それなら家事・育児の「時給換算」は時代遅れなのか?
家事や育児に頑張るママたちが、家の中でやっている”仕事”を時給換算したらいくらになるのか、一時期取り沙汰されたことがあります。
算出方法や具体的な時給に関しては後述しますが、そもそもこの取組自体に私は強い違和感を覚えます。特にこのご時世、あまりそういうことを声高に言わないほうがよいのでは、と考えるのです。
昨今、労働時間に向けられる目がますます厳しくなってきています。政府は長時間労働を是正するため、裁量労働制の適用対象範囲拡大に動いており、「時間ではなく成果で評価する」という動きが加速しています。時代の流れは「時間単位」ではなく「成果単位」だ、ということです。政府がこのような方針ですから、企業もこの流れを追随していくことと思います。
私は現場に入って目標予算を絶対達成させるコンサルタントです。そのため、「完全無欠の成果主義」と思われがちです。しかし、そんなことはありません。営業やマーケティングの仕事に従事しているのであれば「成果」はわかりやすく表現されますが、「成果」では推し量ることができない仕事もたくさんあるのです。「成果単位」ではなく「時間単位」で評価し、報酬を支払う職種の人も多数いることを、政府や企業経営者には理解してもらいたいと思います。(だからといって長時間労働を容認するわけではありません)
私の考えを披露したうえで、話を元に戻します。ママたちの”仕事”を時給換算したらいくらになるのか、という話にです。「炊事」「掃除」「買い物」「家計」「育児」などを、「給食のおばさん」「清掃員」「宅配業務員」「経理」「ベビーシッター」などの時給に置き換えて算出すると、だいたい以下ぐらいの時給に落ち着くようです。(あくまでも目安です)
■ 炊事 → 1,000円
■ 掃除 → 900円
■ 買い物 → 1,000円
■ 家計 → 1,100円
■ 育児 → 1,000~1,300円
育児に関わる”総労働時間”を1日8時間と考えると、育児以外の仕事も多いわけですから、子育てするママの”残業時間”はけっこう長いとも言えます。ですから、日給に換算すると15,000円~20,000円ほどになると言えるでしょう。平日のみならず、週末も”労働”はあるわけですから時給換算のみならず、「月給換算」「年収換算」すれば、かなり大きな金額になることが予想できます。
子育てもする専業主婦なら、年収480万円(ボーナスなし)は超えるだろうと試算するサイトもあり、私たち男性陣はいろいろな意味で驚くばかりです。まァ、当然このように書くと、多くの人(特にパパたち)が突っ込みを入れたくなるはずです。
「買い物に1時間かけたら1,000円かかるわけ? だったら買い物へ出かけなくていい。ネットスーパーを利用してくれ」
「レシートを見て家計簿つける作業と、経理業務は違う」
「惣菜を並べるだけなら、炊事をしたことにならん。ここは差し引いていいのか?」
「1時間の掃除に900円もかかるんだったら、ルンバのようなロボット掃除機にやってもらう」
もちろんママたちからも異論・反論が湧き上がることでしょう。
「お金をもらうために育児や家事をしているわけじゃない」
「時給に換算されると、とたんにやる気がなくなる」
「私はパパに雇われた労働者じゃない」
これらは当然の反応です。「アンダーマイニング効果」という心理現象が働くからです。「アンダーマイニング効果」とは、内的動機づけ(モチベーション)に対して、報酬を与えるなどの外的動機づけ(インセンティブ)を行うことによって、反対に意欲が低くなる現象を言います。「過正当化効果」とも呼びます。ボランティアなど、意欲的な活動をしている人物を評価し、金銭的報酬を与えると、かえって逆効果になりやすいのはこのためです。
つまり、こう言えます。意欲的に育児や家事をしている人ほど「時給換算」されるとモチベーションはダウンし、意欲的にやっていない人ほど「時給換算」して自分を認めてもらいたい、承認してもらいたいと考える、ということです。
冒頭の話に戻すと、世の中は「時間単位」ではなく「成果単位」の流れになっています。したがって、育児や家事を「時給換算」し、専業主婦の日々の労働を認めてほしい、もっと承認してほしいと声高に言っていると、
そこまで言うなら「時間単位」ではなく「成果単位」で考えようか。それが今の時代の流れだから。
などと言い返される時代になってきたとも言えます。「時間単位」で換算しても違和感があるのに、「成果単位」で換算されたら、ほとんどのママたちはたまったものじゃないでしょう。夫や子どもを”顧客”ととらえ、顧客満足を”成果”と捉えるなら、「料理で夫をどれぐらい満足させられるか」「子どもをどれぐらいすくすく育てられたか」「厳格に家計簿をつけて、どれぐらいコスト削減に励んだか」で”評価”されることになるのです。
夫や子どもを”顧客”と捉えたり、雇い主から”評価”され、労働に対する対価としての時給をもらう、という発想をしていくと、違和感どころかもう、この発想自体、気持ちが悪いし、ママだろうがパパだろうが関係なく、勘弁してくれと言いたくなります。
育児や家事が大変だから、もっと夫に手伝ってもらいたい、もっと夫に認めてもらいたい、というママたちの気持ちはわかります。(わかります、と書くと怒られそうですが)しかし、その承認欲求を満たすために「時給換算」という手法をとるのはやめたほうがいいでしょう。
外で仕事をしているパパたちは、「時間単位」ではなく「成果単位」で評価される時代に直面しているため、ママたちも成果を求められるかもしれないからです。
企業の現場でも、同じこと。意欲的な取り組みをした人に経済的報酬で報おうとすることで、かえって空気が悪くなるものです。「金さえやれば、気持ちよく働くだろう」と思っている経営者は勘違いの塊です。「うちの社員が意欲的に働かないのは、給料が少ないからだ」と考えている人事担当も勘違いのカタマリ。
お金はとてもデリケートなファクターです。お金で物事を表現しようとすると、とたんに関係がギスギスしてしまうことがあります。信頼関係に傷がつく、ということです。「時給換算」したがる専業主婦の方々は、もとから夫に対して信頼を抱いていない証なのかもしれません。育児や家事において、「時給」だの「成果」だの「評価」だの「労働」だの、という言葉を出すと、さらに関係悪化に繋がるかもしれませんので、今の時代、控えたほうがいいでしょうね。
「成果単位」で評価されるようになった人たちの気持ちも、少しは考えてあげてほしいと、思うワケです。