『ちむどんどん』最終話の不思議な展開 なぜいきなり時代が飛んだうえに戻ったのか
あまりにも不思議な『ちむどんどん』最終話
『ちむどんどん』は全125話で、9月30日が最終話であった。
最終話はかなり不思議な内容だった。
(以下、しっかりネタバレしています)
暢子(黒島結菜)の「沖縄ちむどんどん」開店を不眠不休で手伝ったために倒れた歌子(上白石萌歌)は医師が「見守るしかない」と見放したいわば重篤な病状となった。
意識も不明のままである。
そこで兄(竜星涼)と姉(川口春奈)と暢子がおこなったのは、この場を離れ、墓場の近くの海で「魂に呼びかけること」である。
縄文時代から弥生時代にはおこなわれていたかもしれないような、古風なワザである。
海で父の声が聞こえてきたという意味
魂に呼びかけ続けると、さすが沖縄の海にはいろんな力があるのだろう、亡くなった父(大森南朋)の声が聞こえてきた。
「まくとぅそうけい、なんくるないさ」。
魂の声である。
ただ、実際に見ていたときに私が感じたことは「死んだ父さんが言ってるってことは、ひょっとしたら、人の生死は定かではないから、若くして死んだ者がいても、残りの者は元気に生きていけという意味にも取れるんだけど…」というひたすら不安になるものだった。
8時04分ごろである。
若くして死んでしまった父の声なのだから、そういうふうに聞こえたとしても、しかたないとおもう。
2020年代にドラマは飛んで老齢の暢子登場
だけど、歌子は意識を取りもどした。
ただ取りもどしただけで、きちんと生還したのかどうか確認されてないまま、ドラマは2020年代に飛んだ。
歌子が生死をさまよっていたのは1985年である。昭和60年。
これから日本全体が異様な景気でちむどんどんする時代に入っていくのだが、それは飛ばされ、平成時代がまるごと飛ばされ、202X年となった。令和X年とも書いてある。X年って表記がすごいなあとおもったが、2020年代ということで、ほぼ現代である。
仮に2022年だとすると、37年ぶんのジャンプで、昭和28年生まれの暢子は68歳から69歳である。
母の優子も存命で、彼女は終戦時に20歳前だとすると、90代の半ばくらい。
見知らぬ人も増えた比嘉家一族
兄にも姉妹にもそれぞれに孫ができていて、もともと演じていた子役が再登場していた。
良子の孫、暢子の孫、歌子の孫の三人はいま又従姉妹どうしというわけで、かつて三姉妹を演じた三人の子役が写真を撮ってるさま(スマホで自撮り)がかわいかった。
初見の親族もたくさんいて(たとえば暢子の長男の妻や子供)、つまり知らない人が大勢いる親族一同の会合であった。
いちおう歌子は生き延び、あの生死の境をさまよったときのことを懐かしそうには話しているのだが、はたして、前日124話まで見ていた世界とリアルにつながっている世界なのかどうか、不安にさせる世界でもあった。
7分あまりの「夢まぼろしのごとき2020年代風景」
最悪「歌子が死ぬ前に見た夢だった」という夢オチになってもしかたがないと構えていたが、さすがにバラエティではないのでそういうドンデン返しはなく、集まって、食べて、歌って、踊ってという集会が数分、展開したばかりである。
そして、そのまま終わらない。
7分あまりの「夢まぼろしのごとき2020年代風景」が展開したあと、ドラマはふたたび昔に戻る。
ドラマは1971年に戻る
1971年ごろのヤンバルの比嘉家の食事風景に戻った。
暢子と歌子が同じセーラー服なので、これは1971年である。
暢子高三、歌子高一。
つまり第一話の冒頭と同じ地点に戻ったのだ。
沖縄の本土返還一年前の風景。
ちなみに1971年は『小さな恋のメロディ』という映画が公開された年であり、女優の原田美枝子は当時中一で、大冒険して銀座まで出て(たぶん南大塚住まい)、この映画を見たらしい。(このあとの「あさイチ」での情報をもとに関係ないけど付記しました)
ドラマ『ちむどんどん』はループした。
どうせ戻るなら1964年にすれば、まだ父も生きていて、そのころのほうが本当に家族らしい食卓を囲めただろうに、それだとみんな子供にまで戻ってしまうので、1971年にセットされたようだ。しかたがない。
1985年から2020年代、そして1971年
最終話の時間経過をもういちど確認しておく。
1985年、歌子の意識がもうろうとして、兄姉らがタクシーを飛ばして海に出て魂に呼びかけ、彼岸と此岸が交流できたように感じた瞬間があって、時代が飛ぶ。
2020年代へ飛び、一族が集まって飲み食い歌い踊るという夢のような時間が流れる。同時に、見ている者に本当は夢ではないかと不安を抱かせる。
1971年に戻る。
「これはヤンバルのある家族の物語です」とナレーションが入り、1971年のころ、家族みんなが穏やかであれば交わしたかもしれない会話、が展開する。
そしてドラマのほんとうのラストシーンは、海の断崖脇に立つシークワーサーの木と暢子。
暢子が実をひとつもぎって、その香りを嗅ぎ、皮を剥き、囓って「うーん」と呟く。
そのままカメラは海上へと引いていき、暢子は遠景となり、やがて陽光映える沖縄の海を映し出す。
最後の最後には海が映っているばかりであった。人が映っていない。
第1話の開始もやはり沖縄の海
第1話の放送は4月11日だったから、たかだか半年前で、冒頭シーンを覚えている人も多いだろう。やはり沖縄の海から始まった。
ラストシーンとは違って、透明度の高い浅瀬を映し出している映像で、ここも人が映っていない。沖縄では人よりも自然なのだ。
そして、シークワーサーの木と暢子が映し出される。ラストと同じシーンである。
実をひとつもぎって、その香りを嗅ぎ、皮を剥き、囓って「うーん」と呟くところから始まっている。
そのまま小さい手が伸びてきて、届かない10歳の暢子(稲垣来泉)へと変わっていった。
ラストシーンが1話冒頭とつながっている
つまり、最終125話の終わりは、1話の始まりへとつながっている。
ループさせた。かなり変わった終わりかたである。
スタンダードな朝ドラのラストは、よくわからないけど未来に進む、というたぐいのものが多い。(「エール」はちょっと違いましたけど)
彼女(主人公)の未来は開いている、と終わるのがふつうである。
でも『ちむどんどん』は閉じたのだ。
物語の輪が閉じた。
不思議な終わり方である。
物語の輪が閉じられたわけ
物語の輪が閉じられたということは、「この先も続くほどのお話だったわけではない」という意味にもとれる。
いちおう一族の未来を7分ほど見せたので、そっちのほうはそれで納得してもらうことにして、最後は「家族らしい食卓をノスタルジックに見せること」が大事だったということではないか。
未来につづく部分より、大事なのは「家族の食卓」というメッセージが感じられた。
小さい物語だったというメッセージ
つまり、このドラマは小さい物語であった、という表明なのだろう。
大きな物語ではない、登場人物たちが何か大きなことをして何かが変わったということもなく、小さいお話なんだから、未来に向けて開いて終わる必要はないでしょう、という断りに見える。
ある家庭の、その食卓の前で起こったお話です、と最後にまとめているようだ。
(最後のナレーションは「子供のころ、家族と食べた美味しいもの、共に過ごした思い出は、きっとその後の人生に勇気を与えてくれるはずです」)
そもそも物語には意味はない
そのメッセージを踏み込んで解釈するなら「この物語そのものに意味はないですけど」ということになる。そこまでは言ってないですけどね。でも深読みするとそういう意味になってしまう。
たしかに、朝ドラは、19世紀の教養小説じゃないんだから、ドラマに成長と教訓を求められても困る、という部分はあるだろう。
でも実際に視聴者の中にはそういうビルドゥングスロマンな部分を求めてやまない人もいるわけで、そういう人たちに向けて「物語は閉じた」とメッセージを発したのかもしれない。
ま、考えすぎだとはおもうけどね。
でも「食卓前の小さな物語」を目指していたのはたしかだとおもう。
ただ、コメディ部分があまりうまく機能しなかったのではないかと、これはいまおもいついた直観的な感想である。