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資産運用立国騒ぎのもとで進行する投資運用業の危機

森本紀行HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長
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 投資運用業は、インデクス運用化を止めることができないなかで、投資の健全な常識に基づいて、本来の投資手法を復興させない限り、遠からず存立基盤を喪失するでしょう。

株式投資の本質

 企業は資本を調達するために株式を発行しています。資本は、事業活動において不可避的に生じる一時的な損失を吸収し、事業を持続可能にするもので、一種の保険として機能していて、資本コストとは、その保険料に該当します。どの企業にとっても資本コストは同一ですが、事業ごとに保険の必要性は異なるわけですから、企業は資本構成、即ち、総資金調達額に占める資本の構成比を調整することで、事業特性に適合した資本額を維持しているわけです。

 こうした株式の本質からすれば、株式投資の期待収益率は資本コストになって、株式投資の目的は少なくとも資本コストと同じ投資収益率を実現すること、あるいは、それを上回ることになります。当然のことながら、資本コストの実績値である自己資本利益率(return on equity、ROE)は、企業によって、また同じ企業においても年度によって、大きく異なりますから、株式投資では、銘柄を厳選し、適切に分散し、適宜適時に銘柄の入替えを行う必要があるのです。

自己資本利益率と益利回り

 株式の価値は、発行体の企業が創造する将来の利益の現在価値ですが、資本コストは、理論的には、この現在価値への割引に用いられる利率になります。故に、理屈上、株式を保有していると、将来に向かって、時間の経過とともに、資本コストに該当する利益が実現していくのであって、これが株式投資の期待収益率は資本コストになるということの意味です。

 さて、問題は将来の利益の予測です。利益の成長を見込むと、当然に、株式の価値は高く評価され、価値評価に応じて株価が高くなるので、益利回り(earnings yield)、即ち、直近の利益を株価で除した値は低くなります。しかし、益利回りは、最初は低くても、株式を長期的に保有していれば、利益が成長していくので次第に高くなり、その長期平均は資本コストに収斂していくわけです。また、仮に、利益の成長を見込まなければ、株価は、益利回りと資本コストが一致する水準で、安定するはずです。

資本コストと株価指数

 客観的事実として知られるのは株価指数の変動だけであって、資本コストは、そこから、金利水準等を勘案して、技術的に推計されるほかありません。故に、現実の株式投資では、資本コストを上回ることではなく、株価指数を凌駕することが目標とされるのです。確かに、株価指数の変動から推計される株式の長期期待収益率は、資本コストの長期平均に一致していくはずなので、株価指数の利用には合理性があるのです。

 しかし、株価指数を目標とすることが合理的であるのは、長期的な期待においてのみです。実際には、株価指数の変動は、短期的な事実としての重みのもとで、長期的な期待よりも、圧倒的に大きな心理的、あるいは社会的な影響力をもちます。株式投資において、長期投資の重要性がいわれるのは、短期的な株価指数の変動に惑わされないで、長期的な期待に従わない限り、合理的な投資にならないからです。

投資運用業の危機

 投資運用業者が事業として顧客のために株式投資を行うときは、本来は、徹底した調査研究による銘柄の厳選が前提になっているはずです。顧客は、運用報酬を払う以上は、当然のこととして、自分にできない高度な調査研究に基づく銘柄選択を期待するからです。しかし、調査研究が高度であればあるほど、換言すれば、厳選を徹底すればするほど、保有銘柄数が少なくなり、運用実績と株価指数の変動率との連動性が低下してしまいます。

 顧客の投資運用業者に対する合理的な期待は、銘柄の厳選を通じて、運用成果が長期的に株価指数を凌駕することにあるはずですが、他方で、心理的な期待としては、短期的な株価指数への追随も無視し得ないわけです。そこで、投資運用業者は、営業上の配慮から、株価指数への連動性を強く意識するようになって、銘柄数を増加させるのです。

 銘柄数を増加させれば、株価指数への追随度は高くなりますが、投資運用業者の創造する付加価値、即ち、株価指数を凌駕する幅の期待値は低下し、それに連動して、報酬率も低下します。その極限において、インデクス運用、即ち、完全に株価指数に連動する運用になって、報酬率はゼロに接近していって、投資運用業は存立基盤を失うに至るわけです。これが投資運用業の危機的現状です。

真の株式投資の再興

 真の株式投資は、投資対象の銘柄について、調査分析を通じて価値を評価し、価値が株価を上回っているときに、価値の方向へ株価が動くことを期待して、投資を実行するものです。つまり、株価変動を先取りするために、先行して価値分析がなされるのですから、そこでは、特定の株式の絶対的な価値が評価されるわけです。実際に、非公開企業の株式の取引や、上場企業の非公開化においては、絶対的な価値評価で、取引価格が算定されます。

 このように、絶対的な価値評価が先行し、最後に株価が参照される投資手法を貫徹すれば、理論的な可能性として、株価指数が上昇するなかで、平均的な株式価値の上昇を伴わないことがあり得るので、次第に価値よりも株価の高い銘柄が多くなり、投資に適格な銘柄が減少し、極限において、全ての銘柄が投資不適格になるはずです。

 しかし、株価指数との連動性を意識した投資手法では、価値評価の基準は、平均的な株価の推移に連動して、変化していきます。つまり、価値評価は市場の平均との関係において相対化されて、平均の定義により、必ず半分の銘柄の価値は相対的に高くなるのです。こうなれば、株価指数の絶対的な水準の妥当性は、問題にされ得なくなってしまうわけです。

現金保有の意義

 買うべき銘柄がなくなれば買わないというのは、極めて常識的な投資判断です。株式投資において、絶対的な価値評価を貫徹して、価値に関する確信度の高い銘柄だけに投資していけば、市場の動向によっては、買うべき銘柄が減少していき、その分、現金を保有することになりますが、むしろ、こうした事態こそ、投資の常識に適うものです。

 また、そもそも、投資においては、資産配分が最も重要なのであって、株式の銘柄選択よりも、株式投資に配分する金額のほうが大きな意味をもちます。実は、ここに投資の要諦があって、資産配分を決めるものは、個別の銘柄の絶対的な価値評価だということです。株式に限らず、どの資産種類においても、合理的な価値評価が可能なのは、厳選された個別銘柄についてだけであって、株価指数などの資産種類ごとの市場指数については、価値評価が困難なのです。

投資運用業の本質の再考

 投資運用業の現状において支配的な考え方は、顧客が株式などの資産種類を指定して委託するときは、その期待を裏切らないように、株価指数などの資産種類を代表する市場指数との連動性を維持すべきであり、投資判断のもとで積極的に現金を保有することはあり得ないというものです。しかし、こうした考え方については、いくつかの重要な論点を指摘できます。

 第一に、どの資産種類についても、インデクス運用化が進行して、結局は、投資運用業には、インデクス運用を使った資産配分しか残らなくなること、第二に、どの資産種類においても、個別の銘柄については合理的な価値評価が可能でも、資産配分の決定については、過去の統計に基づくか、判断者の主観的な予測に基づくしかなく、合理的な根拠の乏しいことです。

 そして、より本質的な問題として、第三に、資産種類の定義は任意であり、その再定義を繰り返すことこそ、投資運用業の本質だということです。例えば、企業が発行する株式と社債は、現状は、異なる資産種類に属しますが、実は、それらの価値評価は、発行体の企業が将来において創造する現金という全く同一の根拠に基づくのですから、同一の資産として再定義できるのです。

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長。三井生命(現大樹生命)のファンドマネジャーを経て、1990 年1 月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。 2002 年11 月、HC アセットマネジメントを設立、全世界の投資機会を発掘し、専門家に運用委託するという、新しいタイプの資産運用事業を始める。東京大学文学部哲学科卒。

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