ハリルホジッチとくまモンの絆。
襟元に、「くまモン」のピンバッジ。
サッカー日本代表監督を解任されたヴァイッド・ハリルホジッチ前監督が都内で反論会見を開いた。アジア最終予選でもいつも一緒に戦っていた愛くるしい熊本のキャラクターは、この日もハリルの傍にいた。
会見の途中「個人的なメッセージになるが許してほしい」とずっと気にかけてきた熊本に対して言及した。
「(ロシア)ワールドカップ前に熊本に足を運ぶと約束したので、熊本には行きたいと思っています。(熊本と)約束したのが、試合ごとにバッジをつけるということ。監督は代わってしまった。次回は観光客として熊本に足を運ぶことになるでしょう。
友達から『きみは日本に行くのか』と聞かれます。答えは『もちろん』と。自信を持って次も日本に行く。今までやってきた仕事は誇りに思っていますから」
前監督は、強い口調で言った。
ハリルホジッチとくまモン。
2016年4月、甚大な被害をもたらした熊本地震が起こった。心を痛めた。1カ月後の「こどもの日」に彼は益城町をはじめ被災地を訪れ、ワイシャツ姿で子供たちと一緒にボールを蹴った。現地でくまモンバッジをプレゼントされ、身につけるようにした。再訪を約束した彼は翌春も熊本に足を運び、子供たちとボールを蹴っている。
初めて被災地を訪問したときの話を、彼から聞いたことがある。家屋が倒壊した町並みを見て言葉を失ったという。いつにない沈痛な面持ちを浮かべていた。
「町の光景を目にして心が苦しくなりました。(自分が体験した)ボスニア・ヘルツェゴビナでの戦争のことを思い出した。本当に短い時間ではあったが、子供たちとサッカーをしたり、みなさんとコミュニケーションを取ることができました。
苦しいときは支え合うのが人間だと思います。熊本のみなさんと共有したいという気持ちが私のなかで強くあった。熊本のみなさんには、私のことを快く受け入れていただいた。みなさんの思いを、ほんの少しでも共有できたことを嬉しく感じる」
戦争体験は、彼の人生に深い影を落としている。
1990年代前半、ユーゴスラビアからの独立を図ったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。自宅は破壊され、フランスへの移住を余儀なくされた。
日本代表監督に就任し、オフを利用して広島の平和記念公園を妻と一緒に訪れている。「どうしても行っておかなければならない場所」だった。
彼は語っていた。
「日本の戦争とユーゴスラビアの戦争を一概に比較することはできません。しかし戦争を経験した一人として日本が受けた苦しみ、悲しみ、痛みを知っておきたかった。そして唯一の被爆国である日本がいかにして復興を遂げたのかを自分の肌で感じておきたかったのです。
私は戦争で多くのものを失いました。政治的、宗教的な対立が紛争を引き起こしたため、政治や宗教について私が口にすることは一切ありません。政治家の友人は何人もいますが、投票行動もしないことにしています。ボスニア・ヘルツェゴビナの独立における住民投票だけはもちろん参加していますが。
私が政党に属すこともありません。属すのは家族。そして私にとって政治と宗教はサッカーなのです。フットボールを、ただただ愛しています。それが私の哲学です」
初めて熊本の被災地を訪れる際、逆に迷惑を掛けてしまうかもしれないという葛藤があった。そのうえで彼は熊本に向かった。
「熊本のみなさんと共有したいという気持ちが強くありました。私のことを快く受け入れていただきました。ほんの少しだけかもしれませんが、みなさんの思いを共有できたことを嬉しく感じました」
プレゼントされたくまモンのバッジは自分を受け入れてもらった証だった。
サッカー指導者の自分に一体、何ができるかは分からない。それでも彼は行動に移し、子供たちの輪に飛び込もうとした。常にバッジを身につけるのは自分を受け入れてくれたことに対する感謝と、いつも被災地とともにあることを示すため。
ハリルホジッチという人は、約束を守る人である。反論会見にも、くまモンを連れていくことを絶対に忘れないのだから。
代表監督を離れても、日本との縁が切れたわけではない。
くまモンがしっかりと縁をつないでくれている。これから先も、ずっと。