【ソチ五輪スピードスケート】代表20人でメダル23個。オランダはなぜこんなに強いのか
■男子は代表10人中9人がメダル獲得
ソチ五輪が終了した。ロシアが開催国の“力技”を披露し、金メダル13、メダル総数33でトップに輝いた一方で、全体の5位となる金メダル8、メダル総数24を獲得する大活躍を見せたのがオランダだ。
驚くのは実に24個中23個がスピードスケートで得たものであること。しかも、同競技の代表選手は男女各10人ずつの20人である。20人で23個のメダル獲得。男子は10人中9人がメダリストとなった。驚異的な強さの理由はどこにあるのか。
国際スケート連盟(ISU)契約ジャーナリストとして活動するオランダ人のイレーネ・ポストマ氏は、まず、この結果について、「オランダチームは前回のバンクーバー五輪では8つのメダルだった。今回は過去のベストだった98年長野五輪の11個を越えることを目標としていたが、(20個のメダルだった)ロンドン五輪をも上回る結果になった。しかもわずか一会場で。ここまで取れるとは思っていなかった」と、期待以上の成果だったことを強調した。
■男子五百メートル表彰台独占の衝撃
特に、男子五百メートルで表彰台を独占したことはスケート界を震撼させた。オランダと言えば、五百メートルから1万メートルまでをこなす選手を育てるオールラウンダーの国。単種目で見ても人気があるのは長距離で、オランダでの歴代のスターたちは皆長距離の選手だった。
ところがソチ五輪では、最も苦手としていた男子五百メートルでミヘル・ムルダーが同国初の金メダルを獲得。スメーケンスが銀、ロナルド・ムルダーが銅と、ワンツースリーを独占した。
この光景はポストマ氏にとっても驚きだったという。
「3人とも表彰台の可能性があったのは確かだが、長島(圭一郎)、加藤(条治)、モ・テボン(韓国)、フレデリクス(米国)にも可能性があった。個人的には長島はW杯での滑りを見ていて3位以内に入ると思っていたのだが、少しナーバスになってしまったのではないか。オランダはこの種目で一気に勢いづいた」
オランダはスピードスケート王国として知られる。国全体が平らで、山がないため、スキーをするにはドイツ、スイス、オーストリアなどへ行かないとできない。子どものうちからスキーをするような環境がない。「だから、」とポストマ氏が言う。
「オランダ勢が雪の競技で五輪メダルを獲得したのは前回のバンクーバー五輪でスノーボードのニコリーン・ザウエルブライ選手が金メダルを獲ったことがあるくらい。今回も、ショートトラックスケート男子千メートルで銅メダルが1個あった以外はすべてスピードスケートがメダルを獲った。そのほかの競技では女子2人乗りボブスレーが4位になったのが最高だった」
■国内11カ所に室内リンク。日本は2カ所
スキーはできないが、反対にスピードスケートの施設は充実している。オランダではもともと、冬になって凍った運河の上を滑るのが日常的な娯楽だった。天然のリンクはいたるところにあり、400メートルオーバルを持つ室内リンクは国内に11ある(日本は長野と帯広の2カ所のみで、現在八戸市で国内3つ目の室内リンク建設の動きがある)。
ポストマ氏は「オランダは人口が約1700万人しかいない小さな国だが、子どもは皆スケートをする。裾野が広いから自然とピラミッドの頂点が高くなる」と言い、「国内の熾烈な競争が競技力向上とソチ五輪での活躍につながっている」と指摘した。
ISUのルールでは、各国の選手数の上限は男女10人ずつ。最高でも20人しか出られないのはいくら選手層の厚いオランダとて、他の国と同じ条件である。日本を含め、有力国は男女10人ずつをソチ五輪に派遣していた。
オランダでソチ五輪選考会が行われたのはクリスマス明けの12月27日から4日間。同国北部のヘーレンフェーン市にあるリンクで行われ、海抜0メートルに近い低地でありながら、特に短距離陣は驚くような好タイムを連発した。
「五輪と同じような満員の観衆の中で、重圧を受けながら、選手たちは男女各10枠という熾烈な争いを繰り広げた。今季のワールドカップで表彰台に入った選手でも、国内選考会で4位になって五輪に出られなかった選手がいたほど。重圧の中で勝てない選手は五輪に出られない。だから、五輪でも力を発揮できる」(ポストマ氏)
■長野五輪以降に行われた“改革”
加えて、98年長野五輪以降のオランダ国内でのさまざまな変革が好循環を生んでいる。
長野五輪まではオランダでは優秀な選手は全員がナショナルチームに入って、ナショナルチームとして練習していた。1人の監督が全体を見ていた。
その形態に変化が起きたのは長野五輪後だ。最強オールラウンダーとして活躍したリンチェ・リツマがプロチームを結成。スポンサーを募り、クラブチームとして活動して成功していくと、この形態がどんどん拡大し、現在では約10のチームがそれぞれコーチやドクター、スタッフをそろえて独立した活動を行っている。
実はこの動きの背景には、92年アルベールビル五輪男子1万メートルで金メダルを獲ったバート・フェルトカンプが、長野五輪を前にオランダの代表選考システムを嫌い、ベルギー国籍を取得し、長野五輪にはベルギー代表で出たという“事件”があった。(フェルトカンプは長野五輪男子5千メートルで銅メダル獲得)
五輪や世界選手権、ワールドカップで活躍し、人気と名声を得た選手はスポンサーから多くの報酬を得る。今回のソチ五輪で言えば男子で五輪2大会連続金メダルのスベン・クラマ―(ソチ五輪では金2、銀1)や女子で五輪3大会連続金メダルのイレイン・ブスト(ソチ五輪では金2、銀3)の成功はさらに大勢の人々の関心を呼ぶことになり、それが収入増につながるのである。
また、チーム単位の活動ということで、独自のトレーニングを行うことが可能になったことも、短距離陣の躍進につながった。長野以前はナショナルチームで全員が同じトレーニングを行っていたが、長野以降は距離に合わせた練習メニューを組むようになったという。ソチ五輪前にはチームパシュート用の練習も行った。
■4年後はどうなる?
さらにポストマ氏は「オランダではチームが大学など研究機関と組んで、科学的なアプローチを進めている。細かいところにも手の届く研究がなされている」と指摘する。オランダチームのウェアには航空力学の理論から生まれた、空気抵抗を少なくする工夫が施されていたそうだ。「ソチのリンクがヘーレンフェーンと氷の質や室内温度などが似ているということも後押しとなった」と言う。
最後に、ポストマ氏に4年後を占ってもらった。
「今回、オランダは実に多くのメダルを獲得し、反対に日本、米国、ノルウェー、ドイツはメダルがなかった。次は韓国の平昌での戦い。だから、韓国は必ずもっと強くなって戻ってくるだろう。特に(ソチ五輪で銀メダルだった男子の)チームパシュートとメダルを逃した男子五百メートルはさらに強化してくるはず。日本も、韓国とは距離が近いからチャンスは広がるだろう。米国も復活してくるはず。五輪はいつも難しい戦いになる」