徳川家康はピンチになると爪を噛んだのか? 真偽が疑わしいエピソード3選
近日、真田広之さんが主演を務めるディズニープラスのドラマ「SHOGUN 将軍」が公開されるという。こちら。主人公の虎永なる人物は、徳川家康をモデルにしているという。家康にはユニークなエピソードが伝わっているが、それは事実なのか考えてみることにしよう。
◎ピンチになると爪を噛む癖があった
家康の性格は神経質で短気な一面があったといわれ、ピンチになると爪を噛んだという。歴史小説などでは、すっかりお馴染みのシーンである。
家康は合戦で苦戦したり、戦況が不利になったりすると、親指の爪を噛む癖があり、ときには強く噛み過ぎて、血が出ることもあったと伝わる。
『改正三河後風土記』などによると、慶長5年(1600)9月の関ヶ原の戦いの際、家康は戦いが有利に進まなかったので、思わず爪を噛んだという。この逸話は、よく知られたものである。
また、家康は戦闘の前、采配を取る手で鞍の前輪を叩く癖があったといわれている。そのため、家康の右手の3本の指は固まってしまい、指を伸ばすことが困難になったと伝わっている。
◎縁起を担いで江戸入りをやり直した
北条氏滅亡後の天正18年(1590)7月18日、家康は晴れて江戸城に入城した(『家忠日記』)。しかし、家康の江戸入りは、同年8月1日とされている。
一説によると、7月18日は日柄が良くなかったが、秀吉の命に応じて慌ただしく江戸入りしたこともあり、家康は改めて8月1日(八朔の日)に江戸に入り直したといわれている。
もともと八朔は、鎌倉時代頃から行われた、農民が収穫の無事を願う儀式に由来する。かつて甲斐(武田征伐)入りを先導した旧武田家臣を先頭にして、全員が白帷子で江戸入りした。家康が江戸入りした八朔の日は、江戸幕府にとって最大の祝日となったのである。
◎家臣からの諫言を素直に受け入れる事を説く
家康が家臣からの諫言を受ける度量のあったことは、いくつかの書物から知ることができる。『名将言行録』には、家康の「主君への諌言は、一番槍より勝る」と書かれている。家臣から主君へ諌言することは、戦場での一番槍よりも優れているというのだ。
『岩渕夜話別集』にも、家康の「凡そ人の上に立って下の諫めを聞かざる者の、国を失い、家を破らざるは、古今とも、これなし」という言葉を載せ、諫言を聞かない者は必ず滅びると説いたと伝えている。
家康は家臣からの意見をよく聞いたので、家臣は進んで意見を具申した。家康軍団の結束力の強さの秘密は、その点にあったと考えられるが、これは家康を称える美談にすぎないであろう。