引退を表明した遊撃手は、子供の頃の夢を叶え、地元のチームでワールドシリーズ優勝2度
11月27日、ブランドン・クロフォードは、インスタグラム(therealbcraw35)に声明を掲載し、選手生活を終えることを発表した。
2024年は、セントルイス・カーディナルスで出場28試合。8月下旬に解雇された。今から約2ヵ月後、来年1月に38歳となる。
2023年までは、サンフランシスコ・ジャイアンツに在籍していた。2008年のドラフトで4巡目・全体117位指名を受け、2011年にメジャーデビュー。ジャイアンツで出場1655試合は、ニューヨークからサンフランシスコへ移転した1958年以降に限ると、2256試合のウィリー・マッコビー、2095試合のウィリー・メイズ、1976試合のバリー・ボンズに次ぐ。
2023年の1登板を除くと、ジャイアンツ時代に守ったのは遊撃だけ。ゴールドグラブを4度受賞し、オールスター・ゲーム選出は3度。2012年と2014年は、ワールドシリーズ優勝メンバーとなった。ワールドシリーズの計11試合とも、遊撃手としてスターティング・ラインナップに名を連ね、優勝の瞬間は、2度ともフィールドで迎えた。
1992年のシーズン終盤、サンフランシスコ・クロニクルは、ジャイアンツが本拠地としていたキャンドルスティック・パークで撮影した写真を掲載した。そこには、「ミスター・ホワイト 正しいことをして! ジャイアンツをサンフランシスコに残して」と書いたボードの横に、5歳のクロフォードが写っている。ホワイトは、ナ・リーグ会長のビル・ホワイトだ。当時のジャイアンツには、フロリダ移転の話が浮上していた。フロリダ・マーリンズ(現マイアミ・マーリンズ)は、1993年に誕生した。
クロフォードの声明には、「ベイ・エリアで育ち、キャンドルスティックの試合に行き、いつもサンフランシスコ・ジャイアンツでプレーすることを夢見ていた。ホームタウンのチームにドラフトで指名され、キャリアの大半を過ごしたことは、子供の頃の夢以上だ。裏庭でワールドシリーズ優勝の真似をした――けれど、それを2度も? 想像していたどんな夢も上回る」と記してある。
2017年には、チームUSAのメンバーとして、WBC優勝も経験した。
来シーズン、ジャイアンツは、4月26日に、クロフォードを称えるセレモニーを行う。今オフ、編成責任者に就任したバスター・ポージー(「ジャイアンツの編成責任者の交代は予兆があった!? 球団一筋ワールドシリーズ優勝3度の名捕手が就任」)は、通算12シーズンのうち10シーズンで、クロフォードとともにプレーした。4月25日~27日の対戦相手、テキサス・レンジャーズのブルース・ボウチー監督は、2007年から2019年まで、ジャイアンツで采配を振っていた。