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小野晃征はなぜ、日本代表入りを辞退したか。セカンドキャリアの重要性を考える。【ラグビー雑記帳】

向風見也ラグビーライター
自分より30センチ以上大きなヴィクター・マットフィールドに刺さった。(写真:ロイター/アフロ)

 ワールドカップ日本大会を2年後に控えるラグビー日本代表は、10月19日、この秋のツアーメンバーを発表する。

 9月中旬から断続的に候補合宿をおこなってきたチームは今回、ワールドカップ優勝経験のあるオーストラリア代表などと対戦。チームや個人の強化や本戦に向けたメンバーの絞り込み、さらには現体制の安定性など多くのチェック項目が並んでいる。

 10月15日から3日間、都内であった直前合宿の時だ。昨秋就任のジェイミー・ジョセフヘッドコーチが、驚きを伴う発言をさらりと残す。小野晃征が代表を辞退した、というのだ。

 16日、小野と同じスタンドオフを務める山沢拓也の追加召集について質問を受け、こう話した。

「晃征が怪我をして、11月にしっかりとしたパフォーマンスをする自信がないということで、スタンドオフが必要になりました」

期待の背景

 攻撃を組み立てるスタンドオフとして活躍する小野は、幼少期からニュージーランドで生活。再来日したのは2007年、ワールドカップフランス大会を目指す日本代表に選ばれたのがきっかけだった。当時はクラブレベルのプレーヤーだったものの、そのまま本大会に出場。以後は福岡のサニックスでプロ生活をスタートさせ、サントリーに移る2012年まで在籍する。

 2011年までの約4年間は代表から遠ざかったものの、エディー・ジョーンズ前ヘッドコーチ体制が発足した2012年に復帰。2015年のワールドカップイングランド大会時は予選プール4試合中勝った3試合に先発した。

 身長171センチ、体重81キロと決して大柄ではないが、二か国語を使った素早く的確な指示出し、数手先を読みながらのプレー選択で、2016年までに32キャップを獲得してきた(国際間の真剣勝負=テストマッチへの出場数)。サントリーの司令塔としても、前年度の国内トップリーグの全勝優勝を達成。東芝から今季新加入したスタンドオフの田村煕には、こう尊敬される。

「敵同士で練習をしながら、『この場合はこうした方がよかったね』とか、アタックの時の考え方を色々と教えてくれる」

 ナショナルチームが大きく活動するのは6、11月。小野は昨年11月にはニュージーランドに残す家族の事情、今年6月には肩の手術のために代表から離れていた。もっとも今回は、9月から断続的に続いた短期の候補合宿へ参加。「また桜(日本代表)のジャージィを着られるように頑張りたい」と意気込んでいた。久々の国際舞台で、活躍が期待されていた。

本人の決断は

 ジョセフ談話が発せられた翌日、東京都府中市のサントリースポーツセンターに小野本人がいた。全体練習を終えた夜、外国人選手と帰路につくタイミングで発した。

「はい。ジェイミーに直接、メールしました」

 辞退を申し入れた旨を認め、背景には蓄積した身体の痛みがあったと説明する。今季のトップリーグでもここまで8戦中7戦でプレー。万全なようにも映ったが、そのパフォーマンスは練習後の丁寧なケアの産物でもあったのだろう。

 テストマッチでは、身体衝突でかかる負荷や試合前の精神的重圧が国内のそれとは段違いになる。いざ戦場に立てばへっちゃらで大男にタックルしていそうな小野なだけに、いざその場に立つかどうかは自分で慎重に考えねばならない。

 以前は首にもメスを入れたことのある小野は、苦しい胸の内を明かすのだった。

「応援してくれているファンの方からはトップリーグで出られているのに…という声もあると思うし、それもポジティブ(な意見)。ただ、この小さい身体でテストマッチを戦うには…」

 小野は、9月中旬には代表復帰への意欲を公の場で表明したばかり。今回の決断は、その後の約1か月の間で下されたものである。悩んだ末だったのは間違いない。

「子どもたちには、次以降のことを考えながらいまを生きて欲しい」

 日本代表を下支えする組織に、サンウルブズがある。国際リーグのスーパーラグビーへこの国から参戦するプロクラブで、国内トップリーグなどから代表候補を終結させる。発足3年目の来季は日本代表のジョセフをヘッドコーチに据え、両組織の連携をより強化させる。

 これまでサンウルブズと距離を置いてきた小野は、今回も「自分はプレーしないです」とのことだ。身体のメンテナンスに加え、何より引退後の来し方を考える時間が欲しかったからだという。

「セカンドキャリアに向け、勉強や仕事の経験を積まないとだめというのもわかっている。いまはプロ選手をやっていますが、次の仕事が決まっているわけではないですし。そのための時間を…」

 今度のサンウルブズ参加可否が2019年の代表選出に影響しそうな点についても、「覚悟して決断した」と断じる。

 天啓に導かれる形で、実務経験がほぼないまま日本を代表するプロ選手になった小野。家には生まれたばかりの赤ん坊を抱え、2019年には32歳になっている。ワールドカップ出場は諦めていないだろうが、己が考えるべきことは他にもあるという。

 自身のこれからの人生設計を通し、将来プロラグビー選手を目指す若者にあるメッセージを伝えたいようだ。

「今度のワールドカップはただのワールドカップではないし、大きいモチベーションはある。ただ、その後にも暮らしていかないといけない。これが、いま25歳ならばやりたいと思いますが。ラグビーやっている間はパフォーマンスにフォーカスすべきでもあるけど、35歳までやったとして、その後の40年をどうするか。これからの子どもたちには、次以降のことを考えながらいまを生きて欲しいな…と」

「チームのジャージィは、自分だけのものじゃない」

 小野が育ったニュージーランドでは同国協会が代表選手の立場を保全するが、日本では各所属先企業が選手の生活を支えている。引退後は各所属先での社業に専念する社員選手が大半を占める。かくしてこの国の楕円球界は守られてきた。

 日本ラグビー協会は10月、2018年度以降のトップリーグの仕組みを見直す計画を公開した。代表候補選手をプロテクトする目的から、2018年度のトップリーグの試合数を減らす。

 さらにはワールドカップ終了後の2019年度の開催期間を、2020年の1~5月あたりまでに設定した。サンウルブズが参戦するスーパーラグビーは2月開幕とあって、それまで当然のように成立してきた国内外両方でのプレーがより難しくなる。坂本典幸専務理事も「(2019年度は)サンウルブズの所属選手はトップリーグに所属しないことになる。選手のやり取りを含めて、色々と議論しなくてはいけない」と明言する。

 しかし、2020年度以降の枠組みがどうなるか、さらに2020年度のサンウルブズがトップリーグのクラブ以上の条件を揃えられるかなど、未知数な部分は多い。裏を返せば、サンウルブズがトップリーグのクラブ以上に魅力的になるどうかが、2020年以降の日本代表候補生の人生計画を左右すると言える。小野のようなラグビー専従のプロ選手が増加傾向にあるなか、ラグビー界の選手の支え方がどう変わるかに注目が集まるだろう。

 小野は今回、この流れとは別領域で自分の人生を考えた。

「この身体の大きさでここから2年間、スーパーラグビー、トップリーグ…さらにテストマッチを含めたらとんでもない試合数になる。自分でコントロールしないといけない」

 引退後のことを誰かに考えてもらうのではなく、自分で考える。その姿を未来のアスリートに見せる…。その立場を明らかにしたのだ。国際舞台で身を削る仲間たちに尊敬の念を示しながら、2018年の春は未来への自己投資に時間を割く。別の場所ではこう言った。

「チームのジャージィは、自分だけのものじゃない。ただ、そのジャージィの意味やプライドは、自分で変えられる。自分が入ってきた時よりいい状態にして、次に繋げたい」

 ここでの「ジャージィ」とは、試合で着用する「ジャージィ」よりも広い意味で用いられたフレーズだろう。

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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