なぜ日本野球の攻撃はスロースタートなのか? 五輪初戦でも表れた“ある悪習慣”~侍ジャパン観戦記~
侍ジャパンは7月28日、初戦となったドミニカ共和国(以下、ドミニカ)戦を4対3のサヨナラ勝利で掴み取った。敗戦の瀬戸際からの勝利という、苦しい試合だった。国際大会は内容は二の次。勝つことそれ自体に意味がある。
にしても、実力的には他国に比して勝るとも劣らない日本野球が、なぜいつもこう苦しい展開に陥るのか。
ポイント1 日本打線の“悪習慣”
国際大会に臨む日本チームの打線には、困った“習慣”ともいえるものがある。相手投手の投球を「見ていく」という習慣だ。とりわけ変化球。例えばデータに「スライダーがある」とあっても、投手の手を離れどのあたりで曲がり始めるのか。曲がり幅はどれくらいなのか。こうしたことは打者それぞれが実際に打席に入って感覚を掴まないと対応しにくい、といわれる。それが国内リーグで鍛えられてきた打者の特徴でもあるのだが、短期戦の国際大会での相手投手はほとんどが初見、つまり初対決となる。そのため感覚を掴むまでに時間がかかり、往々にして先制点を奪われ、後手にまわり追いかける展開を余儀なくされることになる。プロが参加してからの五輪で、いまだ金メダルに手が届かないのも、こうした要因が影響していると思う。そして今回のドミニカ戦も、まさにそんな展開となった。
ただ、これまでの大会とは異なる要因がこの日の試合にはあった。相手投手が初見ではなく、巨人でプレーしているメルセデスが先発したことだ。戦前、メルセデスの先発濃厚という情報を受け、評論家らの意見は「データを互いに持っているだけに、五分。ただし今季のメルセデスは好調だけに要注意」というものだった。
結果、その予想は的中した。日本打線はメルセデスの投球に苦心した。ストライクを簡単に取り、変化球の落ちもいい。適度に荒れるため、打者も狙い球を絞りにくい。初見でなくても、好投されれば容易にヒットは出ないという現実が、明らかに日本打線を苦しめていた。
それだけに、国際大会の鉄則とも言うべきものが打者に求められる。見過ぎず、積極的に打ちにいく姿勢だ。
結果的にはサヨナラ勝利となりはしたが、吉田正尚、浅村栄斗、柳田悠岐といったタイプは「考えるというより反応して打つ、打てるタイプ」だ。凡打を恐れるがあまり、初球から打ちにいくことをためらうタイプではない。こうした国際大会向きの打者が、この後の戦いでカギを握ることになると思う。
ポイント2 継投の難しさ
投手でのポイントと感じられたのは、「継投の難しさ」だった。メルセデスは6回途中104球、日本の山本由伸は6回88球でマウントを降りた。そして試合は動き、ドミニカ共和国は2番手青柳晃洋から2点、日本も同カスティーヨから1点を奪った。ここで共通していたのは、“2番手投手の方が与しやすい”という打者、あるいはベンチの心理だ。
青柳は変則的なサイドハンドで、シンカーやスライダーなどを駆使する。このタイプの投手は北中米には少ないため、国際大会では効果を発揮すると見られていた、いわば今大会の投手としてのキーマンだった。その青柳が3長単打で2失点。稲葉篤紀監督が途中交代させたほどだった。それほど彼の投球は、ドミニカ打線に合ってしまっていた。初登板から来る緊張もあったろうが、本来のキレがなく球も浮きがち。それでは打たれても仕方がないが、重要視すべきは好投山本の後というタイミングだったと思う。どんな中継ぎエースでも、見事な好投を演じた先発の後を受けるのは大変なことだ。打者心理として「打ちあぐんでいた投手が降りてくれた」と受け止める。青柳の場合、サイドということもあり150キロを投じる山本より見た目球速も落ちる。ゴロを打たせようにも、ドミニカ打線は思い切りよくバットを振り外野に飛ばしていた。継投は監督の専権事項ではあるが、こうした場合、相手が苦労していた山本と同系統の、速球と落ちる球を持ち味にした投手の選択はなかったのか。最初から青柳を2番手と決めていたのかも知れないし、次戦以降でのために初戦に投げさせたかったとも考えられるが、「選手起用は最初から形にこだわらない」が稲葉監督のモットーだけに他の選択でも良かったのではないか。
ポイント3 試合は生きている
2対1から9回表に1点を追加し、3位1でドミニカがリード。そして5番の浅村がライトフライで1アウト。流れは確実に、ドミニカにあった。
しかしその流れを止めたのは、ドミニカのミスだった。6番柳田の一塁ゴロの際、ベースカバーが入っておらずに内野安打となった(あれは二塁に任せてもい打球コースだったか?)。ここからの日本打線はまるで生き返ったかのように振れていた。まるで甲子園のような逆転劇。しかし浮き足だった状態では、中米の強豪国とはいえ日本の方が巧者だった。
ドミニカにはもうひとつ、見えないミスと言って良い場面があったと思う。9回表の攻撃、1、2塁からライト戦2塁打の打球で、1塁走者が生還しなかったことだ。ためらったが、大事に行くべきと選択したか、間に合わないと判断したか。答えはわからない。ただもう1点追加し、4対1で9回裏となっていたら、果たして日本打線に逆転出来ると思う気持ちが残っていたかどうか。
試合は生きている。そう実感させる表裏の攻防だった。
ひとつのプレーが明暗を分ける。それは野球に限らず、多くの競技に当てはまることだ。しかしこのサヨナラ勝利は、侍ジャパンに1勝以上の勢いをもたらしたと思う。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】