【現地取材】平昌五輪 女子アイスホッケー「南北コリア合同チーム」は正しかったのか
”ウリヌン ハナダ!(我々は ひとつだ)”
試合後、スタンドに残った南と北の応援団による共同コールが続いていた。
2月14日、韓国江原道の江陵市の関東(クァンドン)アイスホッケーセンター。スマイル・ジャパン(日本女子アイスホッケー代表)相手に、1-4で敗れたコリア(南北朝鮮合同女子アイスホッケー代表)チームの選手たちは、呆然と立ち尽くしていた。膝をついてスタンドをただただ眺める者もいた。
グループリーグ最終戦、スタンドには「日本戦なら特別な力を発揮するかも」という期待感もあったが、1ゴールを奪うに留まった。その後方を勝利したスマイル・ジャパンが日本のサポーターに挨拶に訪れていた。
南北合同チームの「コリア」としてはもちろん、韓国女子アイスホッケー代表としても初出場となったオリンピック。
結果は5戦全敗で、総得点2、総失点28だった。グループリーグではスイス(国際アイスホッケー連盟世界ランキング6位)、スウェーデン(5位)、日本(9位)と同組となり、最下位。元々韓国代表は同ランク22位、北朝鮮代表は25位と下馬評は低かったものの、数字面では明らかに失敗と言える結果に終わった。
日本戦での大きな盛り上がりを終えた後、5位決定戦(2月18日)では再びスイスと対戦し、0-2の敗戦。7位決定戦(20日)ではスウェーデンに1-6のスコアで敗れた。
1月16日に結成が決まった南北合同チーム。試合前はさんざん文在寅政権による「政治介入」との批判を浴びてきた。戦ってきた選手たちは何を思ったのか。北朝鮮からの参加選手が残した言葉は残念ながらなかなか多くはない。彼女たちを受け入れた南側の選手、メディア、ファンは何を思ったのか。そして選手とともに北朝鮮からやってきた「美女応援団」の現場での姿とは。チーム結成は一体正しかったのか。韓国語を駆使して取材を行う筆者が、その総括を行う。
グループリーグ最終戦だった日本戦後、コリアの韓国選手が数人スタンドに現れた。18日の5-8位決定戦まで、試合間隔が空く。人生のなかでも大きな出来事となる五輪の合間に、家族と面会する時間を過ごす。その瞬間、メディアが話を聞くという風景だった。
背番号2、FWコ・ヘイン(23歳/韓国・世宗大学)は日本戦敗戦直後から涙を流して悔しがるそぶりを見せていた。グループリーグ3試合合計の出場機会は23分。最終戦(日本戦)では2分3秒しか機会が与えられなかった。日本戦では1月25日にチーム合流した同ポジションのキム・ウニャン(25歳/北朝鮮・江界第一教育大学)の10分21秒を下回るものだった。
試合の直後に聞くのは酷だったが、「合同チームをやってよかったと思っているか」と聞くと、涙目で、声を絞り出すように言った。
「ネ(はい)」
母親と親戚がそこにいて、写真撮影をしながら彼女を励ましていた。「敏感な質問は避けてほしい」と言いつつ、選手の母が取材に応じた。
――グループリーグを終えた感想は?
「スポーツには勝敗が宿命として存在します。勝てたらよかったです。負けて気分は悪かったですが、選手たちがベストを尽くしたからこそ、平和が訪れたと思っています」
南北合同チーム結成までの流れ。なぜ女子アイスホッケーだったのか?
チーム結成の発端は今年の1月1日、平壌にあった。金正恩朝鮮労働党委員長が新年辞でこんな内容を口にした。
新年は我々人民が共和国創建70週年を大慶事として祈願することになり、南朝鮮では冬のオリンピック大会が開かれようとしています。北と南にとってともに意義ある一年となります。我々は民族的な大事を盛大に執り行い、民族の気性を内外に鳴り響かせるためにも凍結状態にある北南関係を改善し、意義深い今年を民族史に特記する事変的な年として輝かせなければなりません。
これを韓国側は「北朝鮮の五輪参加が南北交流再開のチャンス」というシグナルと捉えた。
11日、IOC(国際オリンピック委員会)側が南北の協議議題として、南北合同アイスホッケーチーム出場が議題に挙がっていることを認めた。平昌五輪が「平和五輪」のコンセプトを掲げている以上、韓国政府側としても「開幕式での同時入場」と「南北が力を合わせて戦う種目」という「絵」が必要だった。これをはじめて報じた「中央日報」系の放送局JTBCによると、この段階で大韓アイスホッケー協会もIOCで議題に上がっている事実を知らなかった。
12日に韓国政府がこれを認め、20日にIOCが議題を承認。その間の15日頃、アメリカ・ミネソタ州での合宿を終える段階だった女子アイスホッケーの選手たちに「南北合同チームでの五輪出場」の情報がもたらされたという。
IOCと韓国・北朝鮮政府はさらに大会の北朝鮮参加に関する合意書への署名を発表。女子アイスホッケー代表に関してこんな規約を加えたのだ。
「1試合、最低でも3人を出場エントリーに含めること」
突然で、かつ一方的な決定が国内で猛反発を招いた。
現場のトップ、サラ・マレー(カナダ)監督は16日にミネソタ合宿を終え仁川国際空港に到着した際、強い口調でこう口にした。
「オリンピックから20日あまりしか残っていない状況でこういった話が出るということがはっきり言って衝撃だ」
「この時期から新しい選手を追加すればチームの組織力に危険が生じうる。(北朝鮮選手に)これまでのシステムを教えるのに1ヶ月はかかる。私も不安だ」
「万一、合同チームが結成されるとしても、全権は私にある。私に対し、北朝鮮選手を起用しろという圧迫が及ばないことを望む」
父もNHLでコーチを歴任した、というアイスホッケー一家に育ち、2014年からチームの指揮を執る彼女の怒りも当然だった。
20日の正式決定直前、韓国ではすでに「出場決定」の報道も繰り返されるなかで1月19日に政府イ・ナギョン総理が発した言葉もひんしゅくを買った。
「女子アイスホッケーはメダル圏外にある」
だから、南北合同チームの対象に選んだのだと。結局イ総理は後日これを謝罪撤回した。
選手の立場が尊重されていない。人生で一度かもしれない、この舞台に賭けてきた選手の出場機会がこんな政治決定で奪われていいのか。「プレーヤーズ・ファースト」の観点から猛反発が起きた。韓国政府は公式サイト上に「民間からの請願掲示板」を設けているが、ここで約5万人が反対運動に参加した。
コ・ヘインの母は当時のことをこう振り返る。
「最初は当惑しました。10年以上コンビネーションを築いてきたチームですから。そんな大韓民国代表のなかに私の娘もいたわけです。他の選手たちも当惑していたと思います。(元々から韓国女子代表にいた)選手たちは大部分が19歳から25歳前後になるまで、大人として毅然とした姿勢でスポーツにだけ集中してきたんです」
1998年5月に初結成された韓国女子アイスホッケー代表チーム。2014年にIOCと大韓アイスホッケー協会が協定を結び、開催国枠での五輪の出場が決まった。国内で200億ウォン(約20億円)の予算をかけて強化する、トップ指導者や帰化選手の選出などで力を引き上げると約束したのだ。この年の5月にサラ・マレー監督が就任し、3年にわたり強化を続けてきた。
このように長期間強化してきたにもかかわらず、なぜ突如、他の競技ではなく女子アイスホッケーが「南北合同チーム」結成の対象に選ばれたのか。1月22日、「中央日報」系のテレビ局JTBCのニュース番組で、冬季競技取材歴の長いオン・ヌリ記者がこんな解説をしていた。
「冬の競技は、個人種目が多いです。フィギュアでも団体戦はありますが、個人の得点を合算して戦うものです。同じユニフォームを来て、相手と対戦するということでは、アイスホッケーが適合したのです。同時に、力を合わせた時に差がないほうが、違和感がない。すると(南北の実力差のある)男子より、女子のほうがその対象になったのだと見ています」
ちなみに日本では「合同」と呼ばれた今回のチーム、韓国では終始「(南北)単一チーム」の名称で呼ばれた。
「決心」がチームの雰囲気を変えた
大会前から物議を醸したチーム。南北の選手はどうやってコミュニケーションを取っていったのか。
まず、マレー監督は北朝鮮選手合流後、北朝鮮選手の年齢を確認した。そして両国の儒教的習慣に合わせ、誰が「オンニ(お姉さん)」なのか、つまり年齢による上下関係を整理した。一方メディアに向けては「これを選手間の試合出場を巡る競争機会とするしかない」と発言。すでに最終エントリー入りした選手たちを引き締める出来事として捉えた。
選手の家族も同様だった。コ・ヘインの母は「決心」という言葉を使い、状況を受け入れていった。
「こう決心しました。国があって、国民がいて、スポーツがある。どんな状況になっても励ましていこうと」
マレー監督はさらに大会前、現地メディアで国内最大の通信社である「聯合ニュース」が「逆発想」と表現する策をとった。
南北合同チーム結成直後の22日開催した緊急記者会見では「北朝鮮選手たちは第4セットを担当することになるだろう」と発言した。つまり、6人のフィールドプレーヤーがめまぐるしく交代する競技にあって、「4番目の組み合わせ」でまとめて出場することになるだろうと。
アイスホッケーでは同時に出場する選手の組み合わせをセットと呼ぶ。一般的に主力とみなされるのは1から3セットまでだ。
しかし大会前の唯一のテストマッチとなった4日のスウェーデン戦(@仁川)では、別の策をとった。
監督の判断として、各セットに1名もしくは2名の北朝鮮選手を交ぜて起用したのだ。新たに加わった12人全員を出場させることはしながったが、起用する北朝鮮選手はしっかりと馴染ませるというやりかただった。
「聯合ニュース」は策をこう評している。
「チーム力がアップしたとは言い難い。しかし、チームはひとつになった。韓国選手は好きであれ、嫌いであれ、北の選手と関わらなければならなくなったのだ」
同媒体によると、韓国のパク・ユンジョン(25歳/所属チームなし・米国との二重国籍)は北朝鮮からチームに加わったキム・ウニャンとスマホでセルフィーの写真を撮った。大会前に誕生日を迎えた北の選手のためにパーティーも開かれた。親しくなっていくと、北の選手たちも知らず知らずのうちにK-POPグループ「防弾少年団」「レッドベルベット」の歌を口ずさむようなこともあった。またマレー監督は大会初戦2日前のトレーニングをキャンセルし、開催地である江陵市のビーチに選手たちを連れて行った。北朝鮮からの12人の選手たちが選手村で韓国側の敷く厳しい警備体制のもと、なかなか自由に過ごす時間が少ないと感じ取ってのことだった。
過熱する国民の関心のもと、急造チームは少しずつ落ち着いたコミュニケーションを取るようになっていた。
”データ”と”南北交流”で振り返る南北合同チーム
しかし、前述の通り南北チーム結成は数字の面で成功だったとは言い難い。韓国選手の代わりに3つの出場枠を得た北朝鮮選手は競技面でチームの力を向上させたとは言い難かった。
大会エントリーに入った全35選手中、1分も出場機会が与えられなかった選手は9人。うち7人が北朝鮮、2人が韓国の選手だった。北朝鮮からは12人が参加したが、結局出場機会を得たのは5人のみだった。
この点は韓国メディアもチームの決勝トーナメント進出が消滅した第2戦の敗戦後にこれを指摘している。「聯合ニュース」がこんな記事を掲載した。
「南北単一チーム、北朝鮮選手は出場するも(目に)見えず……出場時間、韓国選手の半分なうえに、枠内シュート1本のみ」
さらに競技的視点から北朝鮮選手の活躍は「微々たるもの」とも言い切った。「2戦を通じ(スイス、スウェーデンにいずれも0-8で敗戦)北朝鮮選手の出場時間は0-3、0-4と試合の趨勢が決した後に増えた」。
こんなデータもある。韓国女子代表は2017年8月21日にフランスで、今回0-8で敗れたスイス女子代表と親善試合を行っていた。結果は2-5の敗戦。当時と現在は当然チームの面々は違い、単純比較はできないが、スコア差は今回の南北合同チームの状況を知るひとつの指標にはなる。
そういったチームのなかで、「南北選手のコミュニケーション」の結果はどうだったのか。
第3戦の日本戦後、韓国選手に話を聞くことができた。前出のコ・ヘジンと同様に、GKのハン・ドヒ(23/韓国・中央=チュンアン=大学)もまた家族とともにインタビューに応じていた。大学の生涯教育コースで警察行政学を学びつつ、プレーを続ける彼女は北朝鮮選手参加のためではなかったが、レギュラー選手(韓国選手)が3試合フル出場したため、グループリーグでは0分の出場機会で終わっていた。韓国メディアも「際どいところ」にやはり関心がある。韓国記者と並んで話を聞いた。
――あと2試合。その後は北側の選手たちと会えなくなりますね。
「そうですね。せっかく仲良くなったのに、連絡先も知ることができないので、これから連絡も取れなくなりますよね」
――誰と仲良くなりました?
「全員ですよ」
――特に誰と?
「本当に12人全員なんです。全員と仲良くなりました」
――同じGKで北から加わったリ・ボム選手(22歳/サジャボン体育団)と第2GKを争い、ライバル関係があるようにも見られましたが。
「いえいえ、そんなことはないです。お互い尊重し合う仲です」
――チーム内では北朝鮮選手に対して「気をつけること」というマニュアルがあったのでは? 「北韓(韓国での北朝鮮の呼び名)」と言ってはだめで、「北側」と言わなければならない、というような。
「うーん、まあ色々とありましたよね」
――言いにくい?
「ええ、まあ」
――北側の選手とは、食事は一緒だったものの、選手村の棟と移動のバスが別々です。
「確かにそこは残念なところですね。一緒だったらもっと仲良くなれると思うんですが」
――チーム結成直後は「南北のアイスホッケー用語の違いがネックになる」という指摘もありましたが、実際にいかがですか?
(筆者からの質問)
「ポジションの名前、パスの種類など一部違いがありました。GKを「門番」と言ったり。でも彼女たちも英語を勉強してきていましたね。そこは問題になっていないです」
いっぽうで、日本戦終了後、喧騒のなかでこんなシーンがあった。北朝鮮から参加した4人が小さく集まるようなかたちになっていたのだ。
39番ファン・チャングム(22歳/大成山体育団)、27番チョン・スヒョン(21歳/同)、26番キム・ヒャンミ(23歳/同)、4番キム・ウニャン。この日、22人の出場エントリーに加わった4人だ。単に4人でいやすかったのか、あるいは少し南側の選手とは距離があったか。いずれにせよ、「大会のクライマックス終了後」は北の選手同士で過ごしていた、というのは確かだった。
親しくなりたい気持ちは強い。しかし時間的・環境的制約は乗り越え難かったのではないか。現地で取材をし、南北合同チームの結果が伴わなかった背景はそういったところだと感じた。北朝鮮の選手からの発言はわずかなもので、最も出場機会の多かったキム・ウニャンが「ずっと単一チームが続いてほしい」と発言したと報じられる程度だった。
現場のファンの興味は「とにかく1ゴール」
数字面では南北合同チーム出場は「正しくなかった」。しかし、チームの結成と出場を評価するもうひとつ重要な基準がある。「見る人がどう感じたか」だ。
保守的な媒体は保守的(この場合批判的)なことを言い、革新系媒体もまた然り(肯定的)だった。このあたりは「紋切り型」のため改めて引用するまでもない。
12日、スウェーデン戦の現場で地元在住の50代と思しき大会関係者とも雑談したが、こんな保守的な内容が出てきた。
「今回もまた、北がよく使うスマイル外交が出たよ。北朝鮮側はこれで、韓国側の「南南問題」を引き起こそうとしているんだ」
スマイル外交とは、「美女応援団」や来韓した要人がにこやかに振る舞うことだ。また「南北」ではない、「南南」問題の話も出た。韓国内で北朝鮮を巡って意見が対立することだ。これは保守系からよく出てくる意見だ。
いっぽう、試合会場では進歩系市民団体と思しき韓国側の応援団が時折北の応援団とコールを合わせるようにして、熱心な応援を繰り広げていた。
では、現場のごく一般の人たちは何を思って試合を観ていたのか。10日のスイス戦の際に観客の声に耳を向けてみた。子連れの夫婦がこんな話をしていた。
「あーあ。はっきり言って力の差があるね」
「1ゴール、こうなったら1ゴールでも決めてほしい」
会話のなかに少し入ってみた。
「北韓の選手の背番号、何番か分かります?」
会場内では「誰が北の選手か」は表記されないし、スマホで調べてもすぐには分からなかった(後に平昌五輪公式サイトのメンバーリストから選手個人ページに飛んでようやく確認できた)。
父親の返事はこうだった。
「さあ、そういうことは詳しくは分からなくて……」
その他、会場で20代の男性、20代女性の大会スタッフに話を聞いたが、やはり分からなかった。
現場を包んでいたのは「メディアで多く報じられてきた現場にいる」という高揚感だった。「民族心をぶつける」といった印象ではない。チームの結果が厳しくなっていくや、期待感は「なんとか1ゴール」に絞られていった。
スタンドでの”南北交流”は両国の強い意志を感じさせた
チームの結果は伴わなかった。スタンドも想像以上に牧歌的な雰囲気だった。ただひとつ、現場で「これは凄い」と感じさせたものがある。
現場での北朝鮮応援団について、物々しい警備は敷かず、一部私服のスタッフを配置する程度にした点だ。本当に韓国の一般の観客の近くに北朝鮮の人がいる、という状況が出来ていた。両国政府が「交流をやる気だな」という姿勢を強く感じた。
釜山で行われた02年アジア競技大会取材時のことを思い出した。この頃も「美女応援団」が現地を訪れ応援を繰り広げた。周囲に人だかりができていた。しかしこの時は警備員にもスタッフにも見えた人たちが人壁をつくって北の応援団に一般市民を近づけない努力をしていた。当時、筆者もスタンドで近寄ってみたが、「見ないでください」とまで言われたことを強く記憶している。見てもらうために、来たのだろうに。
しかし、今回はこういったことが殆どなかった。男子トイレに入ると、パッと北朝鮮国旗カラーをあしらったジャージ姿の男性とパッ目が合って、筆者も驚いて思わず「お疲れ様でした」と朝鮮語で口にするようなこともあった。
日本戦が行われた14日には、こんなシーンも目にした。16時40分開始の試合前、16時ごろに「美女応援団」が入場してきた。
一般の観客とは別の入場ゲートでセキュリティチェックを受ける。ついたてがある程度で、なかの様子は丸見え。その様子を見た韓国人観客が集まってきた。
親子連れがそこにいた。周囲がざわざわするなか、興奮したお母さんは北の応援団に聞こえそうな声で、素直な声を上げた。
「わーっ北韓の人よ。不思議。ホントに不思議」
韓国では北朝鮮のことを「北韓(プッカン)」と呼ぶ。しかしこれは、北の人からすると完全なNGワード。朝鮮、韓国という用語は分断以降、イデオロギーの色を帯びたナーバスなものとなった。こちらが少しハラハラするほどだった。
子どもは興奮する母親に目もくれず、スマホのゲームに興じている。母親は子に促した。
「ほら、北韓の人よ。一緒に写真に写ったら? ほら、ほら」
それでも子どもはまったく興味を示さず、無邪気にゲームを続けていた。
敵意でもない、恐怖心でもない、強すぎる愛情でもない、たんなる「不思議な感じ」。そういったところだった。母親に聞いてみた。不思議、と言っていましたが、どんな感じなんですか?
「だって、いつもテレビで観てるじゃないですか」
「あの、北朝鮮の人たち」たちは、実際に存在する。そういったことが韓国の人たちに実際に伝わる機会になったことは確かだ。
アイスホッケーはアイスホッケー、応援は応援。そう考えるべき
「南北合同チーム出場により、北の応援団が来て、盛り上がったからよし」
これが韓国での一般的な落としどころだ。そうすることで出場機会が減った選手も報われると。
筆者は少し違う考えだ。
アイスホッケーはアイスホッケーであり、美女軍団は美女軍団。別のものだ。因果関係は絶対的なものではない。
競技的観点から、結果が伴わなかったのだから、南北合同チーム結成は正しくなかった。競争に敗れた選手がせめて報われるのであれば、それは自チームが勝利して観る人に喜びが与えられた時ではないか。選手の立場では、内心ではこれすら簡単ではないだろうが。一過性の「美女軍団ブーム」に終わるのなら、絶対に報われない。むしろ「正しくなかった」と指摘すべきことだ。
スポーツへの政治介入は許されるべきものではない。いっぽうで、スポーツとて社会現象のひとつであるがゆえ、社会とは無縁では存在し得ない。今回の南北合同チームは、そのバランスの難しさを改めて考えさせられる機会だった。
「フェアなポジション競争」などなかなか存在するものではない。とはいえ、今回は政治の方が過度の介入をした。
この先、この国での女子アイスホッケーのステイタスが著しく向上し、選手の環境が変わったり、そのきっかけとなるなら、今回の評価が変わってくるが。仮にそうなった時、はじめて正しかったということになる。
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