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降水確率予報が始まったのは44年前の6月1日の気象記念日

饒村曜気象予報士
気象神社(令和4年6月4日に筆者撮影)

気象記念日

 東京都杉並区のJR高円寺駅の近くに氷川神社があり、その一角に、気象神社と呼ばれる小さな祠があります。

 全国唯一の気象神社の主祭神は八意思兼命です。

 天照大神の岩戸隠れの際に、天の安原に集まった八百万の神に天照大神を岩戸の外に出すための知恵を授け、天孫降臨の時に神々の諮問に応えるなど、種々の結果を比較して総合判断する知恵の神様です。

 氷川神社は埼玉県大宮市にあるものが武蔵国一宮で、明治2年(1869年)の東京遷都では、京都の加茂神社にならって首都の北方鎮守に選ばれています。

 氷川神社は、元荒川と多摩川を東西の境として広く分布し、現在でも埼玉県に162社、東京都に59社を数えています(日本犬百科全書より)。

 高円寺の氷川神社は源頼朝が奥州の藤原氏を攻め滅ぼした時(1189年頃:文治5年頃)に従った人の一部が武蔵野国高円寺村にとどまって農民となり、その人々がたてたのがはじまりといわれています。

 氷川神社は名前の通り、もともと気象に関係が深い神社であすが、高円寺の氷川神社には特別な意味があり、その由緒は、祠の脇に立てられた立札に次のように記されています。

気象神社由緒
御祭神 八意思兼命(知恵の神)
この気象神社は昭和十三年 陸軍気象勤務の統轄、教育機関として旧馬橋四丁目(現高円寺北四丁目)に創設された陸軍気象部の構内に、昭和十九年四月十日造営、奉祀されたが、翌昭和二十年四月十三日空襲に因り焼失し、当社殿は終戦直前に急濾再建されたものである。太平洋戦争の終戦に当り神道指令に拠り除却される筈の処当局の調査漏れのため残存しており連合軍宗教調査局に申請して払い下げを受け当所に移設し、昭和二十三年九月十八日当氷川神社大祭に際し遷座際を執行、奉仕して現在に至ったもので爾来毎年六月一日の気象記念日に例祭が斎行されている。
平成七年一月吉日
第三気象連隊戦友会 気象関係戦友会有志 寄贈

 角度を変え立場を異にして思い(八意)、種々の結果を比較して総合して分別する(思兼する)ということは、気象現象を解明するうえでの基本と同じです。

 気象記念日は、明治8年(1875年)6月1日に気象庁の前身である東京気象台(内務省地理局気象係の通称)において、業務を開始したことを記念して、昭和17年(1942年)に制定されたものです。

 つまり、国の機関である気象庁の記念日には、毎年、気象庁とは関係なく、気象神社で例祭が行われているのです(今年は14時から例祭)。

 筆者が勤務していた頃の気象庁は、新しい業務をはじめるときは、ほとんどが、6月1日の気象記念日からでした。

 新年度が始まって2ヶ月、転勤者も新しい体制に慣れてきたことに加え、多くの地方では梅雨入り前の災害が少ない期間にあたることから、気象記念日という注目される日から始めるのが、より適切という判断からと思われます。

 また、早くからPR活動をしても、「実施するのは次の気象記念日から」というと、多くの人に、確実に開始日を覚えてもらえました。

 今では、当たり前となっている降水確率予報が始まったのも、今から44年前、昭和55年(1980年)の気象記念日からです。

周知に苦労した初期の確率予報

 昭和50年(1975年)頃の天気予報は、明治時代から70年以上の表現形式に大きな変化はありませんでした。

 この間、天気予報技術が向上し、社会情勢も大きく変わってきたにもかかわらずです。

 当時、天気予報の利用価値を評価する研究が進んでくると、予報を確率的に評価すれば、利用価値が大きく向上する場合が多いことがわかってきました。

 そこで考えられたのが確率予報で、手始めに、天気予報の中で最も重要な雨や雪などの「降水があるかどうか」という確率予報が実用化に向かって動き始めました。

 降水確率予報は、アメリカでは昭和41年(1966年)から全国的に降水確率予報が実施されており、フィンランドも昭和53年(1978年)が始まっています。

 ただ、日本では確率で物事を考えることが少ないせいか、確率予報という概念を説明するのに苦労しています。

 気象庁内での検討と並行して、一般への周知活動を段階的に拡大させ、実施の数年前からは、マスコミの協力を得て業務実験を行い、降水確率を協力してくれる機関・人に提供していました。

 そして、昭和55年(1980年)6月1日に降水確率予報を業務として発表したのですが、対象は東京都だけでした。この日の東京の15時から21時までの予想が40パーセント、実況が30パーセントとまずますの成績でした。

 東京の降水確率予報に対する読売新聞の世論調査で、東京都の降水確率予報の継続を希望する72パーセント、東京以外の地方で今後開始してほしい62パーセントとなっていますので、最初の段階から一応の評価は得られています。

 そして、札幌、仙台、新潟、名古屋、大阪、高松、広島、福岡、鹿児島、沖縄の10か所の気象官署で業務実験が行われ、翌年、昭和56年(1981年)の気象記念日からは、地方10都市での降水確率予報が始まっています。

 降水確率予報が全国で始まったのは、昭和57年(1982年)7月1日からで、この時は、気象記念日に間に合いませんでした。

1ミリ以上の雨を対象とする「降水確率予報」

 気象庁が発表している降水確率予報は、1つの地点に1ミリ以上の雨や雪といった降水がある確率を示しています。

 これは、予報区内のどの地点でも降水確率は同じで、予報対象地域の面積が大きくなれば降水確率も大きくなるというものではありません。

 また、降水確率の数字の大小は降るか降らないかの可能性で、時間の長さや雨や雪の強さを表現しているものではありません。ある日の「15時から21時までの降水確率が100パーセント」という予報は、6時間連続して雨が降り続くことを示しているわけではありません。 

 降水確率予報は、野球の打率に似ています。100打数で35本の安打を打ち、65回打てなかった人の打率は3割5分となりますが、ある1打席に限って考えれば、安打を打つか打たないかは2つに1つです。ヒットも2塁打もホームランも、安打数としては1になります。

 しかし、ある回数を重ねると、3割を打つ打者と2割しか打てない打者という違いがでてきます。技手は、3割打者に対しては2割打者以上に警戒することになります。

 降水確率も同じで、値が大きければ大きいほど、雨に対して、より一層の警戒が必要となります。

 降水確率は、あらかじめ求めておいた数値予報の予想値と実際の観測値との統計約関係式を使って、数値予報の予想値から計算されます。

 降水確率が30パーセントと発表した例を多数集めると、それぞれの事象については降ったか降らなかったかの一方のみの結果となりますが、全体として見ると、ほぼ30パーセントの割合で雨が降っていることになります(図1)。

図1 降水確率予報と実際に降った率
図1 降水確率予報と実際に降った率

 100パーセントのときは80~90パーセントと多少差が出るものの、降水確率予報の値が大きければ大きいほど、実際に高い確率で雨が降っています。

降水確率予報をコストロス比C/Lで利用

 降水確率の一番有効な使い方は、降水による損害を防ぐ対策費C(コスト)を、降水による損失額L(ロス)で割った値、コストロス比C/Lを求め、降水確率がこの他より大きいときのみ対策をとるというものです。

 対策費が安いか、損害額が大きい場合は、コストロス比C/Lは小さくなりますので、降水確率が低い場合から対策をとります。

 逆に、対策費が高い場合や損害額が小さい場合は、コストロス比C/Lは大きくなりますので、降水確率が高い場合にのみ対策をとります。

 降水確率は0と1の間の値しかとりませんので、コストロス比C/Lが1より大きい場合は、いつも対策をとらないことになります。

 降水があるかないかといった予報(カテゴリー予報)にしたがって対策をとったりとらなかったりすると、予報が完全な場合(完全予報、図中の丸1)では、コストロス比C/Lに応じた利益がでます(図2)。

図2 コストロス比C/Lと利益の関係(イメージ図)
図2 コストロス比C/Lと利益の関係(イメージ図)

 しかし、実際の予報では、ときどき予報が外れることがあるので、利益は下の線(図中の丸2)になりますが、コストロス比を考えて降水確率予報を利用すると、いつもカテゴリー予報より利益がでます(図中の丸3)。

 特に、コストロス比が小さい場合は、降水確率予報のメリットが大きいということに注目してください。

 現実問題として、損害額や対策費が求めにくいことも多いのですが、考え方は同じです。

 コストが大きい(傘をもつ手間が煩わしい)場合、あるいはロスが小さい(多少濡れても大丈夫な服装である)場合は、コストロス比C/Lが大きくなるので、大きな降水確率になるまで雨対策をとらないという使い方ができます。

 逆に、コストが小さい(傘を持ってゆく煩わしさがあまりない)場合、あるいはロスが大きい(風邪を悪化させる)場合は、コストロス比C/Lが小さくなるので、小さな降水確率でも雨対策をとるという使い方ができます。

 さらにいえば、人命にかかわるときには、ロスが非常に大きくなりますので、コストロス比C/Lが非常に小さくなります。少しの確率でも対策をとることが求められます。これは、防災のときの考え方です。

図1の出典:饒村曜(平成26年(2014年))、天気と気象100、オーム社。

図2の出典:饒村曜(平成22年(2010年))、気象予報士完全合格教本、新星出版社。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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