Yahoo!ニュース

復活した戸崎圭太、今は亡きジョッキーと共に挑む日本ダービーへ向けた気持ちを語る

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
皐月賞を制しダービーに臨むジャスティンミラノと戸崎圭太騎手

康太が押してくれて皐月賞を勝利

 「馬は一所懸命に走ってくれたのに、1番人気に応えられず申し訳ないし、悔しかったです」
 19日、東京競馬場の芝2400メートルで行われたオークス(GⅠ)を振り返り、そう語ったのは戸崎圭太。1番人気で2着に敗れた桜花賞馬ステレンボッシュの手綱を取っていた。

オークスで騎乗したステレンボッシュ(7番)は1番人気ながら2着に惜敗した
オークスで騎乗したステレンボッシュ(7番)は1番人気ながら2着に惜敗した


 今週末、同じ東京の芝2400メートルが舞台となる日本ダービー(GⅠ)では、皐月賞馬ジャスティンミラノに騎乗する。
 「皐月賞は3~4コーナーで一度手応えが怪しくなりました。でもバテている感じではなかったので、直線に向いてからも信じて追いました」
 結果、鞍下のパートナーが応えた。最後にグンと加速。先に抜け出したジャンタルマンタルを捉えると、コスモキュランダの追い上げも封じ、先頭でゴールイン。同世代で唯一、三冠馬への権利を獲得した。

戸崎騎手騎乗のジャスティンミラノ(真ん中の橙帽)が制した皐月賞のゴール前
戸崎騎手騎乗のジャスティンミラノ(真ん中の橙帽)が制した皐月賞のゴール前


 「最後は康太が押してくれたと感じました」
 皐月賞の1週間前に落馬し、4日前に他界した藤岡康太の名を挙げ、戸崎はそう言った。新たな皐月賞馬に、直前まで調教をつけていたのが藤岡康太だった。
 「それまでは競馬場で挨拶する程度でした」
 年代も違えば生い立ちも違った。主戦場も東西に分かれていたため、接点といえば開催場くらいしかなかった。しかし、藤岡康太がジャスティンミラノを管理する友道康夫厩舎の調教をつけていた事から、戸崎に情報を伝えてくれるようになった。
 「何完歩目まで行く気を見せていた、とか、事細かく教えてくれました」
 これを機に2人の距離は一気に縮まった。
 「凄く良い青年である事が分かったし、せっかく仲良くなれた直後だっただけに、ショックが大きかったです」
 そう言うと「ダービーでは一緒に戦うつもりでいます」と続けた。
 「そう思う事で心強くサポートしてもらえています。結果を出して、康太にも喜んでもらいたいというのが今の気持ちです」

09年のNHKマイルC(GⅠ)を勝った際の藤岡康太騎手
09年のNHKマイルC(GⅠ)を勝った際の藤岡康太騎手

戸崎にとってのダービーとは

 さて、そんな戸崎にとって、日本ダービー(GⅠ)とはどんな存在のレースなのか……。
 「正直言うと元々はそれほど重きを置いてはいませんでした。あくまでもGⅠレースの中の1つだと考えていたんです」
 しかし、そんな思考が変わる出来事があったと続ける。
 「JRAに移籍して、2着が2回ありました」
 18年、皐月賞馬エポカドーロと共に挑んだが、勝者ワグネリアンに半馬身届かなかった。翌19年には皐月賞3着のダノンキングリーで挑戦。皐月賞で先着を許した2頭には雪辱を果たしたが、伏兵ロジャーバローズの大駆けにクビ差、屈した。完敗ではなく、あと一歩のところで手が届かなかった事で、逆にその頂がより高く感じられた。
 「ダービーの重さを感じたし、勝ちたい気持ちが強くなりました」

18年、皐月賞馬エポカドーロ(緑帽)で挑むもワグネリアンの2着に敗れたダービー
18年、皐月賞馬エポカドーロ(緑帽)で挑むもワグネリアンの2着に敗れたダービー

復活劇の理由

 そんな戸崎の今年は、ここまで上々の成績。先週5月19日の開催を終えた段階で55勝を挙げ、全国リーディング3位、関東1位となっている。過去には3年連続で全国リーディング(14〜16年)に君臨した男としては、これでもまだ満足は出来ないかもしれないが、この復活劇を自分ではどう分析しているのか?
 「怪我をしてリズムが狂い、苦しんだ時期が続きました。ただ、ここに来て良い意味で開き直れました。勝ち負けよりも馬との関係性を大事にする事で、勝ち星が戻って来た感じです」
 具体的にはどういう事か?を問うと、続けた。
 「返し馬など、レース以外の部分で繊細にアプローチする事で、より馬を感じられるように努め、競馬はその延長線上というつもりで乗っています。結果、楽しく乗れているし、成績もついて来ている。そんな感じです」
 オークスに続き、ダービーも1番人気となりそうだが、果たして同じように楽しんで乗れれば、自ずと結果が見えてくるだろう。藤岡康太もそう願っていると信じたい。

戸崎圭太騎手
戸崎圭太騎手

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

平松さとしの最近の記事