府中の鬼 ジャングルポケットが晴らしたフジキセキの無念
ジャングルポケットとフジキセキ
ジャングルポケットを語る上でフジキセキは外せない。
ジャングルポケットが預けられた渡辺栄厩舎といえば、フジキセキを輩出したことで知られていた。4戦4勝、1994年の朝日杯3歳ステークスを楽勝し、翌1995年の弥生賞も制しエンジンの違いを見せつけたが、クラシックを目前に控えた3月下旬に左前脚に屈腱炎を発症。引退し、そのまま種牡馬入りした。競走馬に怪我はつきものとはいえ、気丈にふるまった陣営の姿に胸が痛んだ。
また、渡辺師は角田騎手がデビューすると徹底して管理馬を乗せ続けたことでも知られていた。
「厩舎の馬はすべて乗せる。最初は下手でも経験をさせなければ強くなれない」
渡辺師の師匠はコダマやシンザンを育てた武田文吾師。そして、その一門からは福永洋一騎手、キーストンとのコンビで知られる山本正司氏ら多くの人も育てたが渡辺師もそのスピリットを深く受け継いだ。かつては厩舎は徒弟制度により技術を後進に伝えてきたが、競馬学校が創設された頃から徐々にそういった流れは薄れかけていた。しかし、渡辺師は頑なに愛弟子にすべてを注いだ。そして、角田騎手もその期待に応え、デビュー年に43勝をあげてJRA賞最多勝利新人騎手にも輝いた。
2000年夏、ジャングルポケットは札幌競馬場に滞在しながらデビュー戦を迎えた。角田騎手や夏は小倉を主戦場としていたため、千田騎手がその背を任された。ジャングルポケットの馬主はフジキセキも所有されていた齊藤四方司氏。そして、担当厩務員もフジキセキと同じ星野さん。フジキセキとジャングルポケットは馬の姿はまったく違うのだが、同じ勝負服、同じ担当厩務員さんが傍にいる姿が懐かしさを感じさせた。
札幌ではデビュー戦、札幌3歳ステークスを連勝したジャングルポケットは、栗東に戻った3戦目からは角田騎手が手綱をとった。3戦目のラジオたんぱ杯3歳ステークスでは後に皐月賞でも戦うアグネスタキオン、日本ダービーでも戦うクロフネらと初対決。結果はアグネスタキオンの2着だったが、翌年のクラシック戦線で彼らと戦うであろう姿を予感させた。
明けた2001年。この年から日本における競走馬の年齢の数え方が変更されたため、2年続けて"3歳"とされた。
3歳緒戦の共同通信杯は初の東京競馬場への参戦。1.4倍と圧倒的な人気を集めた1番人気での出走で、直線では余裕たっぷりに馬なりで先頭に躍り出た。が、しかし。追い出すと大きく内にヨレた。それでも、難なく楽勝し、ただならぬ大物感を感じさせた一戦でもあった。
■2001年皐月賞 ジャングルポケット2着(優勝 アグネスタキオン)
4戦4勝のライバルが大目標を前にリタイア
角田騎手はジャングルポケットの気性について、「朗らかな表情をしていると思ったら急にスイッチが入る、という激しさがある」と話している。ジャングルポケットなりには基準があるのだろうが、人間にはそのスイッチの"ON"と"OFF"の切り替えが独特すぎた。
皐月賞では、1枠2番の内枠が仇になった。早くゲートに入ったことで枠内での待ち時間が長くなったことも手伝い、スタート直後につまづいてしまい出遅れた。道中は馬群の外外をまわり追い上げた。が、正攻法の競馬に徹したアグネスタキオンに届かず3着に終わった。
アグネスタキオンは皐月賞までで4戦4勝。全兄が前年のダービー馬・アグネスフライト、母は桜花賞馬でオークス2着のアグネスフローラ、その母のアグネスレディーはオークスを制している。当然のようにアグネスタキオンは東京芝2400mを舞台とする日本ダービーでの二冠制覇の期待が寄せられた。
しかし、ダービーに向けて調整中の段階で左前浅屈腱炎を発症し、戦列離脱を余儀なくされる。
全勝でクラシックで最右翼と謳われながらも、無念の戦線離脱…。
かつて、フジキセキに起きた悲劇がジャングルポケットのライバル馬におきてしまった。しかし、皮肉ながらライバルのリタイアはジャングルポケットにとってはダービーの勝算が増えることに繋がる。
フジキセキの無念から6年…日本ダービーの栄冠を掴む
二度目の東京競馬場での走りとなった日本ダービー。ジャングルポケットは1番人気に推された。共同通信杯でのあの末脚から、東京コースに替わることでさらに期待が集まった。
フジキセキの故障から6年。もしも、フジキセキが日本ダービーに出走したなら、1番人気に推されだろう。同じチームで挑むこの一戦、夢が絶たれたフジキセキの無念を晴らせるのか。
心身ともに安定感のあったフジキセキと比べるとジャングルポケットは幼く、「1頭になると遊んでしまい、どこに飛んでいくかわからない」(角田騎手)といった脆さもあった。
それでも、陣営はダービーと同じ共同通信杯で優勝した経験を強みと心に抱き、大一番に挑んだ。
いよいよレース。ジャングルポケットはダービー特有の雰囲気と大歓声に反応し、レース前から激しいイレこみをみせた。ゲートは皐月賞とは一転し、8枠18番の大外枠。角田騎手は「自分の競馬に徹する」と心に決め、道中は中団に待機した。馬場は重。道悪を苦にする馬は少なくないが、ジャングルポケットは全く問題にしなかった。
最後の直線までのあいだに仕掛ける馬たちもいたが、角田騎手はジャングルポケットの力を信じ、待った。そして、満を持して追い出すと、鬼のような長く渋太い末脚を爆発させた。そしてこのとき、角田騎手は2着馬を探した。「1頭になると遊んでしまい、どこに飛んでいくかわからない」ジャングルポケットには最後まで並んで競うパートナーが必要だったのだ。ジャングルポケットのスイッチが"OFF"にならないよう、外からゴールを目指すダンツフレームとともに府中の直線を駆け抜けた。そして、ジャングルポケットは最後までスイッチを"ON"にしたまま、ゴール板を駆け抜けた。
念願のダービー制覇。渡辺師は「弟子と共にダービーを勝てるなんて、これ以上の喜びはない」と感激し、角田騎手は「自分の厩舎で勝てたことが嬉しい」と師匠と喜びを分かち合えたことに歓喜。そして、オーナーの斎藤氏も「このチームで勝てたことに意味がある」と勝利をかみしめていた。
フジキセキが果たせなかった夢は、ジャングルポケットによって叶えられた。
■2001年日本ダービー 優勝 ジャングルポケット
初の日本ダービー&ジャパンカップ同年制覇
2001年秋、三冠の最終関門である菊花賞ではスローに流れたレース展開に前半からかなり引っかかってしまい4着に終わった。それまでイレこむことはあってもレースで折り合いを欠くところはなかったのだが…。
続くジャパンカップでは、鞍上が変更となった。様々な理由はあれど、渡辺師は愛弟子からフランスで活躍するオリビエ・ペリエ騎手へのチェンジには並々ならぬ意気込みを語った。
「来年のジャパンカップは中山で行われる。今年チャンスをつかみたい。」
実はJRAは翌2002年に東京競馬場の改修工事を予定していた。この頃にはジャングルポケットの東京適性は周知の事実となり、陣営もそれを強く実感していた。競走馬の全盛期は短い。よりによってその期間に得意コースで走る機会がなくなるのだ。これは痛い。
しかし、ライバルも手ごわく、前年のジャパンカップ覇者であるテイエムオペラオーも出走している。それでも、ダービー馬へのファンの信頼は厚く、1番人気はテイエムオペラオーに続く2番人気に推された。
いざ、レース。初コンビとなったペリエ騎手はソツなくジャングルポケットを導いた。テイエムオペラオーはいつもどおり前目でレースを進めた。一方、ジャングルポケットもいつもどおり中団でじっくり構えた。
そして、直線での攻防。広い直線の真ん中をテイエムオペラオーが抜け出すと、それを追うようにジャングルポケットが迫った。うなる左ムチ、それに応えるように唸るジャングルポケット。雄大なフォームでぐんぐん先頭との差を縮め、ゴールの僅か手前でとらえ、クビ差で差し切った。着差はわずかではあったが、着実に前を行く王者を仕留めたその走りには凄みがあった。
この勝利は初の日本ダービー&ジャパンカップ同年制覇でもあった。
ちなみにあれから20年経った2021年9月現在、ジャングルポケット以外にこの偉業を果たした馬はいない。
■2001年ジャパンカップ 優勝ジャングルポケット
その後、予定通り2002年後半に東京競馬場は改修工事が行われたため、ジャングルポケットはその後、東京競馬場で走ることはなかった。
2002年の春シーズンは阪神大賞典から天皇賞・春へ挑むも、ともに2着。秋冬シーズンは中山芝2200mで行われたジャパンカップで5着、続く有馬記念では7着に敗れた。有馬記念の後、左前蹄球炎を発症し引退。生涯成績は13戦5勝。東京競馬場での戦績は3戦3勝だった。
父を思わせる仔、苦手な条件で活躍した仔
2021年3月2日、ジャングルポケットは繋養先の北海道日高町のブリーダーズスタリオンステーションで亡くなっている。23歳だった。
種牡馬は前年に引退しており、功労馬として過ごしていたが、この日の朝に馬房で息を引き取ったという。老衰とみられる。晩年は穏やかに過ごしていたそうで、スイッチが"OFF"のときのジャングルポケットらしく時を重ねていたようだ。
いまのところ東京競馬場でGIを勝った産駒は、2006年の天皇賞・秋を制したトーセンジョーダンと2005年にオークスを勝ったトールポピーがいる。他にも活躍馬はいるが、ジャガーメイル(GI、2004年天皇賞・春)、オウケンブルースリ(GI、2005年菊花賞)、アウォーディー(JpnI、2010年JBCクラシック)など、自身が勝てなかった京都競馬場で好成績をあげている。
また、日本のオフシーズンにはニュージーランドやオーストラリアでも種付けしており、Jungle Rocketが2009年にニュージーランドのオークスを制している。競り合いの中、内から抜け出すという競馬だが、こちらも左回りの芝2400m戦だった。馬場はSoft。日本でいう重馬場だ。そういえば、日本のオークスを勝ったトールポピーも稍重の左回り芝2400mで馬群から抜け出していた。遠く離れた南半球の地で、左回りの芝2400mで他馬と馬体を併せながら勝ちきる姿に"府中の鬼"と言われた父の姿を垣間見た。
※終了しました
なお、2021年9月20日の中山10レースは、20年前の年度代表馬であるジャングルポケットの名を冠にした「JRAアニバーサリー 2001メモリアル ジャングルポケットカップ」が行われる。
当日は中山競馬、中京競馬の全競走が特別払戻率であるJRAプレミアムで販売される。JRAプレミアムについては次のリンクの記事で説明しているのでお読みいただくと嬉しい。
https://news.yahoo.co.jp/byline/takakohanaoka/20201213-00212316
過去記事
■競走馬を引退した馬の行き先の現実。そして、引退馬たちの支援について
https://news.yahoo.co.jp/byline/takakohanaoka/20210630-00245698
■クマに襲われる恐れも!守るべき牧場見学、馬の墓参りのマナーとは
https://news.yahoo.co.jp/byline/takakohanaoka/20210504-00236037
■ディープインパクトが残した偉大な足跡~三冠までの足取り
https://news.yahoo.co.jp/byline/takakohanaoka/20190731-00136396