金本知憲氏や谷繁監督兼任選手らプロ野球選手がこぞって使いたがるハタケヤマのミットやグラブとは・・・?
■「和牛」・・・?
「和牛」―。
といっても、焼肉やステーキの話ではない。野球道具の話だ。「株式会社ハタケヤマ」で製造している硬式用のミットやグラブにはすべて「和牛」の文字の刻印が入っている。和牛の革を使っているという証だ。
ほとんどのグラブは輸入の革が使用されている。輸入元は北米が多いという。屠殺して塩漬けにした生の皮を船で運び、日本国内でなめす。表面が綺麗で安価なため、大量生産には向いているが、船で何ヶ月もかけて運んでいる間に繊維がほぐれてしまうという難点がある。
和牛は傷も多いため、希少だ。必然的に値が張る。しかし繊維が細かく伸びにくいという、ミットやグラブにとってはこの上ないメリットがある。「ハタケヤマのミットは革が伸びにくくて長持ちする」と、プロ野球選手がこぞって使いたがる所以はそこにある。
あくまでも「和牛」にこだわり、ミットやグラブを作り続けて30年。株式会社ハタケヤマの代表取締役社長、畠山佳久氏に話を聞いた。
■広がったのは、選手間の口コミ
父・忠久氏が1951年に創業した「平野製作所」が始まりだった。「美津和タイガー」の専属工場として、落合博満選手や掛布雅之選手らのミットやグラブを製造していた。
高校卒業後に入社した畠山氏は、グラブを作りながら「下請けは言われたことしかできない。でも自分の思い通りのものを作りたい」という思いがふつふつと湧いてきたという。そこで「ハタケヤマスポーツ」という別会社を立ち上げ、オリジナルブランドの販売を始めた。
美津和タイガーと取引のないショップを回り、商品を見せて説明すると、「モノはいいな」と、わかる店は置いてくれるようになった。1985年、1月のことだった。
するとその矢先、美津和タイガーが倒産した。当然、金が入らない。しかし原料の仕入先には支払いをしなければならない。ハタケヤマも同時に多額の負債を抱えることになってしまった。
「とにかくグラブを作って売るしかない」と前を向いたが、困惑したのは美津和タイガーのミットやグラブを使っていた選手たちだった。開幕を前にして、道具が手に入らなくなる危機に陥ったのだ。
そんなとき、浜田球場(兵庫県・尼崎市)で練習している阪神タイガースのマネージャーから連絡を受けた。「選手も裏方さんも困ってるんや。通行証を発行するから、来てくれへんか」。二つ返事で飛んで行くと、待ってましたとばかりに選手や裏方さんに歓迎された。
そこから掛布選手はもちろんのこと、川藤幸三選手、真弓明信選手ら当時の主力選手が数多くハタケヤマの製品を使ってくれるようになり、試合のテレビ中継を見た人々から注文が舞い込むようになった。
選手の間でも口コミで広まった。まず有名になったのはキャッチャーミットだった。冒頭にも記したように「革が伸びにくくて長持ちする」ことは、最も酷使され壊れやすいキャッチャーミットだからこそ、実感できるのだ。更に「球を受けた時の音も違う」と評判になった。
噂は瞬く間に広がった。タイガースだけでなく、他球団からのオファーも続いた。ドラゴンズの谷繁元信捕手は「これしか使えません。他のじゃ安心できない」と高校時代から現在に至るまでの間、ほぼハタケヤマのミットとともに戦っている。
それを見た他の選手も興味を持つ。その“好循環”を生んでいるのは、畠山氏の製品に対するこだわりだ。
■選手の生きた声から生まれる優れた製品
まず和牛という素材。「一番難しいのは革の選定。口では説明できない感覚」と話す畠山氏が自ら触り、その感覚で選んでいる。バットの木を選ぶのと同じだ。
そして素材の良さはもちろん、ハタケヤマのミットやグラブには様々な工夫がなされている。
2003年、カープからタイガースにFA移籍した金本知憲選手は、カープのキャッチャーからハタケヤマ製品のことは聞いており、移籍をきっかけに使いたいと言ってきた。注文はこうだった。「現役引退するまで同じグラブを使いたい」―。
それまでも同じグラブを使い続け、ボロボロになっていた。納得いくグラブを…と探しているところに移籍をきっかけにハタケヤマと縁ができた。「毎年グラブを代える人もいるけど、ボクは代えたくないんです。自分の手のように馴染むものを使い続けたいんです」。しっかり長持ちするものを要望した。
「2003年に作ったものを最後まで使い続けたよ。もちろん、毎年オフにオーバーホールはするけどね」と懐かしそうに微笑む畠山氏に、「金本グラブ」の特徴を明かしてもらった。
「外野手のグラブとしては珍しいタイプ。金本選手は内野手出身だから、ちゃんと掴む感覚が欲しいということでね」。外野手は小指部分に小指と薬指を入れ、1本ずつズラしてはめると選手が多いという。だから外野手用グラブはそのように使えるよう、小指部分を広く作っている。
しかし金本選手は普通に5本の指をそのまま入れて使っていたので、“外野手対応”にはしなかった。それよりも「チャージしてゴロを捕った時にボールが浮かないように」との要望を受け、ヒールと呼ばれる手首側の部分に角度をつけて立てるように改善した。
これが今、製品としても販売している「アンクブロック」という特徴だ。金本選手の意見から誕生したのである。
その他の製品にも、選手の意見が生かされている。指がミットの中で曲がりやすいように、通常は縦のところをパーツを横に分けて縫製している「シェラームーブ」。
「ボースヒール」という紐の編み方は、グラブが開閉しやすく、また開く方向も自在にできる技術だ。
親指を外に曲げた立体製造の「オークトロン」は、人体の理に適っている。逆シングルで捕りにいく時、人の感覚では親指は下を向いている。しかし通常のグラブを着けている親指は、横を向いているのだ。そうすると親指に当ててしまいやすい。ところが「オークトロン」は親指が下を向くので、逆シングルでもしっかりキャッチしやすいのだ。
これらはすべて金本選手はじめ、さまざま選手たちとの対話から生まれたものだ。選手の声に耳を傾けることを、畠山氏は最も大事にしている。
■畠山氏の柔らかい頭はアイディアの宝庫
しかし選手の要望を聞くだけでは製品にならない。そこには畠山氏ならではの発想の豊かさ、柔軟性があるのだ。
ハタケヤマのミットの芯(手のひら部分)は独自のものだ。それまで8ミリの厚さのフェルトを使っていたが、すぐに摩耗して綿埃のようになってしまっていた。
あるとき、釣り用の長靴の裏に貼ってある素材を見た畠山氏は閃いた。すぐにその素材を取り寄せ、ミットに入れて使用したところ、従来のフェルトとは比べものにならないくらいの耐久性があった。これは美津和タイガー時代から今も、使い続けている。
また甲部分のベルトを締めるバックルも、美津和タイガー時代からのオリジナルだ。従来のDカンだと滑って緩みやすかったが、これも普通のバッグからヒントを得たものをバックルに採用したところ、緩まずしっかり締められ、手の甲にピッタリフィットするようになった。
この2点は畠山氏のアイディアではあるが、既存のものを使用しているので特許申請はできない。しかし今では他社…特に大手がみな取り入れているのだ。それを「マネされるのは嬉しいね」と、畠山氏は素直に喜ぶ。「いいもの」と認められたということだ。
しかし大手には真似のできないことがある。製造工程だ。下請け、孫請けに任せて分業制にすると早く仕上がり、大量生産できる。だがハタケヤマの場合は自社工場で、すべて社員が一つ一つ手作りしている。
「締め方一つ、手の加減で変わってくるからなぁ。オレが満足するまではなかなかや」と笑う畠山氏。
実際、商品として出せるものを作れるようになるまでは、3年から5年は修行を積まなくてはならない。それらすべてに畠山氏の目が行き届いている。
■12球団開幕スタメン捕手のキャッチャーミット使用率は、5年連続トップ。そして世界へ・・・
今ではNPB支配下登録選手の捕手の半分は、ハタケヤマの道具を使っているという。タイガースの清水誉捕手や今成亮太内野手も「捕りやすい。細かい要望にもすぐに応えてくれる」と“相棒”が手放せないようだ。
同ブルペン捕手の横川雄介さんも「(捕った時の)音がいい。ボクらはピッチャーをどれだけ気持ちよく乗せるかが大事だから。自分のキャッチング技術以上にいい音が出ますね」と笑う。
また、内野手だった和田豊監督も愛用者だ。「畠山社長は素晴らしいアイディアマンだよね。『こうだったらいいな』ということを形にしてくれる。しかも早いんだ」と、ゾッコンだ。
そして国内のみならず、韓国プロ野球界でも広がりを見せる。2011年4月には「株式会社ハタケヤマ韓国」を設立。昨年9月からは韓国人スタッフを日本で雇用し、韓国との橋渡しを任せている。
野球好きだという彼女は、「カン・ミノ捕手(ロッテジャイアンツ)やヤン・ウィジ捕手(斗山ベアーズ)ら10球団中8球団のレギュラー選手が、ハタケヤマ製品を使ってくれているんです」と得意げに話す。
創業31年目の今年、畠山氏には夢がある。「メジャーリーガーに使ってもらいたいんやなぁ…」。実は今、興味を持ってくれている選手はいるようだ。
「そうしたらオレも引退できるしな。引退するための下準備をしているところや」。冗談とも本気ともつかない口ぶりだが、おそらく畠山氏のアイディアが枯渇することはないだろうし、今後も攻め続けるだろう。
次の取材機会には、「メジャーの○○選手が使っているんや」、いや、「メジャーでのシェアが○%になった」なんて話が聞けるかもしれない。