熊本地震から3ヶ月・127年前の熊本地震では5ヶ月後にやや活発な余震活動
熊本地震から3ヶ月たち、熊本県から大分県にかけての地震活動は、減衰しつつも続いています。とはいっても、震度4の地震が7月9日に発生するなど、ときどき、被災地に住む人を驚かす余震が発生しており、気が休まらない状態が続いています(図1)。
気象庁では、「これまでの地震活動で揺れの強かった地域では、家屋の倒壊や土砂災害などの危険性が引き続き高まった状態ですので、今後の地震活動や降雨の状況に注意してください」と呼びかけています。
過去の地震活動がそのまま参考になるかどうかはわかりませんが、127年前の明治22年(1889年)7月28日に発生した「不忘に備ふべきの大震災」とまでいわれた熊本地震では、発生の5ヶ月後にやや活発な余震活動がありました。
明治22年7月28日の熊本地震
明治22年(1889年)7月28日に熊本地震が起きています。地震被害も大きかったのですが、前年の7月15日に福島県の磐梯山が水蒸気噴火により山体崩壊を起こし、北麓の集落が埋没して477名が亡くなるなどの大災害が発生していますので、阿蘇山も噴火するのではないかと大騒ぎになりました。
理科年表によれば、死者20名、全壊239棟という被害となっていますが、社会に与えた影響は非常に大きいものでした。
7月29日の官報号外では、熊本県発として、
「熊本市街大地震 昨二十八日午後十一時四十九分大地震市街処々地裂け潰家死傷等あり鳴動尚ほ綴まぞ」
との記事があります。
官報は、国が発行する唯一の法令公布の機関誌として、また、国の公報誌、国民の公報誌としての役割を持っています。官報の創刊は、明治16年(1883)7月2日(月曜日)です。創刊号から内務省気象台の気象報告が掲載されていましたが、地震が発生したときは、内務省からの速報や調査報告が載っています(図2)
東京朝日新聞では、写真をもとに復刻した図(真図、図3)をつくり、これを使って付録を印刷しています。ライバルの読売新聞に、「9月1日の新聞には付録として熊本県下大震災惨状真図の発行予定」との広告をうっていますので、かなり力が入っていた付録と思います。
この紙面では、熊本地震は、貞観9年の震災など、過去の日本で発生した9回の大地震に匹敵し、「不忘に備ふべきの大震災」という表現をしています。
明治の熊本地震は5ヶ月後に活発な地震活動
明治熊本地震から5ヶ月後の12月中旬、熊本地方では地震活動が活発になっています。
地震がこのまま終わってくれると思った矢先の余震活動ですので、よけい阿蘇山も噴火するのではと懸念されたのですが、それは杞憂でした。
忘れられた明治熊本地震
災害対策で重要なことは、「過去の災害をしつこく思い出すこと」と言われているのは、過去の教訓が活きるからです。しかし、今年の熊本地震を、多くの人は、熊本で初めておきた大地震と受け取っていました。明治22年(1889年)7月28日に「不忘に備ふべきの大震災」とまでいわれた熊本地震の伝承が忘れられていたのです。
熊本地震から3ヶ月がたちましたが、まだ終わったわけではありません。全国からの支援もまだまだ必要ですが、一方で、教訓の風化ということが言われはじめています。
自然のサイクルと、人間の一生は全く違う長さのものです。人間の尺度は、自然には通用しません。忘れられた明治熊本地震のようにならないよう、きちんと教訓を後世に残すことを意識する必要があると思います。