日本を「盗人」呼ばわり――中国「尖閣諸島デジタル博物館」に入った時の強い不快感
中国がインターネット上に、沖縄県の尖閣諸島を「自分たちの領土だ」と強弁する博物館を開設し、その主張の拡散を試みている。尖閣周辺では中国船が領海侵入を繰り返し、実効支配の意図をむき出しにしている。日本側の有効な支配の強化とともに外交的な圧力が急務だ。
◇一方的主張が満載
デジタル博物館は福建師範大学の研究チームによって設計・作成され、中国語で表記されている。
ウェブサイトにアクセスすると、博物館のような建物が現れ、エントランスホールでは勇ましい音楽が流れ、「中国釣魚島(尖閣諸島の中国語名)」と記した塔がみえる。
博物館は3つのテーマに分けられ、最初の「釣魚島の歴史と主権」という展示室では尖閣諸島を構成する島の中国語名やその説明とともに、中国側が尖閣での領有権の主張の「根拠」とする資料が掲げられている。
そこでは「順風相送」(中国は1403年作と主張)という文献が取り上げられ、「釣魚嶼(釣魚島)などの名称が明確に記されている」「島の名前を最も早く記した文献」と記している。「使琉球録」(1534年)という文献も掲載され、「釣魚島が琉球に属さないことが明らかである」という主張の裏付けとしている。
ただ「順風相送」は単なる航路図に過ぎず、領土・領海を示すものではない。「使琉球録」にも尖閣諸島を明や清の領土とする記述はなく、国際法上の領有権の根拠にはならないものだ。
次のホールは「日本による釣魚島を盗み取る企み」がテーマだ。
展示は「明治維新以後、日本は外国の侵略と拡大を加速させた」との記述で始まり、「日本は陰謀を企てて釣魚島を侵略・占領し、1894年の日清戦争が終わって秘密裏に、島を領土に『編入』した」などと記している。
第三のホールは「中国政府の釣魚島に関する主権の声明、合法的権利の維持」が主題。中国政府の決定や、共産党機関紙・人民日報の切り抜きなどが展示され、「神聖な領土の侵犯を容認しない」と大きく記されている。一応、「争いを棚上げして進めた中日友好関係の発展」などの掲示も見受けられる。
同博物館は今後、英語、日本語、フランス語などの表示も予定しており、国際社会に中国の主張を拡散していくという意思がはっきりうかがえる。
◇尖閣諸島には領有権問題は存在しない
尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかで、現に実効支配をしている。この理屈から、尖閣諸島をめぐり解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しない。
内閣官房領土・主権対策企画調整室の資料などによると、19世紀後半まで、尖閣諸島は琉球周辺の無人島で、どの国にも属していなかった。
明治維新(1868年)後、1879年に廃藩置県により沖縄県が設置され(琉球処分)、85年に沖縄県が尖閣諸島を調査した。95年1月、漁業者取り締まりの必要性から国標(日本領であることを示す表示)が建設され、沖縄県所轄も閣議決定された――という歴史的経緯がある。
そもそも中国が尖閣諸島に関する独自の主張を始めたのは1970年代以降。68年実施の国連機関による調査の結果、東シナ海に石油埋蔵の可能性があるとの指摘を受けて尖閣諸島に注目が集まったためだ。それ以前の中国は「米国の施政権下に置かれた地域に尖閣諸島が含まれている」ことに対して異議を唱えず、人民日報の記事(1953年1月8日)にも琉球諸島は尖閣諸島を含む7組の島嶼からなるという趣旨の記述がある。
◇「キャベツ戦略」次のターゲットが尖閣
尖閣諸島の領海のすぐ外側にある接続水域では今年4月14日~8月2日、中国公船が111日連続で確認されている。接続水域に入った数は延べ400隻を超える。
領海侵入も繰り返している。今月11日には公船2隻が侵入し、13日夜まで連続57時間以上も領海にとどまった。接続水域には機関砲を搭載した大型船も確認されている。
こうした中国側の動きに日本の漁船は脅威を覚え、尖閣周辺には近づかなくなったという。日本の海保巡視船の数も中国公船よりはるかに少なくなっている。
中国の占領方法に「巻心菜(キャベツ)戦略」というものがある。キャベツの葉で一枚一枚包むように、さまざまなタイプの民間船を送り込んで取り囲み、それを保護・監視するために準軍事船を動員して圧力をかける。
数の力で相手国の疲弊を誘う一方、民間船を使った小さな行動の積み重ねであるため当事国の反発も限定的となる。知らないうちにその国は領土を失わざるを得ない境遇に陥る――という巧妙なものだ。実際、中国は2012年4月、このキャベツ戦略によって、フィリピンから南シナ海・スカボロー礁の実効支配を奪っている。
フィリピンが実効支配していた南シナ海のミスチーフ礁は、米軍がフィリピンから撤退したのを機に中国に占拠された。尖閣諸島に関しても、中国は米軍の動向をにらみながら、実効支配に打って出るタイミングを図っているように思える。