「すれば謝罪」を撲滅しよう
別に新しくも独自でもない主張だが、前からこれは言いたかったのでこの機会に、ごく手短に書く。
直近ではこの記事。
朝日新聞2018年6月21日
穴見氏は21日、書面でコメント。「参考人のご発言を妨害するような意図は全くなく、喫煙者を必要以上に差別すべきではないという思いでつぶやいた」と弁明。「参考人の方はもとより、ご関係の皆様に不快な思いを与えたとすれば、心からの反省と共に深くおわび申し上げる」と謝罪した。
またこの「~とすれば謝罪する」類のやつか。これこそ本当に「いいかげんにしろ」といいたいが、愚痴っているだけでも何なので、声を大にして主張してみることとしよう。この手合い、仮に「すれば謝罪」と名付けてみるが、この手合いの謝罪のやり方は、少なくとも公の場からは追放したい。「すれば謝罪」撲滅運動ということだ。
上掲記事は当該議員のヤジ自体が言語道断(そもそも議場でのヤジ自体言論として下劣だし、一万歩譲って政治家同士ならまだ許すとしても参考人に対して言っていいはずもない。議院の権威を著しく傷つけるものというべきであろう)だが、とりあえずその点は他でもさんざん言われているのでここでは措く。ここで問題にしたいのはこの「~とすればおわびする」といった言葉遣いそのものだ。
この種のものいいは、政治の場には限らないが、政治の場では特に目立つ。たとえば国会の議事録検索で「とすれば おわび」で検索すると、過去5年間でこの種の発言が32件ヒットする。参考までに、そのうち今年に入ってから6月20日までの6件を挙げておく。
196 衆議院 消費者問題に関する特別委員会 6号 平成30年05月17日
福井国務大臣 私自身について、先ほどもおっしゃいましたけれども、セクハラ行為を直接指摘されたような経験はありませんけれども、仮に、過去、六十四年と半年生きておりますので、私の言動によって不快な思いをされた方がもしいらっしゃるとすれば、衷心よりおわびを申し上げなければならないと思います。
196 衆議院 厚生労働委員会 17号 平成30年05月11日
矢野政府参考人 ただ、それでもなお繊細さを欠いたとすれば、おわびを申し上げます。
196 衆議院 内閣委員会 5号 平成30年03月28日
福井国務大臣 もう一度整理させていただきますと、先ほど先生から御指摘のような報道は承知をしております。今回の報道につきましての記憶がございませんし、私自身、エンバラストな感じというのも申し上げましたけれども、しかし、過去に私の言動で不快な思いをされた方や御迷惑をおかけした方がいるとすれば、衷心よりおわびを申し上げたいというふうに思っております。
196 参議院 法務委員会 4号 平成30年03月23日
政府参考人(富山一成君) いずれにいたしましても、委員がおっしゃるような対応があったとすれば大変失礼な対応でございまして、おわびを申し上げたいと思います。
196 衆議院 財務金融委員会 8号 平成30年03月20日
太田政府参考人 お答えを申し上げます。私も、今委員から言われれば、答弁を確認しないといけないと思いますが、そのときに、もし私が十分まだこなし切れていなくてそういう答弁をしていたとすれば、それはおわびを申し上げます。
196 衆議院 財務金融委員会 7号 平成30年03月16日
太田政府参考人 それで、その言葉で、そういう認識で物事を考えているのか。今委員から、言葉そのもののことを言っているんじゃなくて認識はどうかということでおっしゃられましたので、そういう認識で我々は臨んでいるというふうに先ほども申し上げたつもりでございますが、私の言葉が不十分で委員にそういうふうに受け取られたとすれば、それはおわびを申し上げます。
性質上政府側の発言に集中するのはしかたない。ただことわっておくが、これは自民党など現在の与党に限ったものではない。参考までに民主党政権時代の2012年の1月から6月20日までで同じ検索をすると7件ヒットする。よくみると必ずしもここでいう「すれば謝罪」にあたるとはいえないものもあるが、それは自民党とて同じなので、要するにどの党が政権をとろうとこういう言説が使われるということだ。答弁を作成する官僚の語彙なのかもしれない。今回のケースは官僚とは関係なさそうだが。
ともあれ、上の例はほとんど表現が同じだ(人が共通しているからという要素もあろう)。議事録を読めばわかるが、流れもどれもほぼ共通している。何か批判を受けたことに対して、つらつらと弁明を重ねたうえで、誤解を与えたのであれば、不快な思いをされたのであれば、といった具合に仮定を置いて、おわびをする、としめくくる。自分はそんなつもりはなく、ひどいことを言った覚えもないが、あなた方がそう思うんなら一応頭は下げとくよ、ということだ。ひどいことを言ったというのはあなた方の考えであって、自分はそうは思っていない、と言っているに等しい。要するに、一見謝っているようにみせてその実、謝っていないわけだ。
もちろん、中には上掲記事のように「とすれば、心からの反省と共に深くおわび申し上げる」と、「心からの反省」みたいな文言をつけくわえているものもある。反省はしている、ということだろう。だが、その前に「とすれば」が入っていることには変わらない。「誤解を与え」るような発言なのかどうか、この議員は自分では判断していない。そもそもその発言が不適切かどうかを自分で判断した結果、反省した上で謝罪するのでなければ意味がないではないか。そもそも今回のケースでは誤解の余地はほぼない。発言はそのままの意味でとる方が自然だから、わざわざ「とすれば」をつけたのは、本気で謝る気はないという意思表明ととる以外ない。他のケースも概ね似たようなものであるように思う。
謝る側からすれば、これなら比較的気楽に頭が下げられる、という要素もあるのだろう。何せ悪いと思ってるのは相手側で、自分では悪くないと思っているわけだから。だがそれでは意味がない。政治家の仕事は国政を動かすことであるわけで、頭をいくら下げても問題が解決するわけではないが、非を認めるべき局面で(「とすれば」ではなく、そういう状況だから謝罪するハメに陥っているのだ)なぜそうなのかすら理解せず、頭すらまともに下げられない政治家に国政を進めることなど期待できようがない。
企業経営者の謝罪会見というのもちょくちょく見かけるが、こうした表現はあまり見ないように思う(もちろん、ないとはいわない)。事情がちがうだろうからいちがいに比較できるものではないが、謝罪の意思を表す際には「とすれば」は使わない方がいい、という見本にはなっていると思うので、1つ最近の例を挙げる。2016年4月20日、燃費試験データの不正操作問題での三菱自動車工業株式会社・相川哲郎氏の記者会見から。
【全文】三菱自動車・相川社長が謝罪会見「燃費を実際よりよく見せる不正操作が判明した」
ログミー2016年4月20日
相川哲郎氏 当社製軽自動車の型式認証取得において、当社が国土交通省へ提出した燃費試験データについて、燃費を実際よりもよく見せるために不正な操作が行われていたことが判明しました。
また、国内法規で定められたものと異なる試験方法がとられていたことも判明しました。お客様はじめ、すべてのステークホルダーのみなさまに深くお詫び申し上げます。
申し訳ございませんでした。
この問題自体は重大だとは思うが、これも本題ではないので措いておくとして、このように言えば、謝罪の意思は明らかだ。逆に、このケースでもし社長が「不正な操作が行われていたとすれば謝罪」とやっていたらどうなっていたか、想像に難くないだろう。政治家の皆さんは、それを平気でやっているということに対して、もう少し問題意識をもってもらいたい。野党の方々ももちろん例外ではない。この問題については与野党関係なく同じ穴の貉だ。
メディアの皆さんは、もし「〇〇とすればおわび」などと言う政治家がいたらすかさず、「あなたは〇〇という認識があるのか」「その〇〇は自分の責任と思っているのか」「なぜそのような発言をしたのか」と問いただしたうえで、その問題についてどういう方針でこれからいつまでに何をするのかといった具体的なプランを聞き出していただきたい。企業の謝罪会見なら、ふつうはそこまでやらなければ許してもらえないし、即進退問題に発展する。政治家個人に聞いても無駄と思われる状況なら、所属政党なり所轄官庁なり、答えるべき立場の組織に同じ質問を。
というわけで、「すれば謝罪」はもう見たくない、「すれば謝罪」はやめよう、と再び大声で主張しておいて、本日ここまで。