地蔵盆に見る、変わる京都に、変わらぬ京都
側から見ると京都のお盆のクライマックスは大文字の送り火だと思われているが、町衆にとってはまだ終わりではない。地蔵盆が残っている。
京都は、コンビニや郵便ポストの数よりもお地蔵さんが多い。全国的に見てもこんな街はない。東南アジアなどを旅行すると、街角に仏像などが立っている風景を目にするが、京都のお地蔵の数には勝てない。
地蔵菩薩のルーツは、以外にも、インドの神話に登場する地母神のプリティヴィーとされ、彼女は、後に仏教に取り入れられ「地天」となった。地蔵信仰は、七世紀にインドから中国に渡り、奈良時代に日本にやって来た。平安時代の中頃から皇族や貴族の信仰の対象となり、平安末期頃から民衆へと広がった。明治時代の廃仏棄釈の難を乗り越え、町衆の手によって時代を超え今にバトンタッチされてきた。
地蔵菩薩はブッダに頼まれ、末法時代において六道で苦しむ衆生を救済する役目を担っている。町内のお地蔵さんは、町内の安全はもちろん、とくに子どもの見守りである。生きている間、お地蔵さんを拝んでおくと、死後の世界で苦しむようなことになっても来て助けくれるという。
京都の町衆は、8月の下旬に町内毎にあるお地蔵さんを囲む。子供にとっての夏休みが終わる直前最後の楽しいイベントでもある。お菓子やおもちゃだってもらえる。おっ(和尚)さんが来て、御経を上げてくれ、子供達で百万遍数珠回しをするのも恒例になっている。
週末の京都西陣。この地域が西陣と呼ばれて550年。かつての着物産業の中心地である。西陣地区にその昔、日本の主な銀行の11もの支店が集まっていた時代もあったというから、ここは経済の中心地であったことが安易に想像つく。しかし、着物産業も盛んだったのはいわば昔の話。今では、インバウンドで盛り上がる京都だが、基本的に観光客が西陣辺りに来ることもない。
西陣の一つ町内の一角にあるお地蔵さん。朝8時過ぎから人がパラパラと集まりだし、地蔵盆の準備に取り掛かる。お地蔵さんの前掛けを新しくし、お供え物を並べる。そして床机に腰掛けてお上人を待つ。わずか7名だけの小さな地蔵盆。最近の流行りの言葉で言うと、高齢者と後期高齢者の集まりである。
しばらくすると僧侶がやってきて御経を上げる。その間、みんなで数珠回しをする。数珠が入っていた空箱にはこれがいつの時代のものか書いてある。明治24年。126年前のものである。
さほど時間もかからず祭りは午前中まで。お供え物をお下がりとして町内の家の数だけ袋に分ける。お下がりも、子供がいるような町内会とまるで違う。ここにはお菓子やおもちゃはない。洗剤に、サランラップに、ビールなど大人の日用品ばかりである。恒例行事が今年も無事に終われたことに胸をなでおろし、手際よく後片付けを済ませて解散。ちょっとしたガタガタの細い道を手押し車を押しながらそれぞれの家に帰って行く。
本来なら子供を中心に行われる地蔵盆。だがここには子どなどはいない。だけど子どもを思う親の心は、少し足りとも変わることなく健在である。小さい時の思い出を胸に、巣立った子どものこともの幸せを祈願する老人となった親たち。
時代の波にビクリとも動揺することなく、信じる心を胸に生きる京都の民衆の豊かさがここにある。この街の底力をこんな所にも垣間見る。