危機を脱して団結したバレンシア。マルセリーノに届けられた「初タイトル」という褒賞。
試合終了のホイッスルが鳴ると、多くの選手がピッチ上に倒れ込んだ。
バレンシアが快挙を成し遂げた。バルセロナを破って、2018-19シーズンのコパ・デル・レイ制覇を達成している。
優勝を決めたあと、バレンシアニスタに向けてスピーチを行おうとしたマルセリーノ・ガルシア・トラル監督に、ガブリエル・パウリスタが「スライディングタックル」をかました。意表を突かれたマルセリーノ監督は派手に転んだ。笑顔を見せる2人。マルセリーノ監督にとって、53歳にしてプロ指導キャリアで初めてのタイトルだった。
バレンシアが最後にタイトルを獲得したのは、2007-08シーズンだ。そのシーズンでは、コパ準決勝でバルセロナを、決勝でヘタフェを下して優勝している。
■最高の形
クラブとしては、創設100年目の記念を最高の形で飾った。
バレンシアのハイライトはリーガエスパニョーラを制した2001-02シーズンと2003-04シーズンだろう。ラファエル・ベニテス監督に率いられ、サンティアゴ・カニサレス、ロベルト・アジャラ、ダビド・アルベルダ、ルベン・バラハ、ビセンテ、フランシスコ・ルフェテ、パブロ・アイマール、ミスタが主力として活躍。突出したスタープレーヤーがいたわけではないが、バレンシアは銀河系軍団レアル・マドリーとのタイトルレースに競り勝ち、黄金期を築き上げた。
しかし、栄光の維持は難しい。ペップ・チームの成功に苦しむ現在のバルセロナのように、バレンシアもまたベニテスの幻影に襲われた。2004年以降はクラブの財政が悪化。2009年の段階で、負債額が5億4700万ユーロ(約672億円)に達していたといわれている。ダビド・シルバ、フアン・マタ、ダビド・ビジャという優れた選手たちの売却を余儀なくされ、チームは当然の如く弱体化した。
選手売却と増資で財政を回復させたバレンシアだが、2013年12月にバンキア(スペインの大手銀行)からファンドの債務更新を拒否する旨を伝達される。そこで、出資者を見つける必要性が生じた。2014年にクラブの売却を決め、シンガポール人のピーター・リムがオーナーに就任すると、その夏に大幅な刷新が行われる。レンタルを含めて計15選手が加入。平均年齢23,6歳で、そのシーズンのリーガで最も若いチームになった。
■指揮官と選手の信頼関係
しかしながら、リムを迎えた後も苦しい日々は続いた。
2012年夏にウナイ・エメリ監督が退任して以降、不動の指揮官になる者はいなかった。マウリシオ・ペジェグリーノ、エルネスト・バルベルデ、ミロスラフ・ジュキッチ、ニコ・エステべス、フアン・アントニオ・ピッツィ、ヌノ・エスピリト・サント、ガリー・ネビル、パコ・アジェスタラン、チェーザレ・プランデッリ、ボロと監督交代が繰り返されてきた。
わずか5年の間に10人の指揮官がバレンシアを率いた。それでも満足のいく成績は残せず、2017年夏にマルセリーノ監督が就任する。
マルセリーノ監督はカンテラーノを重宝しながら、エセキエル・ガライ、ケヴィン・ガメイロ、ジョフレイ・コンドグビア、フランシス・コクラン、パウリスタらビッグクラブで成功できなかった選手たちを再生させた。選手たちと信頼関係を構築しながら、就任一年目でチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
それでも、今季は苦しんだ。決定力不足に悩まされ、勝ち切れない試合が続いた。
だが彼らは諦めなかった。今季のバレンシアを象徴する出来事がある。1月12日に行われたリーガ第19節バジャドリー戦で、先制点を挙げたパレホは真っ先にベンチに駆け寄りマルセリーノ監督と抱き合った。「監督の続投が危ぶまれていた。ああいった行動をするとは決めていなかった。監督との抱擁は心の底から湧き出る感情からと言うか...彼がそれを必要としていると思ったんだ」と後に振り返っている。
そして、1月13日ーー。この日の決断が、今季のバレンシアの命運を分ける。先のバジャドリー戦で引き分け、オーナーのリムとアニル・マーシー会長はマルセリーノ監督の解任を検討していた。その一方で、ゼネラルディレクターのマテウ・アレマニーはマルセリーノ監督を支持した。選手たちのマルセリーノ監督への信頼は揺らいでいなかった。指揮官の続投が決まり、バレンシアは再び上昇気流に乗った。
リーガを4位で終え、突出した「3強」を揶揄する意味を合いを含蓄するオトラ・リーガ(他のリーグ)でトップに立った。コパで優勝して、バレンシアとバルベルデ監督に批判が集中するバルセロナとのコントラストが浮かび上がった。指揮官を信じる気持ちと、その忍耐がバレンシアにタイトルをもたらしたのである。