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【河内長野市】河内・紀州・大和のゴールデントライアングル、行者杉で5月5日に石見川の方々が集まる理由

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

私は情報収集のためにいろんなSNSの情報を入手します。その中には自治体の代表者、市長や府議、市議といった方の情報も見ています。こういう方々は休みになるといろんなところに訪問しているのが記事作成のヒントに非常に役立っているのですが、その中で、例年5月5日に意外なところに行っている情報がとても気になっていました。

それは、行者杉まで登って石見川集落の人が主催で行われる行事に参加することです。なぜ驚いたかと言えば、行者杉は金剛山や岩湧山より低いものの、標高が700メートル地点という山の上にある場所です。そんなところまで市長や府議と言った立場の人がわざわざ行っていることがとても気になりました。

石見川
石見川

そこでその理由を探るべく、今年こそと行ってみることにしました。

ここで行者杉をおさらいすると、河内(大阪)、紀州(和歌山)、大和(奈良)の3県(旧三国)が交わるゴールデントライアングルにあります。大阪のゴールデントライアングルは他にも能勢町や交野市にありますが、能勢は道なき山の中にあり、交野も口コミによればメインの道から少し藪に入らないといけないとのこと。

しかし、河内長野にある行者杉は、尾根伝いに整備されたハイキング道「ダイヤモンドトレール(ダイトレ)」の途中にあるので、とても行きやすいのです。

ということで今年の5月5日に行者杉に向かうことになりました。ただ今回は当初思っていたことといろいろ変わっていました。当初は小深バス停から歩いて石見川に行き、そこから林道で行者杉を目指す予定でした。

小深と石見川の途中にある行者湧水
小深と石見川の途中にある行者湧水

その場合だと小深から石見川まででも、歩いて1時間強かかります。しかし、私の予定を知って行かれる方たちのご厚意で、車に同乗させていただけることになりました。

石見川源流近くにある林道
石見川源流近くにある林道

しかも林道沿いに行くのではなく、金剛トンネルを越えて奈良県五條市側から行者杉を目指すとのこと。

後で地元の人に聞けば昔は林道しかなかったので、林道経由で行者杉に行っていたそうですが、今は五條側からの楽なルートで上るとのこと。

ということで、金剛トンネルを抜けたところまで今回は車でいけました。もし小深バス停から歩くとなると、金剛トンネル登山口まで2時間くらいかかりそうです。

地元の人の車が路上に止まっています。この県境越えの道は車の通行量がそもそも少なく、どちらかといえば自転車やバイクが通過する道です。なので路上駐車もできるわけです。

金剛トンネルからバイクの集団が出てきました。

入口にはこのような幟が掲げられています。「奉納南無役行者神変大菩薩」と書いてあります。ちなみに神変大菩薩とは役小角(えんのおづぬ:行者)が没後、千年以上が経過した1799(寛政2)年に、光格天皇から贈られた諡号(しごう:死後に贈られるおくりな)とのこと。

五條市観光協会の看板です。河内長野の人々の行事に五條側から登るとは少し不思議にも感じますが、後でも詳しく紹介しますが河内長野と五條、そして橋本の3つの自治体とのつながりは結構深いです。

行者杉までの登山道。前を歩くのは、途中合流した島田市長です
行者杉までの登山道。前を歩くのは、途中合流した島田市長です

こうして登っていきます。登山ですが地元の人はみんな普段着姿ですし、市の関係者の方はスーツ姿で登ります。登山なのに不思議な気がしますが、30分弱の行程は本当に苦ではないのです。

実は登り始めた金剛トンネルの標高は海抜626メートル地点です。そして行者杉の標高は海抜715.5メートルなので、実際には90メートルほど登るだけだったのです。

河内長野は坂の多い町なので、町中でも似た高低差のところがあります。例えば近鉄汐ノ宮駅近くの汐の宮公園の海抜が80メートルで、赤峰市民広場の海抜が165メートルとなっており、その差85メートルあるのです。

今回の道は舗装されていませんが、それほど大変ではない道のりだとわかります。

すごく足場もしっかりしている道なので、登山の格好をするまでもなく気軽に登れる散歩道のような印象です。例えば観心寺と延命寺を結ぶ道や延命寺から美加の台を経由して千早口駅まで続いている道を歩いている感覚で、気軽に行者杉まで歩けました。

途中に大澤寺に分かれている道があります。大澤(大沢:だいたく)寺とは、行者杉方面から五條の中心部に降りる途中、大澤町にある高野山真言宗の仏教寺院です。役小角が開いた寺院で1300年の歴史があるとのこと。

河内長野駅から観心寺、鳩原・太井・小深などを通る国道を大沢街道と読んでいますが、どうやら「大沢」はこの大沢寺からきているようです。また行者杉は行者峠または大澤峠と呼ばれているそうです。

そんなことを言っている間に、行者杉の前に到着しました。本当にあっという間です。

行者杉からは絶景が見られます。これは奈良県五條市側の風景なのですが、以前はこんなに絶景では無かったそうです。見晴らしがよくなった理由には、3つの自治体のつながりを感じるあるエピソードがありました。

石見川(河内長野)の人は毎年行者杉に祭のために上がるので、かねてから見晴らしが良くなってほしいと思っていたそうです。木を切り倒せばそれが可能という事で、山の所有者を探すと、持ち主は橋本市の人だったのです。

行者杉から見える五條市の中心部
行者杉から見える五條市の中心部

山の所有者と交渉した結果、木を切り倒すことの許可を頂き、作業は石見川の人が行いました。こうして見晴らしがよくなったのですが、そこに見えるのは五條市の中心部です。

五條市中心部(高架は未成線の五新線)
五條市中心部(高架は未成線の五新線)

つまり橋本市の人が所有している木を河内長野の人が切り倒したら五條市が見えたということ。そして昨年の5月5日に、河内長野市が橋本の所有者の方に感謝状を渡したそうです。

実際に3つの自治体には広域連携協議会というのがあるそうで、この3つの市の市民はそれぞれの図書館で本の貸し出しが行えます。さらに橋本市サカイキャニング温水プール「レインボー」(外部リンク)については、河内長野市と五條市の市内の人は橋本市内の料金で入場できるとのこと。

私のようなよそ者の移住者が、河内長野に引っ越し後に感じたこととして、長野(河内長野駅周辺)から南側は、大阪というよりも五條や橋本の文化の影響を強く感じることがありました。恐らくそういうことだったのでしょう。行者杉を中心に県をまたいだ3市の結びつきの強さを感じます。

さて、行者杉前の広場では地元の人が楽しく宴会をしています。もっと伝統的な風習と言うよりも今風のピクニックを楽しんでいる感じで、老若男女子どもたちがいて、とても楽しい雰囲気でした。

石見川の人から頂いた石見川自治会資料によると、修験道の祖である役小角が葛城修験を開いたときに、河内、紀州、大和の境界線に祠(東の行者堂)を安置し、その周辺にある一群の老齢杉を「行者杉」と命名したとのこと。

つまり行者杉とは1本の木ではなく、杉の群生の総称だったんですね。そして旧河内國錦部郡石見川村に住む人々は、古来から行者祭として祈念する行事が現在も続いているのです。

昔は行者祭(八日日:ようかび)を5月8日に行っていたそうですが、現在は地区の人が参加しやすいように5月5日の子どもの日に行っているとのこと。石見川の人は他にも1月7日に初行者の慶事を祝っているそうです。

1月7日は五條からの参拝者も多いそうで、昔から大澤寺が目の神様、行者杉は頭の神様と呼び、深い信仰があったそうです。

さて行者杉の群生に囲まれているように鎮座している祠、東ノ行者堂に参拝しました。

いつもは静かに鎮座している東ノ行者堂に、この日は音源ですが般若心経が流れていました。少しだけですが動画に撮りました。

東ノ行者堂と杉の群生の周りは白い幕に囲まれています。

見ると吉野郡白銀(しろがね)村の文字があります、これは現在の五條市西吉野町の一部で、白銀の名前が残っている地域があり、調べると五條駅から南東に6.7キロメートルほど先のところにありました。

祠をみると歴史のあるものがあります。

そのうちのひとつが、こちらの石像線香台で、右側には文久年間(1861年ごろ)の銘が刻まれています。その他にも安政7年の石造花立が残っているとのこと。

祠の隣では、年に一度のお祭りのために地元の人がいろいろ準備をしていました。寄付と記帳もできるようだったので、私も少ないながら寄付と記帳をさせていただきました。

さらに興味深いことを聞きました。なんと昔は行者杉で餅撒きもあったそうです。当時を知る方の話によれば、こちらの高いところから餅を撒いていたそうです。さすがに今は行なっていませんが、当時は相当盛り上がっていたことがうかがえます。

当時は今回歩いてきた金剛トンネルからの道がなかったそうで、石見川から直接、山を登っていたとのこと。

今は馴れた登山者しか使わない道ですが、私が当初行くものと思っていた林道竜門谷線とつながっている道です。

石見川に住んでいる人の世帯数もずいぶん減ったそうですが、いまだにこうやって年に1度、自治会に入っている全家庭が集まるのは素敵なことですね。

年に一度のお祭りの日なので錯覚しますが、ここはダイヤモンドトレールの途中にあります。道しるべを見ると金剛山方向に向かう先として千早峠があります。

千早峠側に向かう道です。勘違いしやすいのですが、観心寺で決起した天誅組が五條に突撃する際には、行者杉ではなく千早峠を通過しています。また機会があれば千早峠にも足を運ばなければと思いました。

行者祭、宴会も今風のピクニックの雰囲気で、焼き鳥なども行っていました。

私もご相伴にあずかりました。焼いている人は焼き鳥にこだわりがあるようで、途中でいろいろ調味料をかけているのを目撃しました。まさか標高700メートルの高台でこんなおいしい焼きたての焼き鳥に出逢えるとは正直驚きました。

ということで、石見川の人たちが5月5日に集まる行者祭を紹介しましたが、「石見川はチベットのようなところだ」と、地元の人が笑っていました。でも、ずっと続いてほしい行事だと思いました。

そして行者杉は3つの県が集まるゴールデントライアングルですが、ダイトレルート上というだけでなく、金剛トンネル側から意外に簡単に行けますし、絶景もとても素敵です。

車を持っている人は、気軽に標高700メートルにある地元の聖地を目指してみてはいかがでしょう。

行者杉

住所:大阪府河内長野市石見川県境

アクセス:金剛トンネル五條側出口から徒歩30分程度

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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