じつによくキャラが立っていた。小柄で柔和な印象の藤沢五月は韓国人が観るに典型的日本女子であり、「メガネ先輩」はその逆。典型的韓国女子ではないか。両者の魅力に惹かれる。その両者が真剣勝負をし、両国が夢中になる。なんて美しい。スポーツは政治を超える。この点を2018年2月の現在、再び証明してみせた。
そうなると、ここからしようとしている「女子」の話の背景は、政治の介入が必要なほどに硬直していたということか。
北朝鮮「美女応援団」の話だ。女子アイスホッケーや開幕式に参加した。
文在寅大統領は、”政敵”李明博が大統領時代の2011年に誘致に成功した五輪を、自分の色に染めようとした。1月上旬から約20日間の”突貫工事”で一部競技での北朝鮮選手団と応援団の大会への受け入れをIOCに持ちかけたのだ。2月14日付けの韓国メディアの報道によると、韓国政府は最終的に関連予算28億6000万ウォン(約2億8600万円)をつけた。
その成果、今のところ「女子アイスホッケーの五輪5試合すべてチケット売り切れ」。「東亜日報」はこうまとめている。
「この間、端に追いやられていた女子アイスホッケーが今回の大会をきっかけに大きな関心を得たことは確かだ。たとえ平昌五輪最下位という成績だったとしても、日本などと善戦を繰り広げた姿は今後により期待を持たせた」
現場で女子アイスホッケーコリアチームの3試合を観た。「美女応援団」ももちろんいた。報じること自体が”あちら”の策略にはまることになるのか? いずれにせよ、大会で起きた出来事だ。現地で観て、少しだけ喋って、それを取り巻く韓国人をさらに観て、感じたところを。
先日アップした原稿 【現地取材】平昌五輪 女子アイスホッケー「南北コリア合同チーム」は正しかったのかのスピンオフ版として。
13年ぶりに訪韓した応援団。正体は平壌出身の大学生?
今回加わった美女応援団、韓国政府の発表によれば総勢228人だという。まずは彼女たち、いったい何者なのか。
韓国最大のニュース通信社「聯合ニュース」は本人たちに「平壌出身なのか?」と聞いたが、答えは帰ってこなかったそうだ。
いっぽうで2月7日付の記事では「平壌出身と見られる」という書き方をしている。おそらくは北朝鮮専門メディアが「情報通」の話として、こういった話を紹介したからだ。
「応援団は平壌から大学生を中心に選抜している。地方の大学生を混ぜると、事後の統制が難しくなるという点も作用している。帰国後、南朝鮮であったことを一切口外してはならないためだ」
筆者自身も取材で北朝鮮関連のいわゆる「事情通」「情報筋」に会ったことがあるが、こればかりは事実確認のしようがなく、情報の取扱いには苦労するところだ。「平壌から来た」というのはまあ、そういう話もあったというところで。
ちなみに「聯合ニュース」によると、北朝鮮応援団の訪韓は13年ぶり。”略歴”は下記のとおりだ。
02年9月 釜山アジア競技大会 288名
03年8月 冬季ユニバーシアード大邸大会 303名
05年8月 アジア陸上選手権仁川大会 124名
その他、08年北京五輪には中年の男女混成の応援団が、サッカーの南アW杯には40代~50代の男性による応援団が構成されたという。
同媒体はまた、「05年アジア陸上の際には、金正恩朝鮮労働党委員長の夫人、リ・ソルジュ氏も含まれていたことが後に分かった」と記している。”そこそこ良い筋”じゃないと応援団には入れない、という理解は大きく間違っていないだろう。
大会初戦 スイス戦 美女応援団に……ちょっと触れてみた結果
では、現場(南北コリア合同チームが出場した女子アイスホッケー会場)の彼女たちの姿はどうだったのか。
2月10日、チームの初戦スイス戦の試合開始直前(当日に日本から移動しました……)にアレーナに入った。
すると、応援団がちょうど「仮面応援」をしていたところだった。カメラを向けることはできなかったが、朝鮮半島研究歴24年の筆者からしても「うわっ金日成だ」と直感で感じられるものだった。にしては若すぎる、と思われるかもしれないが、金日成初代最高指導者の若い頃は朝鮮半島の美的感覚でいうと「とんでもない男前」だったと聞く。見間違ってもおかしくはない。韓国でもネット媒体の報道から一気に波紋が広がった。
のちの説明によると、男性の片思いを描いた北朝鮮の歌謡曲「フィパラム(口笛)」を歌う際の男性役を演じるために使う「美男子仮面」だったという。仮に金日成初代最高指導者だったら、とんでもない挑発だった。応援の現場で何があるのか。それくらいは事前にすり合わせがあってもおかしくはない。これが出来ていなかったということは、いかに今回の訪韓が「北朝鮮主導」だったかが分かる事例だ。
いっぽうで、スイス戦の現場の雰囲気は驚くべきところがあった。
「美女応援団にめちゃくちゃ近づける」
写真を撮ろうとしても遮ろうとする人がいない。応援中に韓国の子どもが無邪気に前を通り過ぎるほどの場面もあった。ピキーンとひらめいた。「これは、応援団に話しかけられるか?」。韓国語歴24年の筆者、これまで幾度も取材現場で北朝鮮の人たちと喋ってきた。無理に北朝鮮っぽく話さずとも”韓国語”で問題なくイケる。
試合の合間にカメラを下げたまま、「どうでしょう? 雰囲気は?」と聞いてみた。
笑うだけですぐに目線を反らし、答えない。何人かに聞いてみたが同じだった。
ちょっと怒られるのを覚悟で、”スキンシップ”に出てみた。
彼女たちが履いていたジャージの膝あたりを軽く、ポンポンと叩いてみた。
そして話しかける言葉を質問形式にするのをやめた。
「雰囲気、いいですよね!」
その後、こちらはサムズアップ。まあ、しかし無反応なのは同じだったのだが。そうではあれ、これほどに近づいてもお咎めなしだったことは驚きだったが。
大会初戦は筆者自身もその雰囲気に酔うようなところがあった。若干不覚。彼女たち、可愛かった。日本の感覚で言うとちょっと”昔風の雰囲気(説明できないが。髪型とか化粧とか)”がそそる。中高時代の同級生が、若い頃の姿で中年になった自分の前に現れたような感覚。幻覚というか。この日会場近くの気温は手元の時計でマイナス8度だった。寒さでやられたか。寒いからこそ女子にレンズを向けると体温が上がって心地よくもあった。正直なところ。
第2戦スウェーデン戦 応援の基本コールを聞き分ける。臨機応変のコールも!?
2日後の2月12日にスウェーデン戦が行われた。
現場では少し落ち着けるようになった。韓国メディアとの協力体制も出来(日本選手関連の情報とギブアンドテイクしながら)、アイスホッケーチームのうち北朝鮮選手が誰かを事前に確認。そこを中心に写真を撮っていった。
いっぽう北の応援団については、応援コールの種類がいくつか明らかになってきた。
”ウリヌン ハナダ(私たちは ひとつだ)”
”チョグク トンイル(祖国統一)”
”ウリ ミンジョクキリ(我々の民族同士)”
”チャーランダ(うまい! =いいぞ、といったニュアンス)”
”ヒムネラ(頑張れ)”
おおよそこういったところ。韓国側から参加した有志による応援団も一番メインの”ウリヌン ハナダ”のコールに合わせるようなシーンもあった。
いっぽう北側は韓国に合わせるところはほとんどなかった。インターミッション(試合中の休憩時間)には、主催側が準備した韓国チアガール公演(K-POPアイドルみたいな子が出てきて踊る)があったが、これにまったく歩調を合わせず、自らのコールを続ける。南北美女のミスマッチがシュール。
スウェーデン戦の試合中、ひとつだけ”臨機応変”と思わせる応援コールがあった。コリアチームGKの好セーブの直後のことだ。
”ムンチキ チャーランダ!”
ムンチキ=門番=GKだ。”いいぞ、キーパー”。といったところか。
まあ韓国のアイスホッケー用語ではゴールキーパーは「ゴーリー(もともと英語です)」だから、韓国側も合わせようがない。美女応援団が何を言ってるかは分かるが、咄嗟には反応できないだろう。ちなみに北朝鮮ではサッカーでもGKは「門番」。韓国の感覚からするとすごく違和感を感じる用語でもない。サッカーの場合、韓国でも40代中盤以降は中央のMFを「腰」、ウイングを「翼」と呼んだりもする。その流れでなんとなくニュアンスは分かる。
試合は0-8でスウェーデンに敗れた。帰り際、美女軍団はやはり韓国人の観客の真横を通って集団で帰っていった。全員が小走りで、手を振って。日本からのテレビ局と思しき通訳・コーディネーターがマイクを向け「(次戦の)日本戦にも来ますか」と聞いていたが、それは思いっきりスルーしていた。
第3戦 日本戦 韓国人が「一線を保って」北の応援団を眺める理由
3度めともなると少し余裕が出てくる。美女応援団に誰がいるのか覚えてきた。勝手に中高時代の同級生の名前をつけて、区別していった。
この日の開催地江陵は低温に加え、強風が吹き荒れた。スマホには「山火事注意」の警報が届くほどだった。要は過酷な状況なのだ。個人的には10日に韓国に入って以来、一人で行動をし、ずっと韓国語でだけ話しているストレスもあった。中一日の試合間隔、空き日は韓国記者からの情報収集を必死にやらねばならなかった。重ね、不覚ながら彼女らが取材の救いになってもいた。ほんの少しだけ。
日本戦では美女応援団の入場のところから現場に居合わせることができた。一般の観客とは違い、アリーナ直通の入り口でセキュリティチェックを受けた上で入場する。
それを見つけた韓国人観客、韓国メディアのカメラマンがわしゃわしゃと集まってきた。
すでにチェックを受けた応援団の面々は縦隊をつくって観客席入り口の前で待っている。北朝鮮側の引率役男性スタッフも一緒だった。
韓国のカメラマンがレンズを向け、シャッターを切る。するとその北朝鮮男性の一人が明らかに写り込んだと分かったか、笑いながらこう口にした。
「美しい人を撮らないと~」
俺じゃなくて、女子を撮れよ、と。目を合わせて話すわけではない。しかしぼやきながら、「執拗なメディア攻勢を自然にかわす」感じ。
会場入場前に、整列する美女応援団とちょっとしたやりとりがあった。
リーダー格と思しき一人と目があった。手を振ってみた。あちらも振り返してきた。カメラを向けた。まだ手を振っている。近づいて、スマホでセルフィーを撮ってみた。すんなりと収まってきた。他のメンバーはなかなかリアクションがなかったが、一人だけが反応する。そういうところだった。
いっぽうでスタンドでは前の2試合より少しだけ大会組組織員海側の規制が厳しくなっていた。そこまでは座席の移動などが「ユルい」感じだったが、この日はボランティアが着席しての観戦を求めてきた。「大きなカメラでの撮影は控えるように」と言ってくるボランティアもいた。「美女応援団」の周りの警備も少しキツくなっていた。わざと写真に収まる位置に座る韓国人男性スタッフもいた。日本戦だから少し警戒した面もあったか。いずれにせよ運営側は大会の雰囲気に合わせて少しずつ状況を微調整してくるところがあった。
会場では「北朝鮮の人を見る、一般の韓国人の視線」も興味深かった。これもなかなか目にできるものではない。前回原稿では、「敵意でもない、恐怖心でもない、強すぎる愛情でもない、たんなる『不思議な感じ』」という表現を韓国人の友人から「ずばりそうだ」と言ってもらった。
彼ら・彼女らが北朝鮮の人を現場で観る時、「一線を保つ」という態度もまた興味深かった。誰も応援団に近づきすぎず(触れようとも)もせず、威嚇しようとしたり、また怖がって逃げることもない。一定距離を置き、眺めるという秩序が保たれている。これはどういう感覚なのかと、そこにいたメディア関連の男性(30代後半・ソウルから来場)に聞いてみた。
「こんなに近くて、悪い出来事(暴行など)が起きなくてまあよかったですよ。韓国人の多くは、北に対してよくない感情を持っていたとしても、それは政府に対してなんです。国民、まあ彼らのいう人民に対しては不憫だ、あるいは切ないといった感情があるんですよ」
この日、話題になった「金正恩そっくりさん」の北朝鮮応援団への乱入も目にした。警備員がエキサイトしていたのは確かだが、韓国人の観客はあまり気にかけていない様子だった。こちらがむしろ、横の席の韓国人に対して「ありゃないよね。日韓戦を戦っているんだから。茶化すなよって」と軽い怒りを口にするくらいだった。忘れちゃいけない、この日は日本が試合をしていたのだ。
とはいえ、日本戦にもシリアス過ぎる空気ではなかった。途中、スタンドの一角に集まった日本応援団が「ニッポン」コールを巻き起こしたが、すぐに「コリア」コールにかき消されることもあった。とはいえ殺気立った空気ではなく、笑いながら「応援でもホームの利点を活かそうよ」というような空気感。楽しんでいる様子でもあった。
その点よりも、北の応援団がこの日繰り出した新しい応援コールに韓国人応援団も少しずつ合わせようとする雰囲気のほうが印象的だった。
「ハナ ト(あと一つ)」
日本戦の51分、0-3から挽回した1点がコリアにとってグループリーグ唯一のゴールだった。金正恩そっくりさん、対日感情、そういったものよりも、「目の前のチームがもう一点を」。この点に興味が絞られていった。
3試合、アイスホッケーの試合と合わせ、美女応援団を取材した。それだけでも、もうクタクタだった。
応援団は最後に、引率係とみられる男性の指示を受け、コートを着て退場していった。メインスタンドから全体に指示が送られているのだった。
硬直する東アジアの関係を違う観点で
現地から、日本の先輩(北九州市在住)に「こんなことありました」と「入場前の応援団がこちらに手を振る写真」のちょっとだけピンぼけしたものをLINEで送った。ものすごくツッコまれた。
「こういうのが、北に取り込まれるんだよ!」
まあまあまあ、本稿冒頭で自分自身もごちゃごちゃ言ったが、「美女軍団はインパクトはあった」ということは確かで。難しいことはない。人と人、会えれば嬉しい。結局、彼女たちから言葉は返ってこなかったが。
政治方面が眉間をしかめ、言い合うのも必要なことだが、違う角度で物事を考えるのも重要。この感覚、少し忘れてたんじゃないか。平昌が「平和五輪」だとすれば、そこを思い出させたのが効果のひとつだ。
日韓は自然にその姿が出てきた。ということは、政治の手が必要だった南北よりも関係が硬直していないということで。スポーツへの政治介入は簡単に許すべきものではないが。起きてしまったことを振り返るのならそういうことになる。