いまさら地方銀行の経営理念を聞いてどうする
金融庁は、経営環境が厳しくなる一方の地方銀行に対して、抜本的な改革を求めてきましたが、少しも進展がないなかで、いまさらに銀行経営者と経営理念について対話するとしています。しかし、地方銀行だけでなく、そもそも日本の銀行機能の全体が供給能力過剰で深刻な構造不況に陥っているとき、個々の地方銀行の経営理念など何の役にたつというのでしょうか。
地方銀行の持続可能性
金融庁は、少し前から、地方銀行に「持続可能なビジネスモデルの構築」を求めてきましたが、時間の経過とともに状況の悪化が進んだことから、現時点では、既に存続可能性に疑義のある地方銀行が実在しているとの結論に達していると推測されます。故に、それらの銀行の適切なる処理は、金融行政の最も重要にして、かつ最も困難であり、しかも緊急を要する課題になっているはずなのです。
そこで、さしあたって直ちに問題になるのが「銀行法」第ニ十六条です。これは、「銀行の業務若しくは財産又は銀行及びその子会社等の財産の状況に照らして、当該銀行の業務の健全かつ適切な運営を確保するため必要があると認めるときは」、当該銀行に対して金融庁が業務改善命令を発し得るという規定で、金融庁としては、この発動に迫られているということです。
早期警戒制度
「銀行法」は、第ニ十六条の発動基準について、早期是正措置と呼ばれる自己資本の充実を命じるもの以外は特定していないので、金融庁は、別途、「中小・地域金融機関向けの総合的な監督指針」のなかで、早期警戒制度の名のもとに一定の基準を定めていますが、実は、2019年6月28日に、それを改正し、従来は「収益性」とされていた論点を「持続可能な収益性と将来にわたる健全性」に変更していたのです。
この改正は、早期警戒制度の早期を、より早期に変更するものですが、これは事案の性質からして当然で、銀行の信用不安は顕在化する前に可能な限り早期に防止しなければ全く意味がないからです。問題は、なぜ、いまさらに変更したのかということですが、これも簡単に推測のつくことであって、潜在的には既に健全性の損なわれている地方銀行が実在するからです。
持続可能性の判定基準
早期警戒制度は、その安直な発動が危険な裁量行政になりやすいため、万が一の極めて特殊な事態に備えるためのものとして、実のところ、発動を前提にしていないものだったと考えられます。故に、金融庁が監督指針を改正したことは、裁量行政という批判を回避するために、「持続可能な収益性と将来にわたる健全性」に関する客観的基準を示すことで、その基準に満たない地方銀行に対して業務改善命令を発するための準備措置だと受け取られたのです。
これも当然の推測で、金融庁は、既に「持続可能な収益性と将来にわたる健全性」に関する判定基準を策定している、その基準に照らしたときには健全性に疑義のある地方銀行が少なからずある、これは重大事だから、早期警戒制度による業務改善命令を発するしかない、しかし、不利益を課す行政処分には客観的な適用基準が必須である、故に、判定基準を先に開示しておかなくてはならない、その準備のために監督指針の改正がなされた、そう考えるのが自然なのです。
「コア・イシュー」
しかし、不思議なことに、今に至るも判定基準の開示はなされていません。そうしたなかで、金融庁は、2月7日に、「地域金融機関の経営とガバナンスの向上に資する主要論点(コア・イシュー)~「形式」から「実質」への変革~(案)」を公表したのですから、これは早期警戒制度の発動のための準備なのだとしか考え得ないわけです。
しかし、「コア・イシュー」は、金融庁と地方銀行との間の対話の項目を列挙しただけで、具体的内容を全く欠いています。おそらくは、背景として、ルールからプリンシプルへという金融庁の建前、即ち、金融機関の行動を規制の強制によって他律的に変えるのではなく、対話を通じて金融機関自身の行動原則による自律的な改革を促すという行政手法の建前があるのです。
ただし、同時に監督指針の改正案も公表されていて、主な着眼点として、従来は「収益性や健全性等に係る定量的指標」とあったものを、「収益性・効率性や健全性等に係る定量的指標(コア業務純益、当期利益、ROA、RORA、ROE、OHR及び自己資本比率等)」に変更していることは、明らかに、早期警戒制度の発動へ向けて、客観的基準を定める準備だと考えられます。
銀行業の危機
それにしても、早期警戒制度発動の準備だとすると、なぜ「コア・イシュー」の第一が経営理念なのでしょうか。そもそも、問題の本質は銀行という業態の危機なのであって、個々の銀行の経営理念で対応できるものでないことは明白ですし、しかも、その危機が一部の地方銀行において顕在化しつつあるなかでは、いまさら地方銀行の経営理念を問題にする実益は乏しいと思われます。
また、早期警戒制度は業務改善命令を発することですから、それ自体が規制に基づく強制なのであって、地方銀行の経営原則の問題ではありませんし、経営原則に基づく自治自律に委ねていて何も変わらなかったからこそ、業務改善命令が発せられるわけですから、そこに対話の余地も少ないはずです。
では、銀行の危機とは何か。最高度に規制された銀行業においては、需要変動に対して供給能力が弾力的に変動しません。具体的には、日本の超成熟した経済環境において、融資に対する需要が減退していくなかで、融資の原資である預金は少しも減らないが故に、拡大する需給差が銀行の収益を圧迫し続けている、事業会社に喩えれば、過剰在庫を抱えて破綻に向けて一直線に突き進んでいるわけですから、日本の銀行は極めて深刻な危機に陥っているといわざるを得ません。
この問題は、根源に規制の非効率がある以上、規制を司る金融庁にしか解けません。つまり、金融庁は、積極的に権限を行使し、供給能力、即ち預金を計画的に削減すべきである、喩えれば、高度経済成長終焉後に産業政策として構造不況業種指定による製造能力の計画的削減が行われたのと同じことをすべきなのです。それをせずして、この期におよんで地方銀行の経営理念を問うても、実効性はありません。
合併に関する特例法
金融庁は、とりあえず、銀行の合併を容易にする法律上の手当だけはしています。2019年の6月21日に閣議決定された成長戦略実行計画では、早期警戒制度の発動を前提にして、銀行の合併により特定地域における市場占有率が高くなったとしても、「独占禁止法」の適用除外を認める特例法の制定が決定されていて、予定通りに進めば、遠からず成立施行される見込みです。
しかし、単純に合併したところで、銀行全体としての預金が1円も減るわけではなく、合併自体には全く意味がありません。真の論点は、特例法の適用条件として、徹底した経営の効率化が求められていることです。そして、今回の監督指針改正案で「効率性」が書き足されたのは、当然、その自然な文脈のもとにあるのだと考えられます。ところが、「コア・イシュー」には、効率性について、何ら具体的記述はありません。
効率性に限らず、「コア・イシュー」のどこにも、金融庁の危機認識、危機打開策に関する仮説、具体的提言はありません。これでは、早期警戒制度発動準備どころか、対話にすらならない懸念があります。対話を通じて地方銀行の具体的行動を促すためには、地方銀行の経営理念を聞くよりも先に、金融庁が自分自身の行政理念を語り、地方銀行の現実的な未来像を仮説的として示すことで、議論の出発点と方向性を設定する必要があったはずです。
地方銀行の経営努力
金融庁は、これまで、過剰預金対策として、資産運用の高度化という名のもとに、第一に顧客資産を預金から投資信託へ移転させる、第二に融資以外の領域へ投資を拡大させる等の施策を展開してきていて、各地方銀行も自分の立場で自分にできる努力をしてきたことは事実でしょうが、銀行全体としての集積においては、預金が全く減っておらず、投資成果も出ておらず、何ら施策の効果を生んでいないのです。
また、経営努力とはいっても、銀行全体としての融資総量の量的拡大が見込めないなかで、各銀行が自分だけの量的拡大に没頭することで、不毛な金利引き下げ競争をもたらし、利益率の一層の低下を招く、また、画一的な経費削減により、真の顧客の利益のための活動が疎かになるなど、仮に個々の努力が理に適っているとしても、銀行全体としては不合理な帰結を生んでいるのです。
金融庁の次の手
個別の銀行には銀行全体の問題は解けない、だからこそ金融行政の積極的介入が必要なのです。個々の地方銀行改革を推進する動因として、規制による強制よりも、各行の経営原則を重視するという金融庁の行政手法は、改革が起動された後には有効ですが、肝心の起動に全く役に立ちません。まず先に、全体の見えている金融庁は、細部しか見えていない地方銀行に対して改革の全体像を示し、その全体像に基づいて「持続可能な収益性と将来にわたる健全性」を客観的に評価測定する指標を公表し、そのうえで対話をする必要があるのです。
それにもかかわらず、なぜ、金融庁は、今回、対話の論点を抽象的に並べたにすぎない「コア・イシュー」だけを公表したのか、理解に苦しみますが、まさか、これで十分だとは思っていないでしょうから、次の展開が必ずある、そう期待したいところです。