Yahoo!ニュース

MVP家長昭博を祝福した本田圭佑、“アキ”が初めて見せた涙に驚いた金正訓氏―今も続く3人の絆

金明昱スポーツライター
ジュニア時代のチームメイトだった(左から)金正訓氏、家長、本田(写真提供:金氏)

 川崎フロンターレの家長昭博がガンバ大阪ジュニアユース時代の3年間、本田圭佑と同じチームで過ごしていたのは有名な話だ。

 二人が特別な仲であることは、昨年のJリーグアウォーズでMVPを受賞した家長に、本田がビデオレターで祝福のメッセージを送ったことからも明らかだ。

 しかし、その二人だけでなくもう一人、ジュニアユース時代から「仲が良かった」(家長)という友人がいた。現在、サガン鳥栖強化部スポーツダイレクターを務める金正訓(キム・チョンフン)氏だ。

 先月、家長をインタビューした時、「チョンフンなら自分のこと、よく知っていると思います」と話してくれていた。それなら聞くしかない。

 金氏の話からは、幼少期の家長の素顔がよく見えるエピソード、そしてサッカー界で今も結ばれる3人の強い絆を知ることができた。

ACミランの本田に会いにイタリアへ

 先月中旬、川崎フロンターレのクラブハウスで家長を初めてインタビューしたとき、一つ確認していたことがあった。

「本田選手からMVP受賞のメッセージをもらったあと、個人的に連絡を取りましたか?」と。

※参照:「日本代表を本気で目指せばよかった」寡黙な男、家長昭博が初めて明かした後悔と海外で変化した人生観

 本田から「たまには友人に会いに来てください」とメッセージをもらったあと、家長が取った行動が気になっていた。

 すると、「LINEでメッセージのやり取りをしましたよ。いつもと変わりない世間話です。お祝いのメッセージをもらったので、ありがとうと伝えて、そのあと色々な話をしました」と言う。

 家長と本田が普段からこうして連絡を取れる仲とはいえ、頻繁に会っているわけではない。

「お互いに忙しいのもありますし、あまり顔を合わせる機会はないですけれど、何回かは会いましたね。一度、イタリアのミラノまで会いにいきました。圭佑がACミランでプレーしていたときです」

 本田がイタリアの名門、ACミランの10番を背負ってプレーしていたのは2014年から2017年シーズンのことだ。

「僕だけじゃなくて、もう一人の友人と一緒にイタリアまで圭佑に会いにいったんですよ」。それが金氏だった。

「正訓と圭佑とは、ジュニアユースの頃から会えば毎日一緒にしゃべってました。よく遊びましたし、本当に仲いいチームメイトでした」と懐かしむ。

 ところで、家長の幼少期は、どんな子供だったのだろうか。サッカーは“天才”だったという話はよく聞くが、それ以外の話はあまり聞いたことがない。

 家長は自分なりに子ども時代を振り返る。

「チームメイトとはよくしゃべっていましたけれど、かなり人見知りで、引っ込み思案なところもあったような気もします。でも、やんちゃはやんちゃでしたよ(笑)。だから普段でも、サッカーでも、よく怒られてた気がします」

2018JリーグアウォーズでMVPを受賞した家長に祝福のメッセージを送った本田圭佑(写真:YUTAKAアフロスポーツ)
2018JリーグアウォーズでMVPを受賞した家長に祝福のメッセージを送った本田圭佑(写真:YUTAKAアフロスポーツ)

“ガンバ三羽ガラス”と呼ばれていた?

 当時、大阪のサッカー関係者の間では、ガンバ大阪ジュニアユース時代の家長のことを“天才”と呼ぶ一方、家長、本田、金氏の3人を“ガンバ三羽ガラス”と呼ぶ人たちもいたという。それだけ才能豊かで、仲の良い3人だったということだろう。

 本田と家長は今もプロサッカー選手として活躍しているが、金氏も現役時代はそれなりの場数を踏んでいる。

 現在はサガン鳥栖の強化部スポーツダイレクターとして仕事をこなす金氏は、ガンバ大阪ジュニアユースとユース時代、家長とチームメイトだった。

 韓国の年代別代表にも選出され、03年FIFA U-17選手権にも出場。J2時代のサガン鳥栖やJFLなどでのプレーを経て、引退後に昨年までサガン鳥栖でコーチを務めて現在に至る。

 金氏は、家長や本田とは立場が違うとはいえ、今でもサッカーの現場でつながっている。

 家長がこんなことを語っていた。「あいつ、用事があるときしか連絡してこないんですよ。だから言っといてください(笑)」。

 そう笑いつつ、「でも昔の僕のことをよく知っているはずです。だから聞いてみてください」と伝えてくれていた。

 そんな彼らが、どれだけ深い仲だったかを示す写真が手元にある。そこには家長、本田、金氏の3人が共に食事する姿が写っていた。

 写真を提供してくれた金氏は「圭佑がACミランにいたときに、アキと一緒にイタリアまで会いにいって、3人で食事したんですよ」と話す。家長が話してくれていたことが、ここでつながった。

初めて見た“アキ”の涙

「当時からもう天才肌ですよね。でもグラウンドの上ではほとんどしゃべらない。淡々と自分のやることをやって、プレーで引っ張っていくタイプでした」

 家長のプレーは、他を圧倒する存在感を放っていたと金氏は振り返る。

 そんな彼の姿が目に浮かぶような、とっておきのエピソードを教えてくれた。

「ガンバ大阪ジュニアユース時代の中3の時、大阪府や関西では敵がいなかったほど強かったんです。それで高円宮杯の大阪府予選の準決勝だったと思うのですが、前半に相手のキックオフからたったワンプレーの10秒ぐらいで点を取られたんです。前評判では圧勝と言われていたのに、前半は0-1で終わりました」

 するとベンチに戻ってきて、真っ先に監督にカミナリを落とされたのが、家長だったという。

「それも当然というか、アキはもう前半からまったくプレーに覇気がなかったんです。後ろから見ていても『やる気あんのか?』としか言いようがない感じで。でも負けるわけにはいかないから気合い入れてピッチに戻って、円陣を組んだんです」

 そこで金氏は、驚くべき光景を目にする。

「アキが泣いてたんです。中1から3年間、一緒にプレーしてきて、いろんなことがありましたが、泣いてる姿は一度も見たことがなかったので、びっくりして鳥肌が立ちましたよ。そんなことで泣くやつじゃないのに。『この試合勝ったな』と確信しましたよ」

ジュニアユース、ユース時代に家長と共にプレーした金氏は「アキのMVP受賞はむしろ遅かったくらい」と今も昔も変わらない実力を認めている(撮影:平野敬久)
ジュニアユース、ユース時代に家長と共にプレーした金氏は「アキのMVP受賞はむしろ遅かったくらい」と今も昔も変わらない実力を認めている(撮影:平野敬久)

 聞いているこちらからすると、エースのスイッチが入って劇的な逆転勝利、という展開だと思っていた。

「……前半とまったく同じやったんです、あいつ。もうガッカリでしたよ。なんやってん、あの涙はって(笑)」

 結局そのまま試合は0-1で終了した。

「今でもアキに会ったらたまに話すんですけれど、『あの涙は何やったんや?(笑)』って。でもあいつは『覚えてない、俺は泣いてない』って言うんですよね。とにかく図太かったです。いつも何か物足りなさがあったのか、満足していないっていうのもあったのかもしれません。プレーにムラがあるから、『本気を出してんのか?』と思うところがあるんですけれど、逆に何かやってくれそうな無限な力を持っていたりもする。“天才肌”ってそういうことなんでしょう」

「むしろ遅かったMVP受賞」

 さらに金氏は、家長の昨年MVP受賞についてもこう断言した。

「むしろ遅かったくらい、と僕は思っています。特別な驚きはなかったです。簡単なことではないですけれど、彼の見ている目線には(MVP受賞も)あったのだろうと思います。」

 そして、家長とのこれからの関係性についてもこう話す。

「立場は違えども、日本の最高峰のリーガーでお互いが切磋琢磨してきました。今はプレーヤー同士ではありませんが、刺激し合える仲でいたいし、これからもアキにはそういう存在であってほしい」

 ジュニア時代から紡いできた絆は、今もなおサッカーという共通の舞台で強く結ばれている。

「いつか(3人で)何か一緒にやろうか、なんて話もたまにするんですよ」

 金氏と家長にそれぞれ話を聞いたときに出てきた言葉だ。3人が写る一枚の写真からは、今にもそんな会話が聞こえてきそうだった。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

金明昱の最近の記事