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悪性リンパ腫から復帰の安本彩花(私立恵比寿中学)。髪が抜ける闘病の中で決意したこと

斉藤貴志芸能ライター/編集者
写真集『彩 aya』より。(C)SDP

血液のがんである悪性リンパ腫での休業から復帰した安本彩花(私立恵比寿中学)が、写真集『彩 aya』を発売した。一時は死もよぎったという闘病生活の中で決意したことを表現するため、セルフプロデュースで制作。抗がん剤の影響で抜けた髪はごく短いまま、堂々とした姿を見せている。5ヵ月に渡る病いとの壮絶な闘いを経て至った、人生とアイドル活動への想いを聞いた。

私の人生はここで終わってしまうのかなと

――悪性リンパ腫を乗り越えた安本さんは、もともとポジティブな性格だったんですか?

安本 もともとはわりと気にしぃというか、何でもヘンに心配しすぎるタイプでした。わりと慎重で、思い切りもあまりなくて。でも、病気をして、いろいろ考え方が変わった部分があります。

――『彩 aya』に掲載のロングインタビューでは、最初は「私、死んじゃうな」と思ったと。

安本 左脇の腫れが野球のボールくらい大きくなって、皮膚が裂け出して、歩いているだけで痛みが響いて。「私の人生はここで終わってしまうのかな」という恐怖は感じました。

――がんの専門病院で検査をして悪性リンパ腫と告知されたときは、どんな心境になりました?

安本 最初は陰性と言われていたので、「まさか」という衝撃がありました。でも正直、自分が病気だとわかってからは、どんどんコトが進むのがあっという間で、あまり記憶にないんです。

――抗がん剤の副作用の苦しさについても語っていましたね。

安本 吐き気だったり、ダルさだったり、味覚がおかしくなったり。とにかく起きているのがやっとで、そういう状態が長く続きました。

必ずステージに戻りたくて辛い治療を頑張れました

――入院中はものを考える時間も多かったですか?

安本 頭の中で何か考えるくらいしか、やれることがなかったので、いろいろなことを思い返したりしました。それで自分が良い方向に変われた部分もあります。当たり前にできていたことが当たり前ではなかったというのは、すごく感じて。私はアイドルを10年以上続けて、ライブも全国ツアーもするのが当然のように思ってしまった部分があったんです。でも、日常生活もまともに送れなくなって、そういうことはいろいろな奇跡が重なってできていたんだと気づきました。小さなことにもありがたみを感じて、感謝するようになりました。

――特によく思い出すライブもありました?

安本 自分の中でエビ中(私立恵比寿中学)に対する意識が変わった、日本武道館での『ebichu pride』(2018年)ですね。6人体制になって初めてのライブで、より身が引き締まって。あの頃の自分の覚悟や輝いていた姿を思い出すと、また何かに向かって必死にやりたい気持ちになりました。他にもいろいろなライブを振り返って、必ずまたステージに立って歌いたい想いが強くなったので、辛い治療を頑張ることができました。

――エビ中関係以外には、どんなことを考えました?

安本 何だろう? やっぱり自分の中心はエビ中なので、そこを軸に「ああしたい、こうしたい」と想像していましたね。

苦しい中でも音楽だけは聴いていたくて

――人間はどんなに辛い状況でも、その中で楽しみを見つけると言いますが、入院中の安本さんにそういうものはありましたか?

安本 自分が極限に苦しい中でも、音楽にはどうしても触れたかったです。投薬によって味覚は何でも甘く感じたり、何でもしょっぱく感じたりと変わって、ごはんもロクに楽しめなかったので、音楽だけは聴いていたくて。エビ中の曲で勇気づけられたりもしました。

――特に『ジャンプ』が励みになったそうですが、そういう状況だけに響いたフレーズもありました?

安本 曲全体を通じて、そのときの自分に重なりました。ちょっと鼻歌で歌ってみたりもして、気づいたらステージのときくらいのボリュームで歌っていて(笑)。やっぱり私は歌うことが好きなんだと、改めて感じました。

――エビ中以外の曲も聴いていました?

安本 いろいろな楽曲を聴きました。病院のテレビでたまたまカラオケバトルみたいな番組が流れていて、高校生の女の子がMISIAさんの『Everything』を歌っていたんですね。名曲すぎて当たり前のように聴き流しがちでしたけど、改めてじっくり聴いたら、すごく素敵でハマった時期がありました。

考えたことを残したくて日記を書きました

――エビ中メンバーからのLINEも頻繁に来ていたとか。

安本 ライブのたびに「こんなときは彩花だったら、こうしてくれていたよね。だから早く戻ってきて」とか、常に自分が復帰する前提で話してくれて、すごく安心できました。「私には帰る場所があるんだ」と元気づけてもらえて、ありがたかったです。

――やっぱりスマホを見ている時間は長かったですか?

安本 そうですね。あとは、日記を書いたり。

――前から書いていて?

安本 ときどき書いていたくらいです。入院中は、自分が今どういうことを考えているのか、残しておきたくて。自分を見つめ直すうえでも、気持ちを書いていると安心する部分があって、頭を整理することもできました。

――苦しかった日でも欠かさず書いていたんですか?

安本 そういうことこそ残しておいたほうがいいと思って、なるべく書くようにしていました。

鏡を見たくない姿も受け入れて自信を持とうと

――5ヵ月の治療の途中からは、復帰後のことも考えるように?

安本 そうですね。もしこのまま復帰できない体になってしまったとしても、いつかは必ず戻りたい。エビ中は絶対辞めたくない。最終的にはそういう気持ちになって治療に挑んで、「またステージに立つ」という想いはブレずに、ここまで頑張れました。

――写真集のことも入院中から考えていたんですか?

安本 はい。復帰したら、どういうことを表現したいか。どういうことを伝えたいか。その頃から考えていました。治療によって髪の毛が抜けちゃって、自慢だった眉毛もなくなって、女の子としてはすごく不安になったんです。そういうコンプレックスを持っていたとしても、細かいことを気にしないで、心の底から自信を持って立てる自分でいたい。そう思うようになりました。

――そんな自分を表現したいと。

安本 インスタグラムで海外の女優さんが髪を剃り上げて、レッドカーペットをドレスでカッコ良く歩く姿を見て、勇気づけられたんです。自分もいつか、こういうふうに堂々とステージに戻れたら、絶対にカッコいい。目標にもなったし、今度は自分が誰かを勇気づけられたら嬉しいなと。そういう想いが、写真集を作るきっかけになりました。

――髪が抜け始めた頃はショックだったでしょうけど。

安本 めちゃくちゃショックでした。ドラマやドキュメンタリーで、抗がん剤でそういう容姿になるイメージはあったんですけど、実際自分がそうなると鏡も見られなくて。でも、やっぱり受け入れないとコトは進まないので。

――あまり時間はかからず、そう思えたんですか?

安本 いえ、すごく時間はかかりました。頭では「堂々として誰かに自信を与えたい」と思っていても、いざこの見た目で世に出るのは、直前まで悩みました。かつらをしたほうがいいか、考えたりもして。でも、最終的には、自分が伝えたいことがあるなら、自信を持とうと思った感じです。

辛いこともプラスに考えられるようになって

――写真集以外には、復帰したらどんなことをやりたいと?

安本 歌を作ることにはすごく興味があるので、自分が闘病の中で感じたことを表現するために、レベルをどんどん上げたいと思いました。私にはまだ音楽の才能も能力もないから、まずはいろいろなことをコツコツ勉強して、いつか自分の想いを音楽として形にしたい。そう思って、入院中も歌詞をいろいろ書き溜めたり、浮かんだメロディを録音していました。

――闘病してなかったら、気づけなかったこともありました?

安本 もちろん。生きているのは奇跡みたいなことだと、すごく感じましたし、この世に生まれてきたことに感謝しないといけない。当たり前のことですけど、改めてそう思いました。それまで、自分の人生にはマイナスなトピックが多いと思ってしまうタイプで、辛く感じることもたくさんあったんです。陰に陰にと籠ってしまって。それが、辛いことも自分を成長させる糧になるとか、どんなこともプラスに考えられるようになりました。そこが一番、自分が変われたところです。そういう点では、病気もマイナスだけではなかったなと。

――今は辛いことがあると、どうしてますか?

安本 悩みすぎずに、「元気になったんだからいいや」と思えます。そのほうが楽しいじゃないですか。毎日を楽しみながら、一歩ずつ進めるようになりました。

写真集で強い意志や生命力を出したいと思いました

――『彩 aya』はセルフプロデュースとのことですが、具体的にはどんな携わり方をしたんですか?

安本 最初に打ち合わせた時点で、「こういうことを伝えたい」とか「こんな写真を撮りたい。こんな衣装を着たい」とお伝えしました。カメラマンさんに関しても「この方でお願いします」とお話しして、写真のセレクトも今回初めて、自分でやらせてもらいました。アイドルだと本人が写真をチェックとかしないんですけど、そういうところまでやりたくて。

――特にこだわったことはありますか?

安本 先行カットで出した黒いドレスの写真は一番撮りたかったので、思い入れが強いです。先ほどお話した丸刈りでレッドカーペットを歩く海外の女優さんの、カッコいい衣装にインスピレーションを受けました。自分もあんなドレスを着て、強い意志や生命力みたいなものを出せたらいいなと思って。

――丸刈りにした海外の女優さんというのは、特定の惹かれた人がいたんですか?

安本 役のために丸刈りにした方は結構多いんですけど、カーラ(・デルヴィーニュ)さんだったり、パリコレのモデルさんだったり。特定の方というより、検索したらバズカットが海外で流行っていたこともあって、カッコいい写真、オシャレな写真がたくさん出てきました。それで「私ももう少し髪が伸びたら、こういうふうにしたいな」とか考えていました。

実家ですっぴんで撮ったら本当の自分が写っていて

――ロケ地にも希望を出したんですか?

安本 「こんな場所で撮りたいです」とイメージを伝えて、いろいろピックアップしてもらった中で「ここがいいです」とお願いしました。私の実家で撮影したパートは、ありのままの自分を出そうと思って、お父さんにも(営んでいる)美容室を「好きに使っていいよ」と言ってもらえました。

――八ヶ岳で撮影したのは、森の中で撮りたいというのがあって?

安本 それもありました。自分が表舞台に戻るときは、短くなった髪をイメージカラーの緑に染めるつもりだったし、緑は自分を象徴すると思ったので。自然の中で力強く立っている姿はどうしても写真に収めたくて、素敵な場所がないか相談させていただきました。その中で、八ヶ岳の森が候補に挙がったんです。

――撮りたいイメージはありつつ、実際に撮ろうとしたらイメージ通りにならないとか、大変なことはありませんでした?

安本 どの写真も「こう撮ろう」というより、自然な自分を表現したかったので、フランクに「これ撮ってみる?」という感じでした。水の中に入ったりもしましたし、撮っていくうちに良い表情が出るのが楽しめました。その中で大変だったというと、森の中で着ていたドレスが高価なもので、木の枝とかで傷つけないように、みんなで必死に守りながら撮影しました(笑)。

――他に、撮影で印象深かったことはありますか?

安本 実家での撮影はメイクさんも衣装さんも付けないで、ドすっぴんで服も普段の部屋着だったんですね。撮られながら、「こんな素の状態を載せて販売して大丈夫なのか?」と、ちょっと不安になって。もしかしたら撮ってもボツになるかもしれないと思っていたんですけど、実際に写真が出来上がったら、自分の本当の姿が写し出されていて。やっぱり撮って良かったなと思いました。

自分で想像してなかった底力がありました

――一方、エビ中のステージには8月の@JAMで復帰しました。寛解したとはいえ、5ヵ月の闘病生活からライブができる体力を取り戻すのは、大変だったのでは?

安本 最初はみんなと同じことはこなせないので、特別なレッスンの時間を設けていただきました。ヨガをやったり、体をほぐすところから始まって、毎日コツコツ運動して。ボイトレもやらせていただきました。

――やっぱり以前のようには体が動かなかったり?

安本 ずっと寝たきりだったから、息もすぐ上がってしまって。でも、またステージに立つには、こんなことで負けられないと思っていましたし、復帰できる喜びのほうが大きくて、苦ではなかったです。そういう期間が1~2ヵ月あって、みんなと合流したら、私がすごく元気だったのでビックリされました(笑)。何なら他のメンバーより体力があるくらいで、レッスンでみんながバテ始めても、私だけ楽しく踊っていました。

――『彩 aya』の発売は悪性リンパ腫の公表から1年後。自分でも予想以上に早く復帰できたのでは? 

安本 そうですね。こんなに早く元通りに活動できるとは思っていませんでした。自分の底力や根性に拍手を送りたい(笑)。自分でも想像してなかった力を持っていたんだと、自信になりました。これからどんなことがあっても、頑張っていけると思います。

復帰のステージの翌日は15時間寝ました(笑)

――その自分でも想像してなかった力は、どんなときに実感しました?

安本 やっぱり@JAMで久しぶりにステージに立ったとき、全部で6曲披露して、バテずにできるか直前まで不安があったんです。でも、最後まで笑顔で元気いっぱいで、やり切ることができました。終わったあとも、もう1ステージやれると思ったくらい、エネルギーがあり余っていて。そのとき、自分が持っていたパワーにビックリしました。次の日は15時間くらい寝ましたけど(笑)、ステージでは無理することもなく、自分のペースで楽しくできました。

――久々のステージでは、感動も大きかったですか?

安本 本当にたくさんの方に見守っていただけて、応援してもらっていることに改めて感謝しました。私も皆さんに早くお会いしたいとずっと思っていて、ファンの方というより、親戚のお兄さん、お姉さんに「元気になったよ」と会いに行く感覚でした。本当に嬉しかったです。

――涙する感じではなかったんですね。

安本 私はもともと泣き虫で、しょっちゅう泣くんですけど、そのステージでは喜びしかなくて。とにかく嬉しくて嬉しくて、喜びを噛みしめていました。

何気ない時間がすごく大事になって

――入院中の日記に、寛解したら「和食の美味しい出汁を感じたい」と書いたそうですが、実際に退院して和食を食べたんですか?

安本 すぐにお吸い物を飲みました(笑)。そういうシンプルな味が、治療中はまったく感じられなかったので。家にあったのがたまたまお吸い物だったんですけど、何でもいいから飲みたくて、すごくおいしかったです。

――普段の生活でも、たとえば街の光景が以前と違って見えたりもしますか?

安本 それはありますね。毎日来ていた(事務所のある)恵比寿の風景もすごくキラキラして見えるようになったり、「空がきれいだな」というようなこともよく感じます。ごはんを食べたり、オフの日に散歩したり、何気ない時間もすごく大事になりました。

――以前は気にしなかったことが、目に留まるようになったり?

安本 人と会ってコミュニケーションを取ることが、大きな喜びになりました。治療中は免疫力が下がっていて、コロナもあったので、人との面会がまったくできなかったんです。メンバーやいろいろな方と久しぶりに会ったり、今は初めての方と会うことも増えて、すごく楽しくて。人との触れ合いは本当に大事なんだと実感しています。

今はやりたいことがどんどん浮かんできます

――改めて、もし発症したときによぎったように23歳で人生が終わっていたら、やっぱり悔いは残ったと思いますか?

安本 もちろん残っていたと思いますね。そう思った経験があるからこそ、「絶対に悔いのない人生を送ってやろう!」という強い気持ちも生まれました。だから、今はこれからの人生が楽しみです。

――どんな人生を送ろうと?

安本 今回の写真集の帯にもあるように“ありのままの私”を大事にしていきたいです。これから大人になっていくと、またいろいろコンプレックスを持つかもしれない。不安になったり自信をなくすこともあるかもしれない。そんなときにこの写真集を見返して、大好きな素の自分のまま、いつまでも元気良く過ごしていこうと思っています。

――成し遂げたいこともありますか?

安本 自分で作詞作曲したオリジナルの楽曲をたくさん残していけるように、頑張っていきたいです。音楽を楽しんでいる人間としての表現をしていけたら。あと、闘病を経験して、もっといろいろな人の人生を知ってみたい気持ちが大きくなりました。コロナが落ち着いたら日本に留まらず、いろいろな国の文化や考え方に触れて、自分の視野や可能性を広げていきたいです。

――今は夢に溢れている感じなんですね。

安本 本当にいくらでも夢を作れるんじゃないかと(笑)。やりたいことがどんどん浮かんでくるので、何でも挑戦していきたいと思います。

写真は『彩 aya』より。(C)SDP

安本彩花(やすもと・あやか)

1998年6月27日生まれ、東京都出身。

2009年にアイドルグループ・私立恵比寿中学に加入。2012年にシングル『仮契約のシンデレラ』でメジャーデビュー。2013年に日本人史上最速でさいたまスーパーアリーナ単独公演を開催。2017年にアルバム『エビクラシー』がオリコン1位。ソロで1st写真集『彩 aya』を10月29日に発売。

安本彩花1st写真集『彩 aya』

発売中

3080円(税込) 発行/SDP

写真集特設サイト

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

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