終戦の年は暑いというイメージがあるが冷夏
終戦の日である昭和20年(1945年)8月15日は、ドラマ等で暑い日として描かれていますので、昭和20年は暑い夏というイメージがあります。
昭和20年8月15日の日最高気温
昭和20年8月15日は、西日本を中心に太平洋高気圧に覆われ、安定した気圧配置となり、東京の最高気温が32.3度など、東日本から西日本ではドラマ等に描かれているように、暑い日となっています(図)。
昭和20年8月15日は、ドラマ等で繰り返し暑い日として描かれていますので、多くの人は、終戦の日は全国的に暑い日で、昭和20年は暑い夏というイメージがあります。
しかし、北日本の8月15日は、ドラマ等で描かれるような暑い日ではありません。
そして、昭和20年は全国的に暑い夏ではありません。表で、月平均気温が平年を上回っているのは、8月の東京だけというように、昭和20年は全国的に暑くはありません(表)。
昭和20年の冷害
稲作は稲の生育状況に適した気温があります。生育期に気温が平年より低いと、未成熟のまま収穫期を迎えることになって収穫量が落ちます。また、出穂前後に平年より気温が低いと、その後気温が平年を上回っても、一穂当たりの粒数が減少して収穫量が減ります。
昭和20年の夏は、ほぼ全国で、夏の期間のほぼ全般にわたって平年より気温が低くなっています。このため、北海道の作況指教が42であるなど、北陸から北海道にかけて深刻な冷害被害がでています。
加えて、昭和20年は、冷害被害がでなかった西日本でも、9月に枕崎台風、10月に阿久根台風の大きな被害を受けたため、日本中が極端な食糧難に陥っています。
もし、終戦が遅れた場合は、冷夏や自然災害により、多量の餓死者が発生し、戦争遂行どころではなくなったと考えられる昭和20年です。戦争に負けた結果、アメリカから多量の食料(アメリカでは家畜の飼料としていたもの)が届いたことで、日本人は飢餓状況を脱したのです。
昭和20年8月15日の暑い日というのは嘘ではありませんが、それから派生して、昭和20年が暑い夏であったという話は、昭和20年の夏のイメージではありません。
また、家畜の飼料であったとしても、アメリカが半年前まで戦っていた国の国民へ食料援助した事実も忘れてはならないと思います。