「雑用」は言葉どおり「雑用」であって「雑な用」ではなく「とても大事な用」であるということ
言葉をうまく組み合わせたり、切り離したりして「うまいこと」言う人がたくさんいます。たとえば、
「『叶』という漢字は『口』に『十』と書きます。だから口で十回以上言うことで、夢は叶うのです。やはり夢はちゃんと口に出して言うことが大事ですね」
というもの。特に漢字を分解して解説することが多く、
「●●は、漢字で●と●と書きますが、そもそも●とはこのような意味がございまして……」
などと言い換えて伝えると、確かに「うまいこと」言えたりします。
私は毎年100回以上講演しますので、言葉を正しく理解してもらうために、巧みな「たとえ話」や「言い換え」をすることはあります。また現場に入ってコンサルティングもするため、経営者や幹部の話を耳にすることも多くあります。経営者たちも、
「●●とは英語で表現すると、○○○○と言いまして……」
などという言い換えを使いたがります。
ただ、本来の言葉の意味を取り違えて表現する人もいます。たとえば、
「『雑用』という言葉を使うべきではありません。『雑用』『雑務』などと言うから、仕事を『雑』にやってしまうのです」
このような表現です。この話はよく耳にするのですが、いやいや、どう考えてもおかしいでしょ、と突っ込みたくなります。
「雑」というのは、「いろいろなことが入り混じっていること」ですから、銀行にお金を振り込んだり、机の上を片付けたり、ファイルの整理をしたり、封筒に宛名書きをしたり……こういったいろいろな用事、務めを「雑用」とか「雑務」と表現します。
ただ「雑」には、「丁寧にやらないこと」「神経を使わず、テキトーにやること」といった意味合いもあるので、確かに「雑用」を「雑」と「用」に分解すると、そのように言い換えることもできるでしょう。
ただ「雑用、雑務という言葉を使ってはならない」とまでは言い過ぎです。
それじゃあお正月に多くの家庭で楽しむ「雑煮」はどうなるんだ、と言いたくなります。丁寧に作られなかった雑な煮物が「雑煮」なのかと。また「雑誌」は、大ざっぱに作られた出版物なのだろうかと突っ込みたくなります。
「雑煮」や「雑誌」と異なり、おそらく「雑用」を一所懸命やらない人がいるから、それを戒める意味でこのような「言い換え」をしているのだろうと思いますが、「雑用」は極めて重要な用事だと知っておくべきです。
脳の基礎体力を維持し、ストレス耐性を上げるには、目の前の「細かないろいろな用事」をキッチリこなしていくことが重要と言われています。それほど頭を使わなくてもできるシンプルな用事を手や足を使ってこなしていくうちに、脳が回転しはじめ、クリエイティブな仕事、深く考えなければできない用事も難なくできるようになるのです。
「雑用という言葉を使っていると、仕事を雑にしてしまう。だから雑用とは使うな」
などと言っていると、「雑用」という言葉にそれほど興味がない人まで、漢字の本来の意味を無視し、
「確かに雑用って雑な用事って感じだよね」
「雑用ばかりさせられている私は上司から雑に扱われている」
……などと言いはじめてしまうのです。実際に現場でこのような感想をもらうことが多い。
雑用はあくまでも雑用です。雑煮や雑誌と一緒。そんな言葉に神経を尖らせてないで、淡々と「雑用」をこなせばいいのです。言葉や漢字に注意を払い過ぎると、
「朝から『お疲れさまです』と言われると違和感がある。まだ疲れてないよ」
「メールで『お世話になっています』と書かれるのがイヤ。だって私はお世話するつもりはないんだから」
……などと、ややこしいことを言ってくる人が増えます。慣例的に使われている言葉をいちいち気にしている人は暇な人。もっと雑用・雑務を増やし、忙しくすれば、そんな思考ノイズに惑わされることなどないでしょう。