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リビア首相誘拐事件の顛末が示すもの

六辻彰二国際政治学者

ゼイダン首相の「逮捕」

10月10日早朝、リビアのアリ・ゼイダン(Ali Zeidan)首相が、首都トリポリにある高級ホテルで武装集団に誘拐されました。目撃者の証言では、ゼイダン首相の誘拐に際して銃撃などはなく、まるで「逮捕」のようだったということでした。実際、ゼイダン氏を誘拐した武装勢力「リビア革命派司令室」は、首相の「逮捕」を発表しました。

今回の事件の発端は、先日リビアで米軍が行った急襲作戦とアル・カイダ幹部アブアナス・リビーの拘束に関して、米政府高官がリビア政府の関与を認めたと、ニューヨークタイムズが報じたことにあります。自国領内での作戦と拘束に関して、リビア国民議会は8日、「国家主権の侵害」を批判し、米国政府にリビー被告の送還を求める決議を採択しています。また、ゼイダン首相やリビア政府も米国政府に説明を求めていました。このなかで、ニューヨークタイムズだけでなく、リビア国内のメディアでも政府がこの作戦を承認していたと報じられたことは、国内の反米感情やムスリムとしての一体性を鼓舞したとしても、不思議ではありません。

これらの報道を受けてゼイダン首相を拘束したリビア革命派司令室は、2011年のリビア内戦のさなかに台頭した幾多の民兵組織のうちの一つで、新体制のもとでは内務省の警護にあたっていました。いわば、国内の治安維持の任にあたっていた民兵組織が、米軍による作戦を承認した嫌疑で首相を逮捕した、という理由づけになります。

ゼイダン首相の早期解放

リビア政府が米軍の作戦を承認していたか否かは定かでありません。仮に承認していたとしても、国内から批判が噴出するであろうことは目に見えていたので、「知らなかった」の一点張りで押し通そうとしたとしても不思議ではありません。一方、ケリー国務長官も(外交的には当然ですが)伝えたとも伝えなかったとも言っていませんが、これまでのパキスタンの例などからすれば、情報の漏えいなどを恐れて、当該国政府に通達しないままで作戦を強行したということも想像されます。

いずれにせよ、首相を支持する民兵組織が解放に向けて動いたという情報もある中、「逮捕」から1日もたたない間にゼイダン首相は解放されました。解放の模様もまだ定かではありません。

リビア新体制の脆さ

今回の出来事は、リビア新体制の脆さを改めて浮かび上がらせました。議会選挙が行われ、首相が選出され、国家として一応の体裁は整えましたが、いまだ統治機構は固まっていません。リビア革命派司令室という一民兵組織が内務省の警護にあたっていたことは、その象徴です。

しかし、これは内務省に限らず、他の中央省庁でもほぼ同様の模様であることは、治安維持という国家として最低限の機能すら、いまだ統一的な指揮命令系統のもとにないことを意味します。

リビアでは現在でも各地域で部族単位の自治を求める動きなどが活発で、治安も改善していません。これは経済復興にも影を落としており、エクソンモービルやロイヤル・ダッチ・シェルはリビア国内での操業を延期しています。

この状況下、ゼイダン首相の組閣人事などをめぐり、国内各地の武装勢力から様々な圧力が加えられていたと伝えられていることからも、リビア国内が結束からほど遠い状態にあることは確かでしょう。

早期解放のシナリオ1

一方、首相が早期に解放されたことには、どんな意味があるのでしょうか。詳しい事情は現状において定かでありません。しかし、推測を重ねていけば、そこに二つのシナリオを描くことができます。

一つには、ゼイダン首相と革命派司令室との間に、一定の合意ができたというパターンです。アフリカや中東などの、特に政情が不安定な国では、政治的有力者に対して脅しをかけ、自分たちの利益を政策に反映するよう強要する、という行動パターンが頻繁にみられます。この場合、ゼイダン首相が「リビー拘束作戦」を事前に知っていた(と報道された)ことが、その「逮捕」につながりました。恐らく、ゼイダン首相は「自分は知らなかった」と言い張ったことでしょう。その場合、それでなお早期解放が実現したということは、革命派司令室がその言い分を鵜呑みにしたというよりは、それを一応受け止めたうえで、今後の対米関係を見直す、あるいはリビー被告の送還をより強硬に求めさせることを求め、それにゼイダン首相が了承したから、と考えた方が自然です。

先述のように、リビアの国家機構は盤石とほど遠い状況です。したがって、そういった要望を力づくで首相に呑ませたとしても、革命派司令室が、少なくとも短期的に、何らかの制裁を受けるとは考えにくい状況です。内務省の警護を任されていたということは、詳細は不明ですが、それなりの軍事力を備えているはずで、首相誘拐のかどでそれに何らかの制裁措置をとるとなると、政府も大きな損害を被り、さらに革命派司令室と近い立場の勢力との内乱が起こりかねないことを覚悟せねばなりません。この状況にあっては、そういった「密約」で事態の処理が図られたということは、一定の合理性があるといえるでしょう。

早期解放のシナリオ2

もう一方のシナリオとしてあるのは、革命派司令室が首相拘束を長引かせるのはまずいと判断した、というパターンです。

国民議会の多数派は、穏健派の国民勢力連合(National Forces Alliance)が占めています。NFAは欧米諸国や日本では世俗派やリベラル派と認知されがちですが、NFA自身の自己規定では「リビアにおいて全くの世俗はあり得ない」のであり、目指すべきは「リベラル過ぎない」国家となっています。

革命派司令室はイスラーム色の強い勢力とみられていますが、それでなお「穏健派」のゼイダン首相を「敬意をもって逮捕」しさらに解放が早期に実現したことは示唆的です。つまり、少なくともイスラームの価値を擁護する姿勢を示し、さらにリビー拘束作戦に関して何も知らなかったと主張する首相を拘束し続けた場合、国内のさらなる分裂を促しかねず、それは自らが「賊軍」になる可能性があるだけでなく、隣国エジプトのような果てしない混乱にリビアを陥れる可能性すらありました。シナリオ1と比較して、より高次の合理性に基づいて、革命派司令室が矛を収めた、という見方ですが、この場合でも革命派司令室自身が壊滅の危機に直面することはない、という織り込み済みでの判断といえるでしょう。

リビアが直面するジレンマ

現段階において、いかにして首相が「解放」されたかの真実は明らかでありません。あるいは、将来的に真実は全く明らかにされないかもしれません。しかし、少なくともゼイダン首相の解放によって、リビアが本格的に分裂する危機は、当面回避されたことは確かです。

ただし、シナリオ1と2のいずれが真実であっても、あるいはそれ以外の真実があったとしても、今後ともリビア新体制が多くの分裂を抱えた状態で進まざるを得ないことと、国内に数多くの急進派を抱えていることには、何の変化もありません。仮に米軍(とは限らないですが)がより一層の軍事活動を展開した場合、国内の不満はさらに増幅するでしょう。一方、国内の治安を回復するうえで、リビア新体制があまりに力不足なこともまた、確かです。新生リビアが直面するジレンマは深刻です。

これを解消するうえで、究極的には国家機構の再建が欠かせないのですが、そのための原資となる油田操業が停滞していることは、既に述べたとおりです。「アラブの春」から2年。いまだ生みの苦しみにあるのは、シリアだけではないのです。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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