太平洋戦争が進むにつれ減った台風
台風の定義は、熱帯低気圧のうち、域内の最大風速が毎秒17.2以上になったものを言いますが、太平洋戦争が終わるまで、台風は熱帯で発生した低気圧をさし、具体的な数値基準はありませんでした。このため、発達していない熱帯低気圧まで数えますので、台風発生数は現在より多めになります。
太平洋戦争中の台風の年間発生数
昭和15年(1940年)7月から、太平洋天気図が,毎日ルーチン作業として作られるようになり、太平洋の広い範囲について台風を解析するようになります。
昭和15年から20年の台風の年間発生数をみてみると、年々減っています(図1)。
この原因は、気候学的な原因ではなく、戦争という人為的な原因によるものです。
昭和16年12月8日に太平洋戦争が始まると、外国からの気象電報は一切入手できなくなっています。このため、日本軍の活動範囲内での資料しか得られず、しかも、日本軍の敗退とともに観測区域が狭められてきたため、台風があってもわからない場合が多くなってきたからです。
太平洋戦争中に台風が存在した海域
太平洋を緯度・経度1度ごとにます目をつくり、このます目、または、となりのます目を台風が通過したら塗りつぶすという作業を年毎にやったのが図2です。
塗りつぶされなかった場所というのは、この近くに台風が存在しなかったか、存在してもわからなかった場所のいずれかです。
その年のくせにより、多少存在しなかった場所というのは変化しますが、年々、南から東から塗りつぶさなかった領域は広がっています。しかも、この現象が台風の常襲地域でおこっています。
このことは、年のくせによって起こっているとは考えにくいことです。
昭和20年は8月15日に戦争が終わりますが、中央気象台(現在の気象庁)発行の「台風経路図(昭和20年版)」には、次にようなコメントが載っています。
戦争により整備した気象観測網が戦争のために破れる
戦争のため整備した気象観測網が、戦争のために破れていったという皮肉な結果を、年間台風発生数の移り変わりは語っています。
台風に関する資料が、国際協力も得て、その時のベストの技術で解析され、積み重ねられていったのは、平和になってからです。
図の出典:図の出典:饒村曜(1986)、台風物語、日本気象協会。