「二・二六事件」は3日前の大雪が残る氷点下の日
昭和11年(1936年)2月26日、陸軍の青年将校らを中心に、約1500名がクーデターを起こして首相官邸や警察庁などを占拠し、高橋是清(たかはし これきよ)大蔵大臣や斉藤実(さいとう まこと)内大臣ら9名が殺害するという「二・二六事件」が発生しています。
映画やテレビ、演劇などでは、大雪の中での事件として扱われることが多いのですが、実際は、3日前の大雪が残るなか、一日の平均気温が氷点下という、寒い日の事件です。
大雪をもたらした南岸低気圧
昭和11年(1936年)2月22日に台湾の北東海上に発生した低気圧は、発達しながら本州南岸を進み、関東地方に記録的な大雪をもたらしました(図1)。
東京の23日の積雪量は36センチ(正確には35.5センチ)と、140年以上の東京の観測で、明治16年(1883年)2月8日の46センチ、昭和20年2月22日の36センチに次ぐ、史上3位の記録です(表1)。
関東地方で大雪となるのは、このように、本州の南岸を低気圧が通過するときです。最近では、平成26年2月15日に27センチと史上8位の記録がでましたが、このときも、南岸を低気圧が通過しています。
低い気温が継続
2月22日の大雪の後、気温が低い状態が続いたため、積雪はなかなか減りませんでした(表2)。
大雪の3日後の26日朝、「二・二六事件」がおきています。26日朝の積雪量は12.6センチ、翌27日の積雪量は20.0センチと前日に比べて約7センチの増加です。
26日は、雪が降っていますが、残っていた積雪の方が多いのです。
そして、寒い日だったのです。
26日の最高気温は0.3度、最低気温は、マイナス2.2度、日平均気温はマイナス1.3度と、氷点下の寒い日の事件だったのです。
陸軍では対応策がなく混乱していましたが、昭和天皇が激怒され、自ら近衛兵を率いて鎮圧に向かうとの意思をお示しになったため、陸軍は決起部隊鎮圧へと向かうことになります。
事件後、岡田啓介首相は辞職、以後、軍部の政治的発言権が強まっています。
現在のように寒い日が続いていると、まだまだ冬という感じですが、春が近づくと南岸を低気圧が通過するようになります。このため、関東地方で大雪になることがありますが、この時の雪は「春を告げる雪」ともいわれています。
図の出典:饒村曜(1999)、イラストでわかる天気のしくみ、新星出版社