開幕延期のプロ野球、過去にシーズンを“短縮”した例は?
当初は3月20日の開幕が予定されていながら、新型コロナウイルスによる感染拡大を受けて、これを延期しているプロ野球。現在は4月24日の開幕を目指しているが、NPBの斎藤惇コミッショナーは「お越しいただくファンの皆様の感染リスクを可能な限り下げることが第一」としており、現状を考えるとさらに遅れる可能性もある。
東日本大震災の2011年は開幕延期も全日程消化
1950年に現在のセ・パ2リーグ制になって以降、天候以外の理由で開幕が延期されたのは1度だけ。2011年、3月11日に発生した東日本大震災の影響で、同月25日に予定されていたシーズン開幕を4月12日に再設定している。この時はシーズン全体を後ろ倒しにすることで、日本シリーズは11月12日からと例年よりも遅い日程になったものの、全球団とも144試合を消化し、2ステージのクライマックスシリーズも行われた。
それでは、過去にシーズンが短縮された例はあるのか? 以前の記事で紹介したとおり、メジャーリーグでは選手会のストライキなどでシーズンが短縮されたことが何度かあるが、日本でも予定の試合数を消化できないままシーズンが打ち切られたケースはある。
まずは2リーグ分立初年度にあたる1950年のセ・リーグ。この年は松竹ロビンス(のちに大洋と合併)、中日ドラゴンズ、読売ジャイアンツ、大阪(現阪神)タイガース、大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)、西日本パイレーツ、国鉄(現東京ヤクルト)スワローズ、広島(現広島東洋)カープの8球団制で、各球団140試合を消化する予定だった。
だが、11月22日に第1回日本シリーズ(当時の名称は日本ワールドシリーズ)の開催が決まっていたため、セ・リーグは2日前の20日でシーズン打ち切り。140試合すべて消化したのは巨人、阪神、大洋の3球団で、国鉄と広島は138試合、初代リーグ王者の松竹と中日は137試合、西日本は136試合にとどまった。
ちなみに毎日オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)、南海(現福岡ソフトバンク)ホークス、大映スターズ(のちに毎日と合併)、阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)、西鉄クリッパーズ(現埼玉西武ライオンズ)、東急フライヤーズ(のちの東映フライヤーズ、現北海道日本ハムファイターズ)、近鉄パールス(のちにオリックスと合併)の7球団でスタートしたパ・リーグはこの年はシーズン120試合制で、日本シリーズの裏で2試合を行って全日程を消化している。
1951年の阪急は96試合で打ち切り
その翌年、1951年はセ・リーグの西日本とパ・リーグの西鉄が合併し、西鉄ライオンズとして再出発。このためセ・パ共に7球団制となり、全球団とも120試合を行う予定だった。
ところが10月20日からニューヨーク・ヤンキースの至宝ジョー・ディマジオらメジャーリーグ選抜を招いて日米野球を開催することになり、日本シリーズが前倒しになった影響で、セ・パ共に予定よりも早くシーズンを打ち切った。このためセ・リーグでは最も多い阪神が116試合、最も少ない広島は99試合。パ・リーグは最多の毎日が110試合、最少の阪急は96試合と、試合数にかなりの差がついている。
1953年も10月10日の日本シリーズ開幕までに全日程を終えることができず、パ・リーグはその裏で西鉄と東映が2連戦を行なって全120試合を消化。この年から6球団各130試合制になっていたセ・リーグは10月16日まで公式戦を続けたが、日本シリーズに出場していた巨人は国鉄との5試合が残ったままで、この2チームのみ125試合でシーズン終了となった。
シーズン閉幕日が決まっているメジャーリーグでは、それまでに消化できない試合はポストシーズン進出に影響がない場合は打ち切られる。一方、日本では時には日本シリーズの裏で消化試合を行ってでも、全試合を消化するというシーズンが続いた。しかし、2004年、NPB史上初の選手会ストライキにより、9月18、19日に予定されていた6試合が中止に。これらの試合は再度日程に組み込まれることなく、当時140試合制のセ・リーグは全球団138試合、135試合制のパ・リーグは全球団133試合で終えている。
今シーズンは、現在目指しているという4月24日の開幕を実現できれば全日程の消化も可能だろうが、新型コロナウイルスによる感染拡大に歯止めがかからない状況を考えると、かなりの難題になりそうだ。同じように感染拡大の影響で開幕を延期しているメジャーリーグでは、シーズンの短縮を踏まえて今季の年俸を試合数に比例して支払うことで機構と選手会が合意したと伝えられているが、日本でもこれまでにないシーズン短縮を覚悟しなければならないのかもしれない。
※大阪タイガースの通称はNPB公式サイトに準じて「阪神」と記載