大洋の元投手が広げ、北海道の球界が共感したボールの再生 日本ハムも球児と障がい者を「赤い糸」でつなぐ
好きなスポーツを尋ねたら、世代を問わず必ず上位に入る野球。日本ではプロ野球のみならず、高校生の全国大会である「甲子園」にも高い関心が集まる。
そんな人気種目にも関わらず、プロ野球選手や球児が使っている白い革を赤い糸で縫い合わせたボール、いわゆる硬球に触れた人となると、硬式野球経験者や一部のファンに限られてしまう。
筆者はこれまでに実施してきたイベントでNPB(日本)、KBO(韓国)、国際大会のボールを参加者に握ってもらい、違いを実感してもらったことがある。その際、そもそも「硬球を初めて触った」という人が少なくなかった。
野球に興味がある人でも接点があまりない硬球。その硬球が障がいのある人たちの手によって、再生されていることをご存じだろうか。
元プロ選手が発案した「ボール再生」
かつて横浜大洋(現・横浜DeNA)の右腕投手として活躍し、現役引退後は地元・京都で複数の事業を手掛ける大門和彦さんは、今から11年前、母校の京都府立東宇治高校である光景を目にした。
「倉庫の中に山積みのボールがありました。僕らの頃は練習球が50球くらいしかなくて、近くのバッティングセンターで古くなった軟球を、1個10円で譲ってもらっていたのとは大違いです」
試合用の硬球は土がつくか、ファールチップなどで少しでも傷がついた瞬間、役目を終え練習用となる。そのボールはきれいな状態であればノックなどに使われるが、つかんで投げるには違和感を感じるほど損傷したものは打撃練習用に回っていく。
さらに糸がほつれピッチングマシーンに入れるのが困難になると、そのまま倉庫に眠る。というのが最近のボールの一生だ。
しかし大門さんが高校球児だった三十数年前はボールがボロボロになると、部員たちは家に持ち帰り、針と糸で縫っていった。
「いまの高校生は、ボールを縫わないそうです。単純にもったいないと思って『再生できませんか?』と相談しました」
大門さんが声をかけたのは、障がい者の就労支援を行うNPO法人就労ネットうじ「みっくすはあつ」(宇治市)の管理者・小畑治さん。小畑さんから障がい者の就労事情について聞き、以前から関心を持っていた大門さんは、硬球のほつれた糸を縫う作業が、障がいのある人の仕事のひとつになればと考えた。
「小畑さんは『一回やってみましょう』と言ってくれて、最初は20球の作業をお願いしたところ、『できそうだ』ということになりました」(大門さん)
その5年後の2014年、大門さんも障がい者の就労支援を行う企業、スマイルワークを設立。「エコボール」と名付けたその取り組みは日本プロ野球OBクラブがサポートし、現在、高校野球部174校、少年硬式野球など85チーム、計259団体が修繕を委託している。1球100円の修繕費はすべてスタッフの工賃(賃金)に還元されている。
京都のアイデアが北海道へ
京都発の「エコボール」の取り組みに他の地域も興味を示した。18の団体が加盟し、学童、学生から社会人まで3600を超えるチームが登録するNPO法人北海道野球協議会だ。
選手、指導者として北海道のアマ球界の発展に尽力してきた、同協議会の柳俊之理事長は野球を通しての地域、社会貢献を進める中で、障がい者への持続的な就労支援ができないかと常に模索していた。
すると京都の事例が耳に入り、さらに北海道では以前から帯広と苫小牧で同様の仕組みがあることを知る。柳理事長は「それを北海道全体に広げたい」という思いが高まっていった。
そして2019年、北海道内の硬式野球部、チームに保管されていた使われない硬球を回収し、障がい者就労支援施設で修繕、そのボールを再利用する取り組みがスタートした。
その名は「インクルージョンボール事業」。「インクルージョン(inclusion)」とは「社会的包容力」、「社会的包摂」という意味で使われる「ソーシャル・インクルージョン」として認知されている言葉で、すべての人々を社会の中で包み支え合っていこうという考え方だ。
柳理事長はこれまで、障がいのある人との交流を積極的に行ってきた。その背景には約20年前のある出会いがあった。
「ティーボールの普及活動で障がい者施設を訪れた時に、10代後半の体の大きい男の子に会いました。聞くと甲子園にも行くような強豪校の高校球児だったのが、交通事故に遭って脳に障がいが残ったそうです。ティーボールの道具を渡すと目を輝かせて喜んでくれました。その時、障がいのある人もない人も同じ社会の仲間だと改めて感じました」
柳理事長が活動する北海道野球協議会は他地域の組織とは大きな違いがある。それはアマチュアだけではなくプロ野球チーム、北海道日本ハムファイターズも加盟しているという点だ。
「ボールのリサイクル」と「障がい者の就労支援」、この2つを兼ねた取り組みに、プロ球団ならではの力が加わることになった。
球団の呼びかけに企業も賛同
北海道日本ハム広報部SCグループの笹村寛之グループ長は球団の役割について、「ファイターズが呼びかけることで、多くの方々にご協力いただけるということが大きい」と話す。
北海道という広大な土地では修繕するためのボールを各野球部、チームから回収するのに移動距離がネックとなる。その問題解消に応じたのが全道をカバーする、北海道コカ・コーラの関連企業である幸楽輸送だった。
またボールを修繕するために必要な糸や針はスポーツ用品メーカーのミズノが提供。障がい者就労施設への修繕依頼は、札幌市の社会福祉事業の委託を受けるアウトソーシングセンター元気ジョブに委託した。
「どのパートナー企業、団体の方も『素晴らしい取り組みだ』とおっしゃってくれて、前向きに協力してくれます」と同球団広報部SCグループの福田恵介ディレクターは笑顔を見せる。
ボールを修繕する工賃は先行して実施している帯広市文化スポーツ振興財団に合わせて、1個60円に設定されている。
しかし再生したボールを買う側の野球部、団体の負担額はその半分の30円で済む。残りの30円はファイターズがチケット、グッズなどの売上の一部や、チャリティーオークションの収益を積み立てたファイターズ基金で支援しているからだ。
実施初年度(2019年)に各野球部、チームから回収されたボールの数は6639球に上った。
映像:「インクルージョンボールとは?」(NPO法人 北海道野球協議会)
ボールの修繕が社会参加の喜びに
障害福祉サービス事業所のセルプさっぽろ(札幌市)で実際に作業を行う30代の男性は「最初は難しそうだと思ったけど、途中から楽しくなって、集中してできるやりがいのある仕事です」と話す。
針と糸を使う作業というと女性向きとも思えるが、ボールを縫う糸は縫製の糸に比べて太く、革に開いた穴に針を通すには力がいる。そのため男性が積極的に取り組んでいるところが多い。
ボールの修繕は工賃が低額なこともあり、それだけでは仕事として成立しない。だが事業所ではボールの修繕を快く受け入れている。事業所の職員は穏やかな口調でこう話した。
「閑散期の空いた時間の軽作業として行っています。ボール1個を完成させるまでの時間は、ボールの状態や作業をする人によって差がありますが、ノルマがないので作業が負担になることはないですね」
修繕を行う男性は「気分転換になる」と話し、事業所側は「ボールを直す人たちが、ファイターズや高校野球に関わっているという、社会に参加する喜びを感じる機会になっています」と利点を挙げた。
「エコボール」事業を行う京都のスマイルワークでは、修繕を依頼した野球部やチームにボールを届ける際、作業をした障がい者施設の利用者も同行している。
「野球部員全員が出迎えてくれて、感謝の言葉を伝えてくれる高校もあります。それが嬉しくてボールを直すことにやりがいを感じる人もいます」(大門さん)
笑顔で語る未来への願い
新品の硬球は1個約1000円と高価。小樽双葉高校野球部の近江竹志部長は「ボール代が部費全体の半分を占める」という。そのためボールを修繕して再利用する仕組みは、限られた予算で活動する野球部にとっても好都合だ。
北海道高野連の小樽支部事務局長でもある近江部長はインクルージョンボールについて、「直してもらったボールはとてもきれいで、心を込めてやっていただいている気持ちが伝わります。ですが、まだ各野球部、部員のすべてが認識しているわけではないので、広めていくことが今後の課題です」と話した。
筆者も修繕を行う障がいのある人に指導をお願いし、少し黒ずんだボールに2本の針を1本ずつ通してみた。赤い糸と糸がしっかりと交わった時の充実感、そして高校生がこのボールを手に練習に励む姿を想像すると、一針一針に気持ちがこもった。
「エコボール」、「インクルージョンボール」に関わる人たちのほとんどが、「この取り組みが他の地域にも広がって欲しい」とにこやかに語っていた。その笑顔の理由が針と赤い糸を手にしてみて改めてわかった。